しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

結核は死ぬ病気だったか?

2016年12月15日 | 暮らし
新選組の沖田総司や詩人の石川啄木はじめ、結核で死んだ人は多い。
管理人も小学生の時はツベルクリンやBCGを注射する、代表的な国民病だった。

では、結核になると死はまぬがれなかったのであろうか?

「梶島山のくらし」から
回生病院会長・M医師(大正10年生)の話を転記する。
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結核ゆうのは栄養の管理が大事な病気だから、栄養が低下したらみんな死んでいく。
国民は栄養失調で、結核が感染しても無理をして本当の肺結核になってしまう。
だからコメのご飯を食わして卵をしっかり食うたものは助かっている。
麦飯を食うてみそやこうこですましょうる百姓はみんな死んでいった。
卵は金になるけい、みな売ってしまう。
病気になったら最後。金がかかるけえ、本気で治療させてくれんのよ。
御馳走を食うた金持ちの子は死ななかった。それも不平等じゃなあ。

結核患者が家にいたら、コンコンと家族に次々にうつす。
だいたい家の納戸へ押し込まれる。
「日当たりのよいところに出してくれ」と言うても「近所の人に見られたくない」という。そうゆう時代じゃったから、どうしても独立した病棟を作りたかった。

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回生病院は田んぼの中にぽつんと非常に目立つ場所にあった。
今は東福山駅周辺の都市化で埋もれるような場所となった。

笠岡市では昭和30年頃、小平井に療養所ができた。
岡山県では早島に国立の療養所があった。

現在は、全世界で150万人が死亡し、そのうち95%が低中所得国。

結核になったら、貧乏人から死んでいくようだ。


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