しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」剃捨てて黒髪山に衣更 (栃木県日光市)

2024年08月08日 | 旅と文学(奥の細道)

曾良は本名を河合惣五郎という侍だったが、
出立の朝、髪を剃った。
旧暦では4月1日が衣替えの日で、
芭蕉と曾良が日光を訪れたのは旧4月1日だった。

 

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旅の場所・栃木県日光市
旅の日・2004年6月26日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「芭蕉物語」  麻生磯次 新潮社 昭和50年発行

剃り捨てて黒髪山に衣更  曽良

黒髪山は男体山である。
古木が多くて黒々としているので、この名があるということだが、
山をふり仰いでみると、霞がかかってそろそろ夏の季節に入るというのに、ところどころに雪が残っている。

曽良は黒髪山という山の名から、剃り捨てた黒髪を思い起した。
黒髪を落し墨染の衣に着換えて、旅に出たのであるが、黒髪山の麓まで来たら、
ちょうど四月朔日で、夏物に衣更えすることになった。 
いまさらのように、俗衣を僧衣にかえた日の思い出がよみがえったというのである。
曽良は河合氏、名は惣五郎、芭蕉庵の近くに住んでいて、芭蕉のために薪水の労をとっていたが、 
今度の旅に同行を希望して、髪を剃り墨染に姿をかえ、名も宗悟と改めた。

その夜は日光上鉢石町の五左衛門という者の家に泊った。
鉢石は神橋に近く、宿屋や土産物店の多いところである。大へんむさくるしい宿であったが、
宿の亭主の五左衛門は親切な人で、夕飯でも風呂でも自分でなにくれと面倒をみてくれた。
そしていうことには、
「わたしのあだ名を仏五左衛門と申します。部屋は汚のうございますが、どうぞ安心してお泊りください」
芭蕉はいかにも正直そうな亭主の顔をながめながらうなずいた。

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かつて「奥日光パークマラソン」という人気のマラソン大会があった。
その大会に初出場で日光を訪れた。
コースは戦場ヶ原から小田代原、中禅寺湖の湖畔と日本を代表するハイキングコースを20km走る。
マラソン風景がきれいで嬉しくなるほど気持ちのいいマラソン大会だった。
それから3ヶ月ほどして「マラソン大会は今回で中止となりました」という知らせが届いた。

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