ホタル
かまんどーから砂川への道。
その下の水路(溝)に蛍が飛んでいた。
梅雨明け頃から蛍が飛び、夕方になると近所の子3~4人で、竹箒と小箱を持ってホタルを取りに出かけた。
ホタルは飛ぶスピードが遅く、しかも低空を飛ぶので取るのが簡単だった。
ホタルは”水ボタル”と呼ばれ、溝の水中で光るホタルがいた。
この水ボタルは、目が光る蛇と似た光で、間違えて蛇を握る子が多かった。
それで自分は空を飛ぶホタルしか取らなかった。
取ったホタルは家に帰ると、蚊帳の中に放した。
その光の中で寝ていたが、
翌晩、そのホタルがいたためしがない。
逃げたのだろうか、死んでいたのだろうか?
学校に行くと、用之江の子は「源氏ボタル」を取ったと話していた。
茂平には小さな「平家ボタル」しかいなかった。ちょっと悔しい思いで聞いていた。
誘蛾灯
砂川や西谷に誘蛾灯があった。
蛍光灯が付いていた。
真っ白い灯りだった。
大きくまわりを照らしていた。
蛍光灯のまわりには大きな蛾やカナブンが近寄り、
受け皿には昆虫の死骸が浮き、殺虫剤の強烈な匂いがしていた。
「里庄町誌」 里庄町 昭和46年発行
誘蛾灯
不夜城の点燈風景 病害虫防除の大敵は二化メイ虫なので、明治40年頃から小学生はそこここの苗代に入り、
何百というメイ虫の卵をとっては村役場から半紙をもらった。
そして昭和14年頃から水田の中に多数のカンテラの下に水盤をおき点灯し、夏の稲田を明るくしてウンカを誘殺した。
それが昭和22年頃からは螢光灯に変わり列車の窓からの夜景は真に不夜城であった。
ウンカは年柄により異状発生するので最も恐れられた害虫で 、 これに対しては竹筒に油を入れて水面にたらし、ワラで作ったホウキのような物で、稲の茎に油をはね散らして駆除し、これは終戦前まで行なわれた。
そして同27年頃からDDT、BHC等の農薬が輸入され、つづいて 有機隣製剤等の殺中剤のさん布で、螢光灯もやんだ。
・・・
茂平の家々に蛍光灯はなかった。
丸い電球のマツダランプしかなかった。
♪
町のランプが お花になった
マツダランプだ 明るく咲いた
とんとん東芝
ラジオからは、この歌がよく流れていた。
・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます