”地神”と刻まれた円形の石碑は全国無数の村々に存在しているが、
”社稷”と刻まれた地神は珍しい。
大正時代の末期に数基建てられたようだ。
地神が建てられたのは江戸末期から明治末で、
社稷は地神建立の最期を飾るもののようだ。
なお備中備後は五角形の地神が多いのがこの地方の特色となっている。
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「城見のあゆみ」 城見地区まち協 2017年発行
地神(社稷)
「社稷」は 「しゃしょく」と読みます。
「稷」 は穀物の神を意味する言葉でした。
土地とそこから収穫される作物が国家の基礎であるという考え方です。
「地神」として、あるいは木や石の5角柱に農耕に関わる5柱の神の名を刻んで丁寧に祀ったのです。
春には、その年の豊作を祈念し、秋には、収穫を感謝する祈りをささげるわけです。
「社稷」 として祀るのもその1つの形なのですが、 極めて少ないのです。
聞き及んでいる範囲で書き上げてみます。
茂平に3基、 用之江に1基、福山市大門町に5基、 福山市加茂町に1基 笠岡市有田に1基と、
わずか11 基だけなのです。
どうやら、大正時代の末に福山市東部か岡山県笠岡市の西部に、「社稷」が気に入った神がおいでになったようなのです。
旗涯地のだけ記年を認めることが出来るのですが、それが大正12年(1923年) 12月なのです。
大正12年なら1923年で、たかだか90年ほど昔のことで、調べればいろいろなことが分かるだろうと思ったのですが、
ほとんど何も聞き取ることができないのです。
記録したものを残し、後に伝える必要性が大いにあると考えました。
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地神
「矢掛町史民俗編」 矢掛町 昭和55年発行
地神講(あるいは社日講)
地神を講組織で祭る所が各地にある。
春と秋の社日に祭るのが一般的である。
地神講では地神とか地神塔という文字を彫った石碑や石塔、あるいは五角形の石柱に神々の名を刻んだものを神体のごとく扱っている場合が多い。
「江戸末期から明治40年ごろまでに地神とほった石を立てる風が県内に盛んであったらしい。
それまでは石のカマを作って祀った。
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