しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

旧五月五日 西浜(ようすな)オシグランゴ

2023年06月18日 | 令和元年~

場所・岡山県笠岡市金浦
開催日・旧暦5月5日(再開後は近い日曜日)

 

「おしぐらんご」は、
廃止前に一度見に行ったことがある。

再開後の「おしぐらんごは」、
10回くらいあるかな。

その差(廃止前と再開)は、とても比較にならない。

廃止前のおしぐらんごは、
本気で櫓こぎ合戦をしていた。
たとえ汚い手をつかおうと、何をしようと、
とにかく”勝つ”、
”負けられん”
それが「おしぐらんご」だった。

そういう元気や迫力は、漁師町ようすなの猟師や町民だけでなく、
見物に訪れる人にも伝わり、
競漕とお祭りが一体となった初夏の、一大イベントだった。

 

 


漁師町西浜(ようすな)は、おしぐらんご廃止後は
ころがるように町も人も、元気と活気を失っていった。

高度経済成長期、
密集した市街地を形成していた金浦は時代に取り残された。
漁師町・金浦であったが、
漁業は消滅し、漁師はいなくなった。

今は「保存会」の皆さんたちの努力で再開し、
伝統文化財として毎年開催されている。
何事もつづけることに意義がある。
がんばれ、”ようすな”のオシグランゴ。

 

・・・

「岡山県史・民俗編Ⅱ」 岡山県  昭和58年発行

旧五月五日 西浜(ようすな)オシグランゴ

旧五月五日に笠岡市金浦の西浜(ようすな)では
オシグランゴという漁船の競漕が行われていた。
その年に新造された四丁櫓の船を紅白の二つに分け、一艘に
漕ぎて四人、
舵取り一人、
旗振り一人、
の六人が乗り込み、
金崎の沖から港までの約一キロメートルを、
大勢の見物人の見守る中で競争するという威勢のよいものであった。
オシグランゴと同様な競漕は倉敷市児島田ノ浦や牛窓町でも行われ、
その他の漁村でも行われていたらしいが、
いずれも今はなくなっている。

 

 

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「写真集・笠岡」 田中舜治 国書刊行会 昭和56年発行

ひったかとおしぐらんご

ひったかとは火を高くかかげることを意味し、
おしぐらんごとは、
櫓漕競争のことである。
いずれも毎年旧歴の五月五日に行われる。
おしぐらんごは昭和36年を最後に廃止され、
ひったかのみ今も残り、
毎年笠岡市金浦の夜空をいろどっている。
昭和54年文化庁から保存すべき民俗行事として調書が作られている。

 

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撮影日・2023.6.18

 

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ダイコン(大根)

2023年06月18日 | 食べもの

中学校か高校の修学旅行の宿の朝食時、
宿の人が「たくあんは、・・・、おみおつけは、・・・」と食事の説明をしたが、
自分の膳に、たくあんも、おみおつけもなかった。
話の内容で、どうも、
「たくあん」とは「コーコ」のことで、「おみおつけ」とは「味噌汁」のことを意味しているようだった。
家では汁かけが主流だったが、そういう食べ方はしてはいけないことも感じた(知った)。

 

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「野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行
ダイコン(大根)

日本の冬野菜の代表各。
「日本書紀」にも記されて、古くから食されています。
ダイコンの葉には栄養が豊富です。
もっとも多いのが「青首ダイコン」で、
生のまま浅漬やサラダ、大根おろし、おでんや煮込み、など万能に使える。
全国各地に在来種があり、土地ならではの漬物などもあります。

 


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「野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行

たくあんを作る
 
①ダイコンは洗い、そのまま並べて乾かす。
②③④葉がついたまま2本つづ束ね、風通しがよく、雨がかからない場所に干す。
10日~2週間が目安。
⑤手で曲げて「く」「つ」の字くらいがよい。
⑥柿、ミカン、リンゴの皮をよく乾燥させておく。
⑦ダイコンの葉を切り落とす。
⑧ダイコンを俎板の上でころがし、芯をやわらかくする。
⑨炒りぬか、塩、果実の皮、昆布、トウガラシを器に入れ合わせておく。
⑩容器に⑨を振り、ダイコンを入れる。
隙間なく詰め、中央にはダイコンの葉を入れる。
⑪繰り返す。
最後は残ったダイコンの葉をのせ、中ブタを入れて重石をして冷暗所へ。
重石はダイコンの2倍が目安。
⑫約1ヶ月で漬け上がる。

 

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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

大根
秋大根、夏大根、時無し大根などあって、年中生大根を食べることができるが、
大量に利用するのは秋大根である。
冬季期間食べる分は畑に残しておき、必要に応じて抜いてくる。
輪切りにして醤油か味噌で炊いた大根煮や味噌汁にいれる。
保存用としては干し大根、沢庵漬など大量に行う。

 

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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

捩干し
畑から抜いてきた小さい屑大根を窄るまで稲架または柿の木などに架けておく。
ネジボシとなる。
からからになるまで干す。

大根切干し
主として屑の大根を奇麗に洗って包丁で縦に二つか四つ割にして厚さ一分くらいに横に小さく切って蓆の上で干す。
糸に通して干すこともある。
乾燥した切干は保存しておいて煮つけにしたり雑魚と一緒に煮る。

提灯切り
生大根を俎板の上で、ぐるぐる回しながら包丁で切れ目を入れていく。(笠岡市吉田)
熊山町では大根の両方に棒をあて、これを斜めに切り、再び裏返して斜めに切る。


カブラ、カブともいう。
主として冷涼な地方で栽培されている。

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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

漬物
庶民にとっては極めて重要なおかずであった。
「糠味噌くさい」というが、家伝ともいうべき漬物の味があり、匂いがあっても主婦の腕のみせどころであった。

沢庵漬
笠岡市吉田では秋、畑から抜き取った大根を木にかけて干し、しなびた大根を樽に漬けるのであるが、樽の底に大根をぎっしりつめて並べ,糠と塩をまぜたものをふりかけ、適当に唐辛をむしって入れる。
二段目にまた大根を並べ、糠と塩をまぜたものを、という具合にしながら足で踏みつける。
よく踏みつけておく方がよい。
一番上にはハブサといって大根葉を並べ、その上に板または蓋をして大きな石を置き重石とする。

四斗樽に二・三本漬ける場合が多い。
味噌と違ってコーコはその年漬けた分を食べるのであって、前年のものは古ゴーコといって焚いて食べたりする。
大根葉
純農家では大根葉は兎や鶏、牛に与える。

漬菜
白菜が多くなっているが、白菜が日本に入ってきたのは新しい。
栽培が普及したのは大正初めである。
笠岡市吉田では一斗樽程度のものに漬け、なくなればまた漬けるというふうに追加していく。

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「吉永町史」 吉永町史刊行委員会編 吉永町  昭和59年発行
記述は、昭和35年ごろまでの食事である。

漬物

沢庵漬け
コーコ(香香)といい、米糠と塩をまぜたものを、ひなびた大根にふりかけ、
四斗樽につめる。
毎年秋に、
四斗樽にコーコ2~3樽漬けた。
早く食べる分として、大根の浅漬けを一樽、白菜漬けを2~3樽であった。
漬物は主要なおかずであったので、味噌樽なども数えると10樽は並んでいたという。

 

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