場所・広島県廿日市市宮島町
広島県や岡山県の瀬戸内海に、”唐船”(とうせん)という地名の湊町が点在している。
あれは平清盛が開港したり、唐船が寄港したり、因んだ土地なのだろうか。
平清盛と宮島
「瀬戸内の風土と歴史」 谷口・後藤・石田共著 山川出版社 昭和53年発行
清盛が安芸国主となるのは1146年、29歳の時である。
清盛と厳島神社の関係はこの時に始まるといわれている。
清盛はその後、
日宋貿易に有利な地位を確保するとともに、いよいよ内海地域との因縁を深めることとなる。
1167年ついに従一位太政大臣の栄華を占める。
当時唐船と呼ばれた宋商船を幾艘か手に入れ、
厳島神社参詣などにもつねに唐船を利用した。
清盛には、おそらく生涯の参詣は数十度に及んだもののようである。
その一門子弟もこれにならうもの多く、
1174年には後白河法皇、
1180年には高倉上皇、
1176年に建礼門院が、
こうした辺地のへ御幸は、当時まったく異例のことであった。
撮影日・2023.6.10