しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

平清盛

2023年06月14日 | 銅像の人

場所・広島県廿日市市宮島町

 

広島県や岡山県の瀬戸内海に、”唐船”(とうせん)という地名の湊町が点在している。
あれは平清盛が開港したり、唐船が寄港したり、因んだ土地なのだろうか。

 

 

平清盛と宮島

「瀬戸内の風土と歴史」  谷口・後藤・石田共著  山川出版社 昭和53年発行


清盛が安芸国主となるのは1146年、29歳の時である。
清盛と厳島神社の関係はこの時に始まるといわれている。
清盛はその後、
日宋貿易に有利な地位を確保するとともに、いよいよ内海地域との因縁を深めることとなる。
1167年ついに従一位太政大臣の栄華を占める。

当時唐船と呼ばれた宋商船を幾艘か手に入れ、
厳島神社参詣などにもつねに唐船を利用した。

清盛には、おそらく生涯の参詣は数十度に及んだもののようである。
その一門子弟もこれにならうもの多く、
1174年には後白河法皇、
1180年には高倉上皇、
1176年に建礼門院が、
こうした辺地のへ御幸は、当時まったく異例のことであった。

 

 

撮影日・2023.6.10

 

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灘尾弘吉先生像

2023年06月14日 | 銅像の人

場所・広島県広島市中区基町(広島城三の丸・内堀沿い)

 

庶民の生活とは無縁で、
東京生まれのぼんぼんで、
二代どころか、三代、四代が主流の自由民主党。

自由民主で、何人も機会均等であることを標榜しながら
ムスコという理由だけで候補者に決め、
国会議員になることがあたりまえになっているのが、日本の政権政党の実情。


かつては、この政党にも高い志をもった人たちが選挙で当選していた。
広島県能美島出身の灘尾弘吉さんは、
知性教養がその風貌にまであらわれていた。
そして”自民党三賢人”と呼ばれた。

 

 

灘尾さんは衆議院議長ののち引退した。(もちろん身内を後継とせずに)

 

いっぽう賢人にはほど遠かった、同じ選挙区の同党議員(二代目)は引退後、ムスコに後を継がせ、
今ではムスコ(三代目)が首相をしてる。
三代目もムスコ(四代目)を秘書官にして、2023年に新聞を騒がせた。

 

 

撮影日・2023.6.10

 

 

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