しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

令和4年に新名所が誕生した

2022年01月05日 | 令和元年~
場所・岡山県浅口郡里庄町「つばきの丘運動公園」


管理人の散歩コースの一つが急に名所になった。





年末のNHK紅白歌合戦に初出場した歌手・藤井風さんが、番組で注目され一挙に露出度が増した。



お散歩コースには藤井風さんの歌も新年から流れ出した。







今日行って見ると、普段は見ない毛色(ファンのような)の人たちが次々に公園を訪れていた。






撮影日・2022.1.5

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正岡子規

2022年01月05日 | 銅像の人
場所・愛媛県松山市道後湯之町


「春や昔15万石の城下かな」
と俳人正岡子規が詠んだ松山市は、
瀬戸内海に面した気候温暖、美しい風光に恵まれた土地で、愛媛県の中心地であり、四国第一の都市である。
この地に城を築いたのは、賤ケ岳七本槍の一人として活躍した加藤喜明である。
築城と同時に城下町も整備された。
それが現在の松山市街地の基礎になった。
喜明は1627年会津へ転封され、蒲生忠知が入部。在城7年で没し、伊勢国桑名城主松平定行が15万石で入部。
以来、松山は松平家15万石の城下町として栄え、明治維新を迎えた。

「日本の城下町10四国」 ぎょうせい 1981年発行





坊ちゃんと子規の町

松山藩士の子に生まれた正岡子規は、短歌・俳句の近代化を果たしたが、
夏目漱石との交友はさらにわが近代文学史上に大きい足跡を残した。
東大生時代の漱石は学友だった子規の松山宅をたずねてその文学的影響を受けた。
のち漱石は旧制松山中学の教師を1年間つとめたが、その松山時代を小説化した『坊ちゃん』が,文壇へのデビュー作となった。
その作中の多くの舞台が、いまでは松山市の観光名所になっている。

「日本の城下町10四国」 ぎょうせい 1981年発行






撮影日・2021年12月25日



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くれ坊

2022年01月05日 | 銅像の人
場所・高知県高岡郡中土佐町久礼

久礼は「くれ」と読み、久礼は「土佐の一本釣り」の港町。
久礼の、駅や市場や商店街にいるのが「くれ坊」。








発鰹


「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」
冬の間暖かい海を周遊していたカツオがついに土佐沖にやってきます!


ミジカの新子


メジカの新子(幼魚)は釣りあげてから半日だけ刺身で味わえます。
近年大人気。


戻りカツオ


太平洋を回遊するカツオが再び土佐沖に戻ってくる秋の戻りカツオ。
大きく肥えて、赤身の味と脂の乗りのバランスが絶妙なものがあります。
「トロガツオ」と呼ばれたりもします。



うるめ鰯


体長15cmの小さな魚も、久礼では一本釣り。
鮮度落ちの早いイワシでも、刺身でいただけます。

久礼お宮さん通り商店街パンフレット








撮影日・2021.12.23

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武市半平太先生・坂本龍馬先生・中岡慎太郎先生の像

2022年01月05日 | 銅像の人
場所・高知県高知市  高知駅前

高知には自家用車や観光バスで行くので、高知駅前は意外や、初めてだったのかもしれない。
駅前に建つ三人の”先生”像は大きくてびっくりした。





「日本の城下町10四国」 ぎょうせい 1981年発行

幕末の群雄

土佐藩の上士対下士の階級内争は幕末期にいっきょに表面化した。
藩主と藩当局の上士が公武合体であるのに対抗して、
武市半平太を首領とする郷士層の下士集団は尊王攘夷運動に踏み出した。

開明・佐幕の執政吉田東洋の暗殺は、藩当局の下士弾圧をきびしくし、
脱藩者が相ついた。

坂本竜馬中岡慎太郎も脱藩浪士であった。
しかし天下の政局は藩を軸に動いた。

上士の後藤象二郎は龍馬と組んで大政奉還の舞台回しを演じ、
板垣退助は土佐藩討幕派を率いて官軍の将となった。










撮影日・2021.12.23
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