「歌と戦争」 櫻本富雄 アテネ書房 2005年発行
音楽の戦争貢献
日本にレコード会社が創設されたのは1909年の日米蓄音器商会といわれている。
コロンビアレコードの前身である。
1934年(昭和9)には次のような会社が設立されていた。
日本ビクター、日本ポリドール、キングレコード、テイチクレコード、タイヘイレコード。
レコード文化や歌謡の隆盛の烽火に油を注いだのは映画の出現であった。
いわゆる映画主題歌の出現である。
松竹映画『愛染かつら』の「旅の夜風」
東宝の『熱砂の誓い』の「馬」
松竹の『蘇州の夜』の「蘇州の夜」
東宝の『燃ゆる大空』の「燃ゆる大空」
東宝の『決戦の大空へ』の「若鷲の歌」・・・
などの主題歌を続出させた。
音楽は、戦争推進に多大の貢献をしたのである。
ところが、それらの音楽を生産した「死の音楽商売人」の責任はほとんど問題に
されていない。
「音楽挺身隊長」の山田耕筰は文化勲章を授与され、
おびただしい軍歌や戦時歌謡を作曲した古関裕而は「日本の行進曲王」などと称されている。
米英音楽の追放
1940年(昭和15)は、国中が「紀元2600年」で大騒ぎした年だが、
この年、内務省は俳優などの芸名から風紀上面白からぬもの、不敬にあたるもの、外国かぶれのものなどの追放を指示した。
俳優・藤原釜足は藤原鎌足を冒涜する名前とされ、ディック・ミネは三根耕一となった。
学校の授業から「英語」が追放される。
堀内敬三は『音楽の友』1942年新年号で、
「ここに米・英の音楽を閉め出すべきことを提唱する」とのべ
「音楽家にとっても戦いである。皇軍と共に我等はたたかわねばならぬ」と、
内務省と情報局が本格的に「敵性語」「敵性音楽」を始める前に、音楽家の方から政府の排外主義を先取りした。
「米英のジャズ音楽、米英の匂いをぷんぷんさせて、それで米英に勝とうというのか。
日本人として出直すことが先決問題だ」
レコードは音盤と呼び変えられ、
ポリドールは「大東亜」、コロンビアが「ニッチク」、キングが「富士」、
ビクターが「日本音響」に改名した。
「アロアオエ」「星条旗よ永遠なれ」「スワニー河」などを廃棄した。
音楽の戦争貢献
日本にレコード会社が創設されたのは1909年の日米蓄音器商会といわれている。
コロンビアレコードの前身である。
1934年(昭和9)には次のような会社が設立されていた。
日本ビクター、日本ポリドール、キングレコード、テイチクレコード、タイヘイレコード。
レコード文化や歌謡の隆盛の烽火に油を注いだのは映画の出現であった。
いわゆる映画主題歌の出現である。
松竹映画『愛染かつら』の「旅の夜風」
東宝の『熱砂の誓い』の「馬」
松竹の『蘇州の夜』の「蘇州の夜」
東宝の『燃ゆる大空』の「燃ゆる大空」
東宝の『決戦の大空へ』の「若鷲の歌」・・・
などの主題歌を続出させた。
音楽は、戦争推進に多大の貢献をしたのである。
ところが、それらの音楽を生産した「死の音楽商売人」の責任はほとんど問題に
されていない。
「音楽挺身隊長」の山田耕筰は文化勲章を授与され、
おびただしい軍歌や戦時歌謡を作曲した古関裕而は「日本の行進曲王」などと称されている。
米英音楽の追放
1940年(昭和15)は、国中が「紀元2600年」で大騒ぎした年だが、
この年、内務省は俳優などの芸名から風紀上面白からぬもの、不敬にあたるもの、外国かぶれのものなどの追放を指示した。
俳優・藤原釜足は藤原鎌足を冒涜する名前とされ、ディック・ミネは三根耕一となった。
学校の授業から「英語」が追放される。
堀内敬三は『音楽の友』1942年新年号で、
「ここに米・英の音楽を閉め出すべきことを提唱する」とのべ
「音楽家にとっても戦いである。皇軍と共に我等はたたかわねばならぬ」と、
内務省と情報局が本格的に「敵性語」「敵性音楽」を始める前に、音楽家の方から政府の排外主義を先取りした。
「米英のジャズ音楽、米英の匂いをぷんぷんさせて、それで米英に勝とうというのか。
日本人として出直すことが先決問題だ」
レコードは音盤と呼び変えられ、
ポリドールは「大東亜」、コロンビアが「ニッチク」、キングが「富士」、
ビクターが「日本音響」に改名した。
「アロアオエ」「星条旗よ永遠なれ」「スワニー河」などを廃棄した。