しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

土讃線(多度津~高知~窪川)に乗る

2022年01月07日 | 令和元年~
乗車区間・岡山~多度津~高知~窪川
乗った日・2021.12.23

「山陽本線・四国各線」  山と渓谷社  2020年発行

土讃線

険しい地形に挑む四国山地の横断路線

開業年 1889年(明治22)
全通年 1951(昭和26)
起終点 多度津~窪川
駅数 61駅


四国を南北に横断する重要路線
最初は3つの県で別々に開業


土讃線は、予讃線の多度津から阿波池田、高知を経て窪川に至る198kmの路線である。


(多度津駅)


(善通寺ふきん・おむすび三兄弟)

四国を南北に横断する幹線で、瀬戸大橋線と結んで本州、予讃線経由で香川県と高知県を結ぶ役割が大きい。
1892年(明治25)に公布された鉄道敷設法には、
「琴平より高知を経て須崎に至る鉄道」と示されていた。
しかし、全国レベルで見た優先順位が低かったことや、難工事が予想されたことなどから工事の動きは鈍く、短区間が小刻みに行われていた。
1935年(昭和10)に開通した。
戦後の昭和26年窪川までの全線が開通した。
昭和38年中村線が開業。
四国山地の横断部は土砂災害が多く、土讃線は随所でトンネルを含む新線への切り替えが行われている。
急曲線が多いのもこの路線の弱点だが、平成以降は特急列車に振り子式気動車が導入され、大幅なスピードアップがなされている。



(四国の特急列車は乗り心地がみな良かった。予想していたよりも、揺れない、速い。快適だった)





(吉野川を渡る)


(高校野球でも有名な徳島県池田)



吉野川中流域に続く
小歩危・大歩危の奇石・怪石




結晶片岩は川の浸食を受けやすい性質のため、川の中にさまざまな形に刻まれた岩が連なるようになった。




(大歩危駅・駅のホームにかずら橋がある)


小歩危は下流側で柔らかな岩石群、大歩危は上流側で荒々しい形の岩石群となっている。
「ぼけ」は奇岩・怪石の多い場所の古い言葉。
土讃線の下り列車は小歩危大歩危の順に渓谷を通り、その風景は車窓からも楽しめる。
山あいの急斜面には人家や畑が張り付き、川を取り巻く風景全体から、ダイナミックな地形が感じられる。








(高知駅)


(高知駅・アンパンマンがいたるところ)


土讃線が初めて”出合う”輝きの太平洋


(須崎)

土讃線が初めて海に出合うのは須崎の手前である。
須崎から2駅目の安和(あわ)は、砂浜を見下ろす築堤の上、1面1線の無人駅で、海の眺めがすばらしい。
波打ち際を洗う波が、手に取るようによく見える。
土佐久礼はカツオ漁で知られる海の玄関駅である、



(土佐久礼駅手前の太平洋。荒波が手に届くようだった)





(窪川駅・土讃線の終始駅で降りた、この特急列車の終点は中村駅)



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予土線(若井~北宇和島)に乗る

2022年01月07日 | 令和元年~
乗車区間・窪川~宇和島
乗った日・2021.12.23


(窪川駅)


(窪川駅)


これから乗るのが宇和島行きの最終便。窪川発17:40、宇和島着20:15。


(では、この列車に乗ります)


「山陽本線・四国各線」  山と渓谷社  2020年発行

予土線

”最後の清流”四万十川沿いのローカル線

開業年 1914年(大正3)
全通年 1974年(昭和49)
起終点 若井・北宇和島
駅数 20駅


『しまんとグリーライン』の愛称で水辺と山里の魅力をアピール

軽便鉄道だった宇和島鉄道が前身で、昭和49年に全通し「予土線」となった。
沿線の大半は四万十川と、その支流によりそい鉄橋とトンネルが次々に現われる。
車窓美を求め、観光客も多い。




せっかくの四万十川に沿って列車は走っても、窓の外は暗闇。

窪川駅で乗った5~6人の乗客は2つか3つめの駅までに、みんな降りた。
長椅子に横になって寝ていたら、宇和島駅の2つ前の駅くらいから客が乗ってきた。





(駅の数は多く、特急や急行はない。予土線はすべて鈍行列車)


「予土線3兄弟」

平成23年には模型メーカーの海洋堂とタイアップした「海洋堂ホビートレイン」がデビュー。
この列車は、キハ32形気動車にタイムマインのイメージを施し、恐竜や宇宙空間などをデザインしたもの。
平成28年からは「かっぱうようよ号」にリニューアルされている。
JR四国はこれら3車両を「予土線3兄弟」としてアピール。
観光列車ではあるが、定期普通列車としての運行で、市販の『時刻表』に使用車両が記載されている。
全線で2時間ほどの行程は、四万十の清流を愛でる”乗って楽しい路線”の代表格になっている。




(予土線のどこの駅かわすれたが鬼の列車が見えた。”鬼列車”というそうだ)




終点・宇和島駅に着いた。乗る時とほぼ同じ数の人が降りた。
写真右の列車は予讃線。乗客が見える。


(宇和島駅)


予土線は車窓からの景観が売り物だが、何も見えない暗い時間に乗ったのが残念だった。
1時間以上も、運転手1人・客1人という貴重な体験ができた。


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聖徳太子

2022年01月07日 | 銅像の人
場所・奈良県生駒郡平群町信貴山  信貴山・朝護孫子寺


長く高額なお札の肖像画として親しまれ、
古代政治家としてあまりに有名な聖徳太子。

信貴山は、聖徳太子が「信ずべし貴ぶべき山」として名付けられ、毘沙門天王を祀られたといわれている。







(Wikipedia)

聖徳太子(しょうとくたいし)
飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。

「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号。また、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう)など本名は厩戸と言われることも多いが、
戦後に推定された名が広まったものであり、古代の文献には見えない。

叔母の推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、
国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、
仏教を厚く信仰し興隆につとめていた。








撮影日・2021年12月1日
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