茂平集会所の映画
茂平集会所の映画は、興行は金浦座で、茂平の世話は「浜の良やん」がしていた。
良やんは入口に主同然に座って料金を集めていた。
ひとり一人お金を集め箱に入れていた。
映画は父か祖父と行っていたが、良やんは私の顔を見るとおんぶされるように口を出した。
そして、
「まだ歩けんのは子供じゃあない」と無料にしてくれた。
この好意に感謝していたが・・・・だんだんと身体が大きくなり、おんぶの状態でその場所を通るのが明らかに不自然になった。恥ずかしかった。
良やんはそれでも無料にしてくれた。
4年生か5年生になり、近所の子供同士で行くことがあり、その時からお金を払うようになった。
茂平の映画は、「良やん」の好意と、いつまでも「おんぶ」されたことを思い出す。
一円札・拾円札・百円札
一円札
家の近くに恵比寿っさんの社があった。
恵比寿っさんにお賽銭があり一円札が何枚かあった。
そのうちアルミ貨の一円玉も置かれるようになった。
1円玉を見るようになって一年ほど経ち、一円札は見ないようになった。
それからは、まったく見ないようになった。今は完全に思い出の中だけになった。
十円札
子供に身近なお金は1円・5円・10円だった。
五円札は無かった。五円玉だった。
一番よく使ったのが十円札と十円玉だった。
比較的長く10円札と10円玉が併用された。
百円札
お年玉にもらっていた。その日の内に、親に徴収された。
親はその百円札を、もらった親の子にお年玉で渡していた。
そうやって親類同士でまわしていた。
五百円札
岩倉具視の顔はよく覚えているが、それ以上の記憶がない。
千円札
高校の修学旅行の旅費を学校に納めるとき、初めて手にした。
一万円札
高校の理科の時間、級友から「いいものを見してやる」と言われた。
それが初めて見た一万円札だった。
その友は真鍋島の出身で笠岡に下宿していた。
たぶん、下宿費を親からもらった(預かる)ばかりだったのだろう。
当時は、高校生が手にするお金ではなかった。
茂平集会所の映画は、興行は金浦座で、茂平の世話は「浜の良やん」がしていた。
良やんは入口に主同然に座って料金を集めていた。
ひとり一人お金を集め箱に入れていた。
映画は父か祖父と行っていたが、良やんは私の顔を見るとおんぶされるように口を出した。
そして、
「まだ歩けんのは子供じゃあない」と無料にしてくれた。
この好意に感謝していたが・・・・だんだんと身体が大きくなり、おんぶの状態でその場所を通るのが明らかに不自然になった。恥ずかしかった。
良やんはそれでも無料にしてくれた。
4年生か5年生になり、近所の子供同士で行くことがあり、その時からお金を払うようになった。
茂平の映画は、「良やん」の好意と、いつまでも「おんぶ」されたことを思い出す。
一円札・拾円札・百円札
一円札
家の近くに恵比寿っさんの社があった。
恵比寿っさんにお賽銭があり一円札が何枚かあった。
そのうちアルミ貨の一円玉も置かれるようになった。
1円玉を見るようになって一年ほど経ち、一円札は見ないようになった。
それからは、まったく見ないようになった。今は完全に思い出の中だけになった。
十円札
子供に身近なお金は1円・5円・10円だった。
五円札は無かった。五円玉だった。
一番よく使ったのが十円札と十円玉だった。
比較的長く10円札と10円玉が併用された。
百円札
お年玉にもらっていた。その日の内に、親に徴収された。
親はその百円札を、もらった親の子にお年玉で渡していた。
そうやって親類同士でまわしていた。
五百円札
岩倉具視の顔はよく覚えているが、それ以上の記憶がない。
千円札
高校の修学旅行の旅費を学校に納めるとき、初めて手にした。
一万円札
高校の理科の時間、級友から「いいものを見してやる」と言われた。
それが初めて見た一万円札だった。
その友は真鍋島の出身で笠岡に下宿していた。
たぶん、下宿費を親からもらった(預かる)ばかりだったのだろう。
当時は、高校生が手にするお金ではなかった。