しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

背負われて料金所をとおる

2020年05月25日 | 城見小・他校
茂平集会所の映画

茂平集会所の映画は、興行は金浦座で、茂平の世話は「浜の良やん」がしていた。
良やんは入口に主同然に座って料金を集めていた。
ひとり一人お金を集め箱に入れていた。
映画は父か祖父と行っていたが、良やんは私の顔を見るとおんぶされるように口を出した。
そして、
「まだ歩けんのは子供じゃあない」と無料にしてくれた。
この好意に感謝していたが・・・・だんだんと身体が大きくなり、おんぶの状態でその場所を通るのが明らかに不自然になった。恥ずかしかった。
良やんはそれでも無料にしてくれた。
4年生か5年生になり、近所の子供同士で行くことがあり、その時からお金を払うようになった。
茂平の映画は、「良やん」の好意と、いつまでも「おんぶ」されたことを思い出す。



一円札・拾円札・百円札

一円札
家の近くに恵比寿っさんの社があった。
恵比寿っさんにお賽銭があり一円札が何枚かあった。
そのうちアルミ貨の一円玉も置かれるようになった。
1円玉を見るようになって一年ほど経ち、一円札は見ないようになった。
それからは、まったく見ないようになった。今は完全に思い出の中だけになった。
十円札
子供に身近なお金は1円・5円・10円だった。
五円札は無かった。五円玉だった。
一番よく使ったのが十円札と十円玉だった。
比較的長く10円札と10円玉が併用された。
百円札
お年玉にもらっていた。その日の内に、親に徴収された。
親はその百円札を、もらった親の子にお年玉で渡していた。
そうやって親類同士でまわしていた。
五百円札
岩倉具視の顔はよく覚えているが、それ以上の記憶がない。
千円札
高校の修学旅行の旅費を学校に納めるとき、初めて手にした。
一万円札
高校の理科の時間、級友から「いいものを見してやる」と言われた。
それが初めて見た一万円札だった。
その友は真鍋島の出身で笠岡に下宿していた。
たぶん、下宿費を親からもらった(預かる)ばかりだったのだろう。
当時は、高校生が手にするお金ではなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする