しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

死んだ人・・・その2

2020年05月19日 | 昭和20年(終戦まで)
まぼろしの従兄

近くに住むおば(父の妹)は高齢となって、もう2年ほど会っていない。
おばに長男は二人いる、いた。
昭和19年に満州帝国で最初の長男を産んだ。
次に笠岡市で昭和30年ごろ(二人目の)長男を産んだ。
最初の長男は満州帝国の崩壊で、混乱の最中に失った。

おばは
昭和18年、結婚と共に満州に渡り
昭和19年、長男を産んだ。
昭和21年、夫と二人で笠岡に帰った。

「子供がいないかったから日本に帰れた」という話を、おばから聞いた時、
自分の喉が絞めつけられ、呼吸ができないほどの衝撃を受けた。

子供はいた。
おばに男の子がいたことは、父や母の話で間違いない。
その子は、
死んだのだろうか?中国残留孤児で生きているのだろうか?
残留孤児が新聞テレビで報道された時代、おばはどんな気持ちだったのだろう?

おばは帰国後、三人の子を授かった。
おばの胸に満州の子は無かったことになっている。
そして満州帝国自体に戸籍制度もなかった。
真実はもう確かめようもない。

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死んだ子

2020年05月19日 | 城見小・他校
死んだ子

オオバコの娘
宮ノ崎の畑にはイチジクや薩摩芋を植えていた。
ときどき畑に遊びに行った。
隣の畑にも、同じ年の女の子が遊びに来ていた。
堂面川が流れ、その川に笹の葉で船を作って浮かばせて、どちらの船が遠くまで流れるか競争していた。
道にオオバコが生えていた。
オオバコの茎を交わらせて切れるまで勝負した。
その子とそうやって遊んでいたが、
遊んでいた3日後位に、突然伝染病で亡くなった。
その親は「畑でナスビを食べたのが悪かった」と話したそうだが、
ナスビをかじっているのを何度も見たことがある、
おいしいのでなくて、しかたなく空腹に物を通しているように思っていた。
その女の子の名は、どうしても思い出せない。

戦争未亡人の子
近所で親類でもある家に二人姉妹がいて、その姉妹は私の姉の年齢と上下ひとつ違いの良い遊び相手だった。
ときおり、姉の後ろをついて遊びに行っていた。
その家のえんだ(濡れ縁)には少女雑誌が一冊あって、グラビアに美空ひばりの映画「娘船頭さん」の写真が載っていた。
その二人姉妹のお姉さんの方が、赤痢にかかってあっけなく死んだ。
そして10余年後に妹さんに縁談があった。
お相手の男性が「お母さんを大切に」と言った瞬間に、その男性と結婚することを即決したそうだ。
そしてまた30年たち、40年たち、そのお母さんは老いていったが娘夫婦の愛情と、遺族年金のおかげで、長く大切にされ、幸せに暮らしたそうだ。
亡くなった少女は「くにちゃん」と呼んでいた。
”娘船頭さん”を何かで見る度に、その戦争遺族の子とお母さんを思い出す。

お腹がいたくなって死んだ子
小学校の一年生か二年生の時、茂平の同級生の子(女性)が死んだ。
同級の生徒全員と先生とで歩いて葬式に行った。
その日か、後の日か
先生がクラス全員に鉛筆を一本ずつ配った。
亡くなった家からだそうで、
亡くなったのは
「お腹がいたいゆうので、寝とけぇ」と子に言ったら、
その子は布団の中に寝ていた。
そして、そのまま亡くなったそうだ。
子供心に気の毒と思ったが、
あの頃は、不思議でも何でもない出来事だった。
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「生きている兵隊」③その後

2020年05月19日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)
「戦争と検閲」河原理子著 2015年発行 岩波新書 より転記する。

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1937年~1938年の曲がり角
いまふりかえると、「生きている兵隊」事件は、日本の曲がり角で起きた。
日中全面戦争を機に、さまざまな統制が一気に強められる渦中に起きた。
中央公論3月号に「生きている兵隊」発禁処分と、「国家総動員法」の記事とが載っていた。

1938年武漢へ再従軍
執行猶予付き有罪判決後すぐ、中央公論社の特派員として再従軍。
武漢攻略戦を取材した。(1938.9.12~11.20)
今度は注意深く書き、作家としての命脈をつないだ。

1942年シンガポールへ
海軍報道班としてベトナム、シンガポールへ渡った。
短編を発表したが印象に残る作品でなかった。


高見順「敗戦日記」
昭和20年9月30日
マッカーサー司令部が新聞並びに言論の自由に対する新措置の指令を下した。
 これでもう何でも自由に書けるのである!
 これでもう何でも自由に出版できるのである!
生まれて初めての自由!
 自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは、
--かえりみて羞恥の感なきを得ない。


「生きている兵隊」発行
昭和20年秋、河出書房から発行が決まる
初めて一般の人たちの目に触れることになった。
「部隊」は、大隊や小隊等になった。
抜けていた文字、兵や死体も直された。
伏字は埋められた。

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