しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

日中国交化

2017年06月22日 | 昭和41年~50年
今中国は飛行機で1~2時間、広島空港や岡山空港からもひとっ飛び。
しかし国交がない約30年間はヨーロッパやアメリカよりも遠かった。

昭和47年の田中角栄首相の訪中、共同声明によって国交正常化へ向かった。
山陽新聞より転記する。

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2017年6月14日・山陽新聞
「人生を語る」・日中国交正常化 元通産事務次官 小長啓一


田中角栄さんは「一番難しい問題に挑戦し、決断しなければならない。あとは歴史の審判を待つ」と話されていた。
「毛沢東主席、周恩来首相の革命一代目のうちに解決しないと、2代目、3代目になると利害関係が複雑になり話がまとまらなくなる」

9月、大平外相や二階堂官房長官らと北京にむかった。国交のない国では何が起こるかわからない。食事に毒が盛られているかもしれないと本気で心配した人、遺書を用意した人もいた。みんな決死の覚悟だった。

北京空港では周恩来首相の出迎えを受けた。人民会堂では一人一人と握手して回り私の前に来ると「あなたが日本列島改造論のゴーストライターですか」と言った。
驚いた。中国の事前調査は大したもんだと思った。田中さんには好物のあんパンまで用意してあった。

翌日の首脳会談では過去の日中戦争が、当然最大論争点になった。
周氏は中国の十数カ所の地名を挙げ、どの場所では当時の日本軍が中国人民を何千人殺した、婦女暴行があった、家を破壊した、食糧を略奪した・・・と事実関係を詳述した。

私は別室で待機していたが、交渉が終わった直後の興奮冷めやらぬ田中さんからやり取りの一部始終を聞いた。
その後、日中共同声明の調印にこぎ着けることになる。

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