しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

物々交換

2015年07月21日 | 暮らし
各地域の物々交換や行商人を記す。






金光町史より

竹の皮と飴
大正の頃、福山から竹の皮を買いに来る人がいた。藪に行って皮を集めていた。仲買は現金でなく丸棒のお多福の絵が断面に出る飴で、夏になると仲買人が来るのを楽しみにしていた。
イリコと米
寄島の造り酒屋が大八車を引いて米を買いに来ていた。家を回ってはイリコ一袋と米何升と交換していた。
山繭と飴
山に行って山繭を集めておくと買う人が来て、繭一個に対して飴三個と交換してくれ、子供たちの楽しみの一つだった。
煎餅と米
金光駅の駅前に煎餅屋があり、米と煎餅を交換してくれていた。
うどんと小麦
鴨方のうどん製造ではうどんと小麦を交換していた。交換比率は店が決めていた。
小麦粉と小麦
小麦・蕎麦を粉屋に加工してもらっていた。交換比率は7対3くらいだった。
白下とサトウキビ
終戦後の砂糖不足の時、サトウキビを金光駅前にあった加工場へ持っていくと量を計って白下と交換してくれた。甘味がすばらしかったと古老は話している。
卵と日用品
軒下で飼う鶏の卵を貯めておくと行商人が日用品と物々交換してくれた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おばの話・戦前の城見小  修正・追加予定

2015年07月21日 | 昭和元年~10年
おばは大正12年8月茂平生まれ。城見尋常小学校に6年、城見高等小学校2年。(7才~14才)。昭和4年~昭和12年在校。


おばの話(テープの起こしが未完成で修正や追加予定)


兵隊の面接




戦死者の村葬は?
記憶はない


皇太子の祝い

皇太子が生まれた時は歌を歌って祝った。
にぎやかに祝った、みんな喜んで騒いだ。

武漢三鎮陥落の祝い
記憶にない。


兵隊さんの汽車
授業はそっちのけで送りょうた。
日の丸の旗はいつも準備していて、鉄道のゲシで全校生徒で送りょうた。
逆に兵隊さんがお菓子を投げて呉りょうた。慰問袋から取りだして。
貸し切りで、列車すべて軍人さんじゃ。今考えれば、死にいくのでああして送りょうたんかなあ思う。




弘化3年(1846)9月20日生まれの由久ばあさんの事

由久ばあさんは管理人のひいひい婆さん。昭和18年に98才で亡くなった。
夫・富次郎は天保11年(1840)生まれ。

「嫁に来たらのう、もうお歯黒をせにゃあいけんだ」ゆうてようた。
けど、物心がついた頃にはしてなかった。実際にしたのを見たことはない。

仕事はせずに留守番をしょうた。畑に出たり、草を取るゆうのはもうしていなかった。
呆けることはなかった。夜はいっしょに寝ようた。


郵便屋

夜灯のとこで縄跳びして遊びょうた「♪郵便屋さん、早よ走れ、かれこれ12時じゃ・・・・」
当時の郵便配達の人は

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

糸つむぎ・ハタ織り (神島村史から)

2015年07月21日 | 暮らし


衣類は自給自足で、ほとんど女性が手がけた。
明治時代までは女は綿を畑で作り、それをつむいで家中の者の着る物、フトン、カヤ、前掛、手拭、穀類を入れる袋まで自分で織ったのである。
家の者に四季着せたものを傷んだら解いて洗い直し、繕いをしてよれ替えて縫い直し、着れなくなるまで着た。
少しでも無駄な布は無く、古くなって使えなくなったらぞうきんや、草履あみに組み入れた。
野良仕事、寒気の機織り、夏期の真田編み、縫い物、育児洗濯、台所仕事、養蚕と、女は働き通しであった。




糸つむぎ・ハタ織り

綿は八十八夜にまく。収穫は八月九月。
綿がふいてくると摘んで帰って干し、綿繰り機で実を落し、綿打屋に棉打ちをしてもらった。
綿を箸を芯にして巻取り、シノを作った。
糸引き車を右手で回し、左手でシノから糸を引出てよりをかけて糸にした。
糸が太いと織り上がったら厚手の木綿となった。

ハタ織り
綿糸の輸入と共に国内の綿作がすたれ、ハタオリも戦後なくなった。


糸染め
ハタオリが盛んなころ、神島にも紺屋があって藍染をしていた。
神島公会堂の裏にも紺屋があって、各家は自分で織った糸を藍染してもらっていた。

紺屋にはいつくもの藍かめがあって、濃い順に紺、オリイロ、浅黄、よもぎなどに染め分けた。

養蚕

幕末から明治になって養蚕が普及、綿畑は桑畑へとバトンタッチ、
生糸の輸出が増え、養蚕は盛んになり、春蚕、夏蚕、秋蚕と忙しく、
寝るところもないほど蚕棚をつくった。
これは大変な収入源にもなった。
まゆを10日置くと蛾になるので、早めに木灰(あく)叉は炭酸を入れて大きな釜で炊いて、3~8個の繭の糸を合せて一本にする。
繭の中のさなぎは飼料にした。

スガ糸

蚕の糸をスガ糸といって、織ると木綿と違って良い着物ができた。
織る前に糸を練るため木灰のあくで煮て織り、この白反を染物屋で好きな色に染めてヨソイキとした。

真綿

まゆからとった糸を真綿といい、背当てのように作ったものを上着の下に着ると軽いうえに暖かだった。

手縞
自分の家で織ったものを手縞といった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする