岡山県史近代Ⅲより転記する。
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赤柴部隊の独流鎮の戦いの報道が、県民に伝えられている最中の、8月24日だけの記事のなかにも、凝縮して現れている。
まず、県知事以下県会議員が先頭になって「国威宣揚」「皇軍武運長久」の祈願を行う。吉備津神社。
総社町 帝国在郷軍人会吉備郡連合分会主催、郡下各町村分会長会を開催。
在郷軍人会を中心に市町村や警察が乗り出して、各地域に銃後後援会=軍人後援会あるいは国防婦人会が組織されていく。
倉敷市大高学区内 郷軍、消防、生徒、市議、町総代、国防その他の婦人団体、産組、宗教団体各総代50余名集合して軍務公用者並びに遺族家族の救護に関する協議会を開催。
金光町 金光町軍人後援会創立総会が町小学校講堂で開催。各代表120名。
刑部町 国防婦人会結成式結成式。会員450名出席。終わって武運長久祈願祭を村社で執行した
こうして、銃後における戦争熱が高まる中、次々と歓呼の声に送られて出征した兵士たちも、その多くが、やがて「白木の箱」で故郷に帰ってくる。
先の諸団体は、その戦死者を村を挙げて英雄として祀り、戦争熱をさらに増幅し扇動していったのである。