父の所属する部隊の記録を転記する。
「岡山県郷土部隊史」より転記
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(昭和13年)
8月17日~20日帰徳を出発して徐州を経て8月19日~22日蛙埠に列車輸送で着く。
8月21日~22日蛙埠を出発して徒歩行軍で陳橋・武店・永康鎮・朱家昭・東郭家戸・商家集・路々集・四十頭と露営を重ねて8月27日~30日慮州に入る。
この頃第10師団は第3師団と共に、六安・固始・光州の線を進む。
第10師団でも歩兵8旅団が先頭になって進んだが、8月末の炎天下であり、日射病にかかる者多く、かつコレラ患者が発生して倒れるものも多く、行軍の労苦をしみじみと味わう。
兵隊は唯だ黙々と歩み続けるのであるから、その労苦は倍加し、敵兵の出現を願う気持ちになる。ひと休み出来るからである。
「岡山県郷土部隊史」より転記
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(昭和13年)
8月17日~20日帰徳を出発して徐州を経て8月19日~22日蛙埠に列車輸送で着く。
8月21日~22日蛙埠を出発して徒歩行軍で陳橋・武店・永康鎮・朱家昭・東郭家戸・商家集・路々集・四十頭と露営を重ねて8月27日~30日慮州に入る。
この頃第10師団は第3師団と共に、六安・固始・光州の線を進む。
第10師団でも歩兵8旅団が先頭になって進んだが、8月末の炎天下であり、日射病にかかる者多く、かつコレラ患者が発生して倒れるものも多く、行軍の労苦をしみじみと味わう。
兵隊は唯だ黙々と歩み続けるのであるから、その労苦は倍加し、敵兵の出現を願う気持ちになる。ひと休み出来るからである。