しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」あかあかと日は難面もあきの風 (石川県金沢市)

2024年09月07日 | 旅と文学(奥の細道)

金沢で、弟子や縁者に囲まれ、すっかりくつろいだ芭蕉の様子が句にあらあれている。


金沢は、太平洋戦争で米軍の空襲をまぬがれ、現在も加賀百万石の城下町の雰囲気がよく残っている。

 

・・・


「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行

 

十七日は、浅野川の大橋付近にあった北枝亭に招待された。
曽良は気のゆるみが出たせいか、寝込んでしまって、お供はしなかった。
芭蕉はこの席で、

あかあかと日は難面もあきの風 芭蕉

という句を披露した。
越中路から金沢へ入る途中、十三日、十四日、十五日といずれも快晴で、暑気が甚だしかった。
加賀の大国に入るのだと、心をふるいたたせてみても、身心の疲れはどうすることもできなかった。
十四日は大暑と疲労のために気分がすぐれなかった。
炎暑の中を歩き続けたので身心ともに疲れ果てたのである。

あかあかとした夕日を顔にうけながら、うら寂しい秋風の吹く中を、旅を胸に抱いて、
とぼとぼと歩いて行く旅人の思いを描き出した句である。


・・・

 

 

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旅の場所・石川県金沢市    
旅の日・2016年2月2日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

 

あかあかと日は難面もあきの風

「あかあかと」は真赤な夕陽、「難くも」は「つれない顔をして」いること。
秋になったのに日は赤々と照りつける。ここにも一笑への追悼がある。
忍者寺で知られる妙立寺の裏が願念寺で、門前に芭蕉「塚も動け............」の句碑がある。 
願念寺は小さいながらも、鐘楼があり、真宗独特の大屋根を持つ本堂といい、コンパクトに一山を構えている。
境内には一笑塚があり、一笑辞世の「心から雪うつくしや西の雲」の旬が彫られている。
芭蕉が金沢へ着いたのは七月十五日で、二十四日まで九日間滞在した。

 

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「わたしの芭蕉」 加賀乙彦 講談社 2020年発行

あかあかと日は難面も秋の風

これも、太陽と風の二点セットである。 
「あかあかと」でA音の勢いがつき、残暑の日光の力を感じさせられる。
一転、秋の冷風で慰められ、そこにもA音が用いられていて、
 自然の力と慰めが見事に表現されている。

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「奥の細道」秋涼し手毎にむけや瓜茄子 (石川県金沢市)

2024年09月06日 | 旅と文学(奥の細道)

ナスビは江戸時代に急速に普及し、戦前まで果菜類のなかで最も生産量が多かった。
庶民はぬか漬けで食用し、武士やお金持ちの家では焼いても食べていたのだろう。
縁起もよく「一富士二鷹三茄子」、夢や絵画に登場する。

 

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「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行


その夜は雨がひどく降って、明け方まで続いたが、
十八日、十九日はともに快晴で、俳人たちが芭蕉のもとに集まって来た。
二十日は斎藤一泉の松玄庵に招待された。
松玄庵は松幻庵、少幻庵などとも書き、犀川のほとりにあった。
このあたりは川幅も広く、中洲もあって、川を渡る風は涼しく、掬すべき風情があった。
この日の献立は、芭蕉の希望したように、たいそうあっさりしたものであった。
芭蕉はこの席で、
残暑しばし手毎にれうれ瓜茄子 芭蕉
という句を作ったが、これは改作されて、

秋涼し手毎にむけや瓜茄子 芭蕉

となった。
秋も初めの頃で、まだ暑さが残っていたが、どことなく涼気がうごいていた。
瓜茄子をめいめいに皮をむいていただこう、とくつろいだ気分を出したのである。


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旅の場所・石川県金沢市    
旅の日・2016年2月2日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

 

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

枕すゞし手毎にむけや瓜茄子


犀川のほとり一泉庵での吟。
秋の涼気を覚える新鮮な瓜や茄子を馳走された。さあ、皮を剥いていただこう。
秋とはいえ残暑がつづく日、いただいた茄子を「手ごとにむこう」という即興で、
「手毎にむく」は「手向ける」(没した一笑へのたむけ)の気持がある。

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「奥の細道」塚も動け我泣声は秋の風 (石川県金沢市)

2024年09月05日 | 旅と文学(奥の細道)

芭蕉は新潟県、富山県を歩き、やっと門弟の多い加賀百万石の城下町金沢に着いた。
届いた知らせは、楽しみにしていた一笑の訃報だった。
去年の冬に若死にしていた。

芭蕉は塚が動くほどに泣いた。

 

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

金沢には一笑を中心にして、蕉門のグループがまだ見ぬ師の来訪を首を長くして待っていた。
あまり芭蕉に心を寄せる者のいないみちのくや越路の長旅の後に、
そのような加賀衆に会うことは、芭蕉にとってもこの旅の楽しみの一つであった。

芭蕉が、いかに、一笑との対面を心に抱きながら、歳月を経てきたかがわかる。
一笑への愛情は数年にわたって持続され、昴まってきたもので、その金沢に折角たどりついてみれば、
もはや一笑は影も形もないのである。
この句にはその悲しみが激しく表出されている。
塚も鳴動してわが慟哭の声に応えよ、といっているのだ。

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旅の場所・石川県金沢市    
旅の日・2015年3月10日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

塚も動け我泣声は秋の風

金沢入りした芭蕉のもとへは前田家の息のかかった俳諧師が集まってきた。
さっそく竹雀 (旅館・宮竹屋)と一笑 (茶屋)へ連絡すると、一笑は七ヵ月前三十六歳で没していた。
じつのところ、芭蕉は事前に一笑が没したことを知らされていた。
金沢に寄ったのは一笑の追善が第一の目的だった。
芭蕉を迎えて、一笑の追善会が墓のある願念寺で催された。 
江戸時代の連衆は追悼して大声をあげて泣く。
塚も鳴動して、私の慟哭の声は秋風となって吹きめぐる......。

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「奥の細道」わせの香や分入右は有磯海  (富山県那古の浦)

2024年09月04日 | 旅と文学(奥の細道)

市振を発った芭蕉は加賀百万石の城下町金沢に向かった。
越中の黒部川、庄川、小部川を渡ると加賀が近くなった。
そこに、万葉集の歌枕”有磯海”がある。
源義経一行の、雨宿り伝説の残る「有磯海」を訪れた。

 

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旅の場所・富山県雨晴海岸    
旅の日・2015年8月1日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

わせの香や分入右は有磯海


歌枕担籠は『万葉集』以来藤の花の名所であるから、
藤の花咲く「春ならずとも初秋の哀とふべきものを」と執心を燃やした芭蕉であるが、
結局は諦めざるを得なかった。 
その心残りを託したのがこの一句で、七月十 四日(陽暦八月二十八日)のことである。
今や加賀の国にはいろうとしているが、この黄金の穂波の遥か彼方には行くことを断念した有磯海が 青々と広がり、白波が打ち寄せていることだろう、の意。

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

わせの香や分入右は有磯海 

富山県高岡から広い早稲田の平香がする岸に分け入り、倶利伽羅峠をめざした。
峠から右手を見ると、はるか彼方に有磯海が望見された。
高岡から倶利伽羅峠へむかう海岸を雨晴海岸という。
海峡ごしに雪の立山が連なって見える。
雲に海の色が反射し、青い影となっている。この海が有磯海だ。
佐渡の荒海とはちがって、おだやかな海である。
その有磯海へむかう高揚感があふれている。
日本海は芭蕉の目前で、その様相をさまざまに変化させて、それにつられて芭蕉の心も揺れ動く。
曾良は「翁、気色勝らず 暑さ極めて甚だし」(『旅日記』)と書いている。
あんまり暑いので芭蕉さんの体調はすぐれない。
この日の行程は九里半(三八キロ)であった。
金沢はもう目の前である。
ここまできたら、さきを急ごうと腹をきめて、旧北国街道を南下し 倶利伽羅峠を越えた。 
標高二七七メートルの倶利伽羅峠は源平合戦の古戦場で、木曾義仲が平家の大軍を破ったところである。
芭蕉は義仲が好きで墓は故郷の伊賀上野でなく大津の義仲寺にある。

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「奥の細道」一家に遊女もねたり萩と月  (新潟県市振)

2024年09月02日 | 旅と文学(奥の細道)

新潟県糸魚川の駅前から歩いて、通りを日本海に向かうと左手に北アルプスの北端が見えた。
北アルプスは急角度で日本海に飛び込むように終了する。
その崖下が「親知らず」「子知らず」「犬戻り」「駒返し」で、白波が狭い渚を洗っている。
すごい光景だ。


越後と越中の国境、市振の町には糸魚川駅から市振駅まで鉄道(旧北陸本線)で行った。
トンネルの合間から何度もチラリと日本海が見える。
その海岸線の「恐怖」を車窓からもじゅうぶん感じられた。


市振駅から芭蕉や遊女が泊った町に向かって歩いていると、
交通が発達した現代でさえ、遠いところに来たなあと思った。

 

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

市振(いちぶり)

今日は親不知・子不知・犬戻り・駒越しなどという北国一の難所を越えて疲れたので、
枕を引き寄せて早く寝ると、 一間隔てて表の部屋に、二人ばかりらしい若い女の声が聞えてくる。
年老いた男の声も交って物語するのを聞いていると、二人の女は越後の国新潟というところの遊女であった。
伊勢参宮をしようとして、この関まで男が送って来て、明日は男を故郷へかえすので、返す文をしたため、
とりとめない伝言などをもしてやるところであった。

翌朝出立のとき、われわれに向って、「行方も分らぬ旅路の憂さ、あまり不安で悲しうございますので、
見えがくれにも御跡を慕って参りたいと存じます。
坊さまのお情で、広大な慈悲心をお恵み下さって、
どうか私どもにも仏道に入る縁を結ばせて下さいませ」と言って、油を落した。 
「お気の毒とは存ずるが、われわれは所々で滞在することが多い。
ただ人の行く方向に向って行きなされ。神様の加護でかならず無事に着けましょうぞ」
と言い捨てて立ち出でたが、あわれさの気持がしばらくは止まないのであった。

一家に遊女も寝たり萩と月

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旅の場所・新潟県糸魚川市青海町市振
旅の日・2020年1月29日   
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

今日は親しらず子しらず・犬もどり・駒返しなど云ふ北国一の難所を越えてつかれ侍れば、
枕引きよせて寐たるに、一間隔てて面の方に、若き女の声二人ばかりときこゆ。
年老いたるおのこの声も交り物語するをきけば、
越後の国新潟と云ふ所の成りし、伊勢参宮するとて、此の関までおのこの送りて、
あすは古郷にかへす文したためて、はかなき言伝などしやる也。

「白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、
日々の業因、いかにつたなし」と、物云ふをきく寐入りて、あした旅立つに、我にむかひて、
「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍らん。
衣の上の御情に、大慈のめぐみをたれて結縁せさえ給え」と泪を落す。
不便の事には侍れども、
「我々は所々所にてとまる方おほし。
只人の行くにまかせて行くべし。
神明の加護かならず恙がなかるべし」と云捨てて出でつつ、哀さしばらくやまざりけらし。

一家に遊女もねたり萩と月

曽良にかたれば、書きとどめ侍る。

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(桔梗屋跡)

 

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

 

一家に遊女もねたり萩と月

芭蕉が市振の宿に泊まると、隣の部屋に二人連れの遊女がいた。
伊勢参りをするため、 新潟からきた遊女であった。
翌朝、遊女から「見え隠れしながら後をついて行きたい」と涙を流して頼まれた。
しかし、「われらは風まかせの旅である」と断り、「神様のご加護で無事に行けるだろう」とはげました。

同じ旅の宿に遊女と泊まりあわせると、庭さきに萩が咲き、月光がさしていた。
ここで読者は、「やや! 遊女が出てきた」とガゼン目をみはることになる。
『ほそ道』には、いくつもの仕掛けがあり、
前半の日光に対して後半の月光(月山)、
松島に対して象潟、という陰陽の対比がある。
『ほそ道』の前半に「かさねという名の少女」が出てくる。
那須の黒羽で「かさね」という少女に会った。聞きなれない名であるが、
撫子の花弁をかさねといった。
那須では撫子、市振では萩の花。

萩の花を遊女にみたて、月光を世捨て人である自分に見たて、
芭蕉が遊女たちと泊まりあわせているが「萩と月」なのだ。
寂しい町であっても、色っぽいつやが漂い、これもフィクションである。

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・・・


「奥の細道」の解説書には、例外がないほどに、
この遊女たちとの一夜は作り話であると書かれている。
その解説は必要があるのだろうか?

紀行文「奥の細道」は江戸を発つときからして、
”鳥啼 魚の目は泪”とありもしないことを書いている。
道中で人との出会いを場所や時間を入りまぜ、脚色した話があっていいし、
それでこそ名作と思う。

多くの芭蕉学者が、「ウソの話です」とわざわざなぜ言うのだろう?

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「奥の細道」荒海や佐渡によこたふ天河  (越後路)

2024年09月01日 | 旅と文学(奥の細道)

日本でもっとも有名な俳句のひとつ、「荒海や佐渡によこたふ天河」。
深い意味も、学者先生によればいろいろ解釈や論説もあるのだろうが、
この句は万人にわかりやすい。
説明が不要な(邪魔)な名句。
誰でも作れそうな句で、「荒海」「佐渡島」「天の川」を並べているだけ。
そして皆、自由に
自分の思ったり・見たりした荒海や、佐渡島や、天の川を頭の中に浮かばせる。
楽しませ忍ばせ、しかも雄大の、すばらしい句。

 

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旅の場所・新潟県糸魚川市     
旅の日・2020年1月29日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「わたしの芭蕉」 加賀乙彦 講談社 2020年発行

荒海や佐渡によこたふ天河

この作品はすばらしい。その迫力に圧倒される。
荒海とは、八月半ばから冬にかけて、強い北風が起こす力一杯の波である。
北から押し寄せてくる波また波に洗われている佐渡島が、
流されてきた流人たちの苦痛を示すように浮いている。
その上になんと天河が流れているではないか。
人間の苦しみなど知らぬげに 巨大に美しい星の河だ。
この一句、視線が足元から水平線、島、天と上に昇るにつれて、美しく平和になっていく。
なんと不思議なことだろう。

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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

荒海や佐渡によこたふ天河

七月三日(陽暦八月十七日)新潟を立った芭蕉は弥彦明神に参詣、
翌四日、日本海沿岸を歩いて佐渡が島への渡船場出雲崎にはいった。
この間の印象をまとめたのが「荒海や............」の句で、七日、直江津の俳席で七夕の句として発表したものと 思われる。 
季語は「天河」で秋七月。
眼前の日本海には荒波が立ち騒ぎ、
黄金の島でありながら、流人の島としての名も高い佐渡が島と本土とを隔てている。
仰ぎ見る七夕の夜空に今宵牽牛・織女の二星が相会うという天の川が、
白く輝きながら佐渡が島の方に流れている、の意。
佐渡が島と本土を隔てる波の荒い日本海、本土と佐渡を結ぶように夜空に横たわる天の川、
雄大な大自然の景を叙しながら、人間の運命の悲しさを感じさせるような句である。

・・・

 

名句になると場所取り競争が生じる。

出雲崎?直江津?柏崎?

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

「荒海や」の有名な句はどこで詠まれたのか。
いまでも出雲崎と直江津とで争っている。
道筋からいえば、その中間の柏崎も、名のりをあげる資格があったはずだが、
芭蕉の宿を断わって、不快な目にあわせたばかりに、その資格をうしなった。

越後路だったら、どこだっていいではないかと言いたいが、
土地の人たちの気持としては、自分のところへ引きつけたいのだろう。
だが、芭蕉が書いた「銀河の序」には、はっきり出雲崎と書いてある。

出雲崎に泊まったのは七月四日。翌日は、柏崎で断られて鉢崎に泊まった。
六日は今町(直江津)の糖信寺で宿を断わられたので、懺然として行きかけると、
石井善次郎という男が芭蕉の名を知っていたのか、再三ひとをやって、もどるように懇願したので、
おりふし雨も降ってきたし、これ幸いと立てた腹をおさめて引き返した。


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「奥の細道」文月や六日も常の夜には似ず   (越後路)

2024年08月31日 | 旅と文学(奥の細道)

文月(ふみづき)は七月七日に七夕の月で、
七夕の日には和歌を読む(文を読む)ので”文月”となったそうだ。

六日の発句会で、芭蕉先生は七夕を待ちきれない純情なような、楽しさを感じる句を詠んだ。

 

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旅の場所・新潟県糸魚川市    
旅の日・2020年1月28日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

越後 

酒田の人々と名残を惜しんで日を重ねていたが、
これから出で立つべき北陸道の空を遠く望み、はるばるの旅の思いに胸を痛めた。

加賀の国府金沢までは、百三十里と聞いた。
鼠の関を越えると、越後の地に足を踏み入れ、越中の国市振の関に至った。
このあいだ七日、暑さと雨との辛労に心を悩まし、病気が起って、出来事を記さなかった。


文月や六日も常の夜には似ず

(七月と言えば、六日もふだんの夜とは違って、はなやいだ気持がする。
 六日は七夕の前夜である。)

直江津では七夕の前夜も暖かな祭をする風習があったという。
だがこの句は牽牛織女の二星が一年ぶりに会うという前夜だから、
空の様子も常の夜とは変って、なんとなくなまめいた趣に見え、
おのずから心がときめいてくるといったのである。

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「日本詩人選17松尾芭蕉」  尾形仂 筑摩書房 昭和46年発行


文月や六日も常の夜には似ず

『おくのほそ道』越後路の条に、「この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず」として、
「荒海や佐渡に横たふ天の河」の旬と併出する。

曽良の『随行日記』『俳諧書留』によれば、元禄二年七月六日夜、
直江津で左栗・眠疇・此竹・布嚢・右雪ら土地の俳人たちに曽良を交えて催された八吟二十旬の発句として披露されたもの。
「七夕近き夕べ、越の今町(直江津)といふ所に草枕す。
この所の人々尋ね訪れて、風雅のことどもなんど語り慰みて」という前書は、すなわち当時のものであろう。

「文月」は、陰暦七月の異称で、真淵・宣長・士清らはその語源を「穂含み月」ないし「穂見月」として農耕に関係づけて説いている。
「文月」という季語の中には、すでに「七夕」のイメージが内包されているわけで、「六日」というのは、その「七夕」のイメージを前提とした上での、その前夜。

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「奥の細道」波こえぬ契りありてやみさごの巣  (秋田県象潟)

2024年08月30日 | 旅と文学(奥の細道)

みさごの夫婦愛のような句。

芭蕉と曾良の旅は、酒田と象潟で佳境を超えた。
以後も越後・越中・加賀・越前へと旅をつづける。

 

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行


波こえぬ契りありてやみさごの巣   曽良

象潟の九十九島の中に鶚(みさご)島という名の島があって、
岩上にみさごの巣がかかっていた。
鶚は、雌雄の仲が睦じい鳥といわれている。
それが高い岩上に巣を作っているのは、波も越えることのできない夫婦の堅い契があってのことだろうか、
といったのである。

 

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旅の場所・秋田県にかほ市象潟町象潟島  蚶満寺    
旅の日・2022年7月11日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

象潟は由利郡象潟町にかつてあった潟湖である。
文化元年(一八〇四)の地震で地面がもりあがり、緑の景観はなくなった。
昔九十九島といわれた島はほぼ残っていて、 昔の湯は水田になっている。
五月雨の季節に田に水をはって早苗を植えるころ昔の景観のいくぶんをとり戻す。

世の中はかくてもへけり象潟や あまの苫屋を我が宿にして  能因法師 (後拾遺集)

さすらふる我が身にしあれば象潟や あまのとまやにあまたたび寝む   藤原顕仲 (新古今集)

象潟の桜は波に埋もれて 花の上こぐの蜑(あま)の釣舟   宗祇(名所方角抄)


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「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行

二十日も二十一日も快晴であった。三日に亘って続いた芭蕉、不玉、曽良の三吟歌仙はようやく完了した。
二十三日は近江屋三郎兵衛宅に招待された。 
近江屋は本町二丁目に住み、三十六人衆の一人で裕福な商人であった。
俳諧の嗜みもあり、俳号を玉志といった。招待されたのは芭蕉、曽良、不玉の三人で、
納涼の興に真桑瓜が出された。
「皆さんに句を作っていただきます。もし句のできないものは、瓜は召しあがれません」
とにかくたいへんなごやかな夜会であった。

 

二十五日にいよいよ酒田を出発することになった。
最上川の河口にある船に乗る渡し橋まで人々が見送りに来た。
不玉父子、徳左衛門、四郎右衛門、不白、近江屋三郎兵衛、加賀屋藤右衛門(任暁)、宮部弥三郎などであった。


酒田の滞在は象潟の三日を挟んで、六月十三日から二十五日に及んでいる。
不玉をはじめとして、道志など土地のおも立った俳人や富豪などと交歓し、かなり楽しくすごすことができた。

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「奥の細道」蜑の家や戸板を敷きて夕涼  (秋田県象潟)

2024年08月30日 | 旅と文学(奥の細道)

古代から昭和40年頃までの日本の夏は、国民ほぼ全員が夕涼みを楽しんでいた。
子どもとっては寝る前の楽しいひとときだった。
町の人は通りに縁台を出し、田舎の人は庭に涼み台を出し、それに座るだけ。
という単純な娯楽。

漁町の人は夕方から、翌日の天気を予想しながら海風にあたっていた。
象潟の人は”戸板を敷きて”の夕涼み。
どんな夕涼みもなつかしく感じるほどに、日本の夏から消えてゆく。

 

 

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旅の場所・秋田県にかほ市象潟町象潟島  
旅の日・2022年7月11日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

・・・


「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行

夜、宿に戻ったところへ、名主の今野又左衛門が訪ねて来て、
「この土地のいわれを書いた『象潟縁起』というものが伝わっていたのですが、
いつの間にかそれが 紛失して困っております。
ここへおいで下さった記念に、象潟の縁起をお書きいただきたいのですが」ということであった。
芭蕉は、「皆さんからお話をうかがって、できたら纏めて御覧に入れましょう」と応諾した。


美濃の国の商人宮部弥三郎という者が、芭蕉の来遊を知って、酒田から追いかけて来た。
俳号を低耳といい、言水の流れを汲む俳人であったが、生業は諸国を廻り歩く旅商人であった。
元禄元年(一六八八)、芭蕉が長良川の鵜飼見物をした時に同行したことがあるので、その足跡を慕って来たのである 。 
滞在中芭蕉のお伴をして歩いた。

象潟や蜑の戸を敷く磯涼み  低耳

という句を作ったが、これはのちに、

蜑の家や戸板を敷きて夕涼  低 耳

と改められて、「奥の細道」に採用された。 

・・・

 

・・・

「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行 


低耳とは「随行日記』の十七日の条に「弥三郎低耳、十六日ニ跡ヨリ追来テ、所々へ随身ス」
とある低耳である。
また二十五日の条に、酒田を発つ芭蕉を船橋まで送った人々の名前に宮部弥三郎とあるのもこの低耳である。

素直なところを賞して芭蕉は『奥の細道』の中に書き加えたのであろう。
蜑(あま)の茅屋には戸板を敷いて磯涼みをやっている、と珍しがった句である。
低耳は美濃長良の人で貞享五年(一六八八) 芭蕉が長良川の鵜飼を見た時からのつき合いであるらしい。
其角の「枯尾花」に、
鵜飼見し川辺も氷る泪哉
と芭蕉の追悼句を詠んでいる。
またまた商用のついでに象潟に行った時芭蕉にめぐり会い、細道に一句を採用された。一期一会の縁である。


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「奥の細道」象潟や料理何くふ神祭  (秋田県象潟)  

2024年08月29日 | 旅と文学(奥の細道)

高校生の時、古文の授業の「奥の細道」で、【象潟】を初めて知った。
地図をひろげると、あった。秋田県地図の下の方に⛬象潟が載っている。

あまりに遠方で、その地を訪れることは想像もできなかった。
しかしそれから数十年経つと、行くことが想像できるようになり
象潟へ行ってみたいと思うようになった。

東京駅発のバスツアーで2022年、「象潟」に着いた。
象潟の田んぼ道を歩いていると、なんか夢の中のような感じがした。
バスが象潟を発車すると「ついに象潟にきた」と、自分ひとりの感動と満足にひたった。

 

 

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旅の場所・秋田県にかほ市象潟町象潟島  
旅の日・2022年7月11日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行 

象潟や料理何くふ神祭    曽良


六月十七日は象潟の熊野権現の祭日であった。『書留」の十六日の条に
「佐々木孫左衛門尋テ休。衣類借り濡衣干ス。 
ウドン喰、所ノ祭二付而女客有ニ因テ、向屋ヲ借リテ宿ス」とあり、
「象潟や」はこの熊野権現の祭の句で、
村人はこの祭の日にいったい何を食うのだろう、といぶかったもの。
これではもう一つ奥へ届かない解釈だが、もともと句のモチーフに深みのない句である。

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「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行

寺から宿へ帰ったところ、ちょうど土地の祭りの行列が通ったので、それを見物したりしているうちに、
朝から降っていた小雨がやんで日が照り出した。
昼食後、この町の鎮守である熊野神社に参詣して、踊りなどを見た。
早目に夕食を済ませて、象潟に舟を漕ぎ出した。
今野加兵衛という者が、茶、酒、菓子などを舟に持ちこんで、何かと面倒を見てくれた。

能因島に舟をつけて、能因法師が三年の間幽居したと伝える遺跡も訪ねた。
この島は六百坪ほどの 小島であるが、象潟九十九島の一つに数えられている。
蚶満寺のある島には、西行が「象潟の桜は波に埋もれて花の上こぐの蜑の釣舟』とよんだという桜の老木があって、
地蔵堂の前の汀に、枝を水面にさし出していた。

 

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