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終わらない人・宮崎駿さん!〈英訳付〉

2016年11月22日 | たばこの気持ち
11月13日、NHKの『終わらない人 宮崎駿』を見ました。画面を見ながら、自分の老後を考えさせられました。そして、宮崎駿さんは78歳の今でも、本物のチェーンスモーカーなのですね。

On November 13th, I saw NHK's "Never-Ending Man Miyazaki Hayao".
While looking at the screen, I was made to think about my old age.
And Hayao Miyazaki is still a real chain smoker at the age of 78.



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ホオズキが色づく頃!

2016年11月21日 | ここで一服・水元正介
一昨日、がんこ 山野愛子亭の入口右手にスタンド灰皿があり、その脇でホオズキが色づいていました。
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『世界共和国へ』 (その25)

2016年11月21日 | O60→70(オーバー70歳)
【142ページ】強いられた技術革新
ゆえに、産業資本を特徴づける剰余価値は、マルクスが「相対的剰余価値」と呼んだものです。これは、技術革新によって労働生産性を上げ、労働者に支払われた労働力の価値以上の価値を実現することによって得られます。相対的剰余価値は、労働者を直接的に搾取するものではなくて、総体として労働者が自らの作ったものを買い戻すという過程を通して得られるのです。
資本は貨幣の自己増殖、つまり、M―C―M´(M+⊿M)として存在します。ゆえに,剰余価値がなければ、存続できない。その場合、商人資本が空間的に価値体系の差異から剰余価値を得るのに対して、産業資本は、技術革新や新商品開発を通じて、価値体系を時間的に差異化することによって、剰余価値を得ます。しかし、その結果、産業資本は存続するために、たえまなく技術革新を行うことを強いられます。人類史において、産業資本主義以後ほど、技術革新が加速された時代がないのは、そのためです。

【142~143ページ】労働者と消費者
あらためていうと、産業資本の剰余価値は、労働者が労働力を売り、そしてその生産物を消薯者として買い戻すという広義の「流通過程」にしかありません。このことは、剰余価値が個別資本においてではなく、社会的総資本において考えられねばならないということを意味します。マルクスはつぎのように言っています。

どの資本家も、自分の労働者については、その労働者にたいする自己の関係が消費者に〔たいする〕生産者の関係でないことを知っており、またその労働者の消費を、すなわちその交換能力、その賃金をできるだけ制限したいと望んでいる。もちろん、どの資本家も、他の資本家の労働者が自分の商品のできるだけ大きな消費者であることを望んでいる。だが、おのおのの資本家が自分の労働者にたいしてもつ関係は、資本と労働との関係一般であり、本質的な関係である。ところが、まさにそのことによって、幻想が、すなわち自分の労働者を除くそのほかの全労働者階級は、労働者としてではなく、消費者および交換者として、貨幣支出者として、自分に相対しているのだ――個々の資本家を他の全て の資本家から区別するなら、彼にとってこのことは真実なのであるが――、という幻想が生まれてくる。(中略)
資本を支配〔・隷属〕関係から区別するのは、まさに、労働者が消費者および交換価値措定者として資本に相対するのであり、貨幣所持者の形態、貨幣の形態で流通の単純な起点――流通の無限に多くの起点の一つ――になる、ということなのであって、ここでは労働者の労働者としての規定性が消し去られているのである。(「資本論草稿』第二巻、渡辺患正訳)

(ken) 私は労働組合での仕事を通じ、日本の大企業における「強いられた技術革新」を痛感させられつつも、働く者(組合員)の人間的な成長の機会でもあると、その都度、前向きに自己弁護・自己暗示的に考え方を整理していたような気がします。142~143ページでは改めて流通過程の重要さが説かれ、産業資本主義に対する闘争の鍵もそこにあるのですね。142~143ページの「労働者と消費者」については、個別企業資本家の「自分の会社Aの労働者には安い賃金で働いてもらい、他の会社B~Zの労働者には会社Aの商品をたくさん買って欲しい」という思惑が手に取るように理解できますね。(つづく)
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テレビドラマ『氷の轍』のキーワード!

2016年11月20日 | O60→70(オーバー70歳)
★ 先日、テレビドラマで『氷の轍』を見ました。その中で、北原白秋さんの短い詩が繰り返し出てきます。

☆ 二人でいたればまた寂し
一人になるとなお寂し
真実、二人はやるせない
真実、一人は耐え難い

★ 若い頃の私なら、さほど実感もなく聞き流していたことでしょう。63歳も半ばを過ぎて、詩のちょっとしたフレーズに心打たれることが、ちょくちょくあります。涙もろくなる、という傾向の一つなのかもしれませんね。


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『世界共和国へ』 (その24)

2016年11月20日 | O60→70(オーバー70歳)
【139ページ】国内市場を作った英国
イギリスで産業資本主義が起こったのは、商人とギルド的な職人がいた都市ではなく、農村の近傍に形成された新しい都市=市場です。そこに、農村からプロレタリアがつぎつぎに入ってきた。そこで、「産業家が商人となって、直接に大規模に商業のために生産する」ということがありえたのです。そして、プロレタリア自身がその生産物を買い消費した。各地にできたそうした自律的な市場圏がつながって、国内市場が作り出されたわけです。
単純化していえば、商人資本が外国(遠隔地)に向かっていたのに対して、産業資本は国内に遠隔地を見つけた。そして、それがまさに生産=消費するプロレタリアであったということです。

【140~142】剰余価値の実現
資本一般について、その増殖がどのように可能なのかを明らかにするために必要な概念です。たとえば、労働者が作ったものを買い戻すというとき、それは、自分の作ったものではなく、他の企業で労働者が作ったものを買うという意味です。だから、個々の資本のレベルだけでは、剰余価値を云々することはできません。(中略)
剰余価値は流通過程では生じないし、また、流通過程でしか実現されない、ということです。しかし、このアンチノミーはつぎのように考えれば解消されます。産業資本は、労働者が労働力を売り、そして消費者として彼らの生産物を買い戻すという広義の「流通過程」から、剰余価値を得るのだと。
資本が得る剰余価値は、労働力商品の価値と、労働者が生産した生産物の価値との差額にあります。では、どうしてここに差額が生じるのでしょうか。注意すべきなのは、この差額を労働時間の延長とか強化に求めてはならないということです。そのような見方では,資本制生産は、貢納的・封建的な収奪(経済外的強制)の変形だということになってしまう。産業資本は、それとは違った原理、つまり合意による交換にもとづくのです。もちろん、「経済的強制」が時に農奴制や奴隷制よりもひどい労働条件をもたらすことはあります。すなわち、過剰な労働人口が、賃金を下げ、労働条件の悪化を許すからです。

(ken) 私は、大企業の労働組合本部で22歳から現在に至るまで働いています。今は、広報系の仕事に再雇用パート職員として従事していますが、現役時代の大半を「業務対策部」という会社施策(合理化・技術革新)対応の交労使渉補助、事務担当をさせていただきました。自分が間接的に関わってきた仕事と、今回の抜き書きとを照らし合わせ、興味深い発見がいくつもありました。(つづく)
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本日、同級会の喫煙者率について

2016年11月19日 | ここで一服・水元正介
一次会15名(男子8名、女子7名)、たばこを吸うのが男子3名だから喫煙者率は20%でした。たばこの銘柄は、メビウス2人、ラーク1人なので国産のJTシェアは66.67%でした。二次会は8名でたばこを吸う男子が3名だったので、喫煙者率は37.5%、三次会の焼肉屋さんでは、6名の参加者で喫煙者男子が2名、喫煙者率は33.3%でした(JTシェアは100%)。
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『世界共和国へ』 (その23)

2016年11月19日 | O60→70(オーバー70歳)
【137~138ページ】
イギリスで産業資本主義が最初に発展したのは、生産手段をもたす労働力を売るほかないプロレタリアがいたからだといってもよいのですが、それは、たんに貧民がいたということではない。大切なのは、このプロレタリアとは、労働力を売って得た賃金で生産物を買う消費者だということです。産業資本が商人資本と決定的に異なるのは、この点です。商人資本は主として奢修品を扱いました。それを買うのは王や封建諸侯です。
一方、産業資本の生産物は生活必需品であり、それを買うのはそれを生産したプロレタリア自身です。もちろん、労働者は自分が作ったものを買うのではない。しかし、総体としてみれば、労働者は彼ら自身が作ったものを買い戻すといっていいのです。労働者の消費=労働力の再生産は、資本の増殖過程の一環としてあるわけです。

【138~139ページ】資本制への3つの移行
《第一には、商人が直接に産萎本家になる商業の土台の上に起こされた諸産業のばあいがそれで、ことに、商人によって原料や労働者とともに外国から輸入される奢侈品工業、たとえば、15世紀にイタリアでコンスタンティノーブルから輸入されたそれのようなばあいである。第二には、商人が小親方を自分の仲買人(middlemen)とするか、あるいはまた直接に自己生産者から買う。商人は生産者を、名目上は独立のままにしておき、その生産様式を変化させずにおく。第三には、産業家が商人となって、直接に大規模に商業のために生産する》(『資本論一第三巻)。
マニュファクチュアの段階では、これらが共存していました。旧来の生産様式を根本的に変えてしまうのは、「第三の場合」です。それが窮極的に第一や第二の資本家を駆逐した。そして、このことが最も早く起こったのはイギリスです。第一や第二の形態にもとづいていたオランダにとってかわったのです。産業資本が優位に立つとともに、商人資本はたんに産業資本の一端を担う商業資本に転落します。

(ken) イギリスにおけるプロレタリアの分析は説得力があり、たんに貧民がいれば資本主義が発展するのかといえば、決してそうではないことがわかりました。また、2016年10月27日放送のテレビ東京「カンブリア宮殿」に、フジッコ株式会社の福井正一社長が登場しました。父親である創業者・初代社長は教師から、昆布加工品の製造販売業に転身しますが、販路開拓や商品開発のプロセスには感動させられました。ニッチな豆市場とはいえ、ダントツのシェアを維持している理由が理解できました。それに、枝豆と大豆は成長度合いの差によるもので、実は同じものであることを知らない国民が多いなか、「大豆の種まきから収穫まで」を知ってもらう社会貢献活動にもとりくんでおり、とても感銘を受けました。「安い商品を開発して大量に生産する」という手法をとっていたら、現代の競争に巻き込まれ、企業として存続できなかったかも知れません。フジッコが良質の原料、 高品質商品、無添加にこだわり、豆に類する日本の食文化も守っている姿は参考になりました。(つづく)
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プルームテックを時々いただきます!

2016年11月19日 | たばこの気持ち
最近、喫煙所で一服していますと、電子タバコ系を手にしている男女が必ずいるようになりました。私も時々いただいています。将来的に、急成長する兆候があるようで、たばこを吸うという景色が変わりそうですですね。
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『世界共和国へ』 (その22)

2016年11月18日 | O60→70(オーバー70歳)
【133~134ページ】
世界市場の成立とそこでの競争は、必ずしも産業資本を生み出すものではありません。実際、ヨーロッパ東部では、それが逆に「再版農奴制」と呼ばれるものを生み出したし、アメリカ合衆国の南部では奴隷制が、また、ラテン・アメリカでも農奴制が出現しました。このような奴隷制や農奴制は近代以前のものではなく、ある意味で「近代世界システム」の一環です。(中略)
それは、商人資本主義が、基本的に諸国家の間の価値体系の差異に利潤を見いだすものであり、それぞれがどのような生産様式をとるかに無関心だからです。より安くより多く生産できるのであれば、何でもよかったのです。その点では、西ヨーロッパに発達したマニュファクチュアも同じです。17世紀にオランダは、世界商業、マニュファクチュア、そして、海外植民地においても頂点に立ちました。しかし、ここから「産業資本主義」は生じなかった。それは先ずイギリスに生じたのです。

【135ページ】
資本は、流通から生まれることはできないのであり、しかも流通を離れて生まれることもできないのである。資本は、流通のなかで生まれざるをえないと同時に、流通のなかで生まれてはならないのだ。それから、17世紀に隆盛を誇ったオランダが、またたく間にイギリスに取って代わられた理由もわかります。

(ken) 資本制を理解する上で、基本中の基本となる記述です。これらを理解した上で、直近の中国における動き(政府主導の「開発型資本主義」現代版)をみると、かつての世界的なメーカーはもとより、最先端のメーカーさえにも買収攻勢を仕かけるとともに、自国内での研究開発投資を加速化しています。たくみな外交、強大な軍事力も合わせ備え、中国経済への不安や懸念を吹き飛ばすような様相になってきました。まさに、見たこともない「大帝国」が出現するのでしょうか。別に民族意識をあおるつもりはないけれど、「日本危し」の感は否定できませんね。(つづく)
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金字塔「伊勢佐木町ブルース」

2016年11月18日 | O60→70(オーバー70歳)
▶︎今度の転居先は、伊勢佐木町まで徒歩10分ほどくらいの静かな街です。関内、赤煉瓦倉庫、元町、中華街までも徒歩で行けますから、散歩コースには事欠かないと実感しました。
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