花山の思い7番札所(朝露)

 では前回のお約束。昭和11年のご詠歌の解説書の、7番のご詠歌の名解説をどうぞ。

『御詠歌新釋』(東京大学講師 堤達也/仏教年鑑社)より

さけ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり
○今朝:無明の闇から冷めたことで、煩悩の夢がさめたことにたとへたのであります。
○露岡寺:露をおくといふに、岡寺の岡をかけたのであります。――中略――露岡寺は、露を置かんそのやうな美しいといふ意にかけて、一方には露ははかないものにいふので、つまらない煩悩の良くにたとへたのであります。
○さながら:そのまま、まるでなどの意であります。
○瑠璃:梵語であります。玉の類で、七寶の一種であります。色は色々あるが、特に紺色(こんじき)を稱するしてゐます。
○なりけり:なりは指定の助動詞、かうだと指し定める个場、けりは過去(くわこ)の助動詞だか、詠嘆の意をふくんでゐます。
〔解釈〕
今朝来てみますと、朝日がきらきらと輝いて、夜露の一ぱい置いてある此の岡寺の庭は、庭石などについてゐる苔草のやうなものまでも、丸で瑠璃そのままの光を放ってゐますわい(ママ)。今、煩悩の夢がさめて、真如の暁となった心で見れば、何もかも皆極楽浄土のやうに美しく見える。これも順禮してここに来たお蔭で此の有りがたい姿を眺めることが出来たのであります。

 わははは。解釈の中の「光を放ってゐますわい」という感動を示す唐突な語尾……。
いいなあ。
「ゐます」の「ゐ」の使ひ方も、自然で素晴らしいなあ。
「であります」というのも、私は滅多に使わない表現で、もし使うとしたら、かなりオチャメチックに使うだけなのであります。わははは。

 さて、岡寺の露おく庭を後にして、花山法皇は、第八番の豊山(ぶざん)長谷寺へと参りますが、それは次回にお取り次ぎ。よぉ~~~、ポン!

西国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/

  ☆    ☆    ☆    ☆

 お彼岸の中日。密蔵院の境内にあるお墓には、ぜーんぶ、きれいにお花があがって、本堂から見渡すと、まるでお花畑のようです。
 無事に「写仏展」も終えまして、たくさんの方々にご覧いただきまして、ありがとうございました。
 この4日間で、子供たちもたぶん100人くらいはお参りに来たでしょう。用意しておいた「オットット」と「カッパえびせん」がそのくらいは無くなっていますから(我が家の子供が食べていなければの話ですけどね。ぐははは)。
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コメント
 
 
 
捨てたものでは (背骨)
2009-09-24 01:00:55
子どものお参りが100人…世の中、まだまだ捨てたものではないですね。写仏を体験された子どもも結構な数になるのでしょう。

坂東観音霊場23番・観世音寺のご住職から「写仏をする人に悪い人はいない」と伺ったことが、今でも印象に残っています。写仏に興味を持った子どもたちが、道を外さずに育ってくれるといいのですが…完璧にオヤジ目線ですね(笑)。
 
 
 
子供の描く線 (和尚)
2009-09-24 11:55:02
背骨さん>子供たちの描く線は、なんと言ったらいいのでしょう。大人にはけっして書くことのできない、力があり、一心な線なんです。厭味がないのです。
 手伝いにきてくださった写仏の会員も異口同音に、同じ感想を漏らしていました。
 
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