パワースポットってぇ言うのか。


四国室戸の岬は、目の前が太平洋、そしていきなり切り立った崖。その崖にはいくつもの洞窟があります。
 昔からこの一帯は、神々や仏たちの息吹---法性(ほっしょう)と言います--が感じられるパワースポットして知られていました。

 1200年前、貴族の子供たちよりも3年遅れて都の大学に、郷土讃岐の期待を一身に受けて入学した若き日の空海(弘法大師)・・・
 立身出世しか頭にない同級生たちの言動と、高級官僚になるための大学に大きな疑問を持ち、一年で中退。

 山岳修行者に混じって、吉野熊野、四国の山河で修行三昧の生活に入ります。

 そしてある時、たどり着いたのが法性の室戸(ほっしょうのむろと)という聖地。
 ここに滞在したのは、少なくとも2カ月以上だったでしょう。虚空蔵菩薩の真言を唱えまくるというスーパー記憶術の修行の地にここを選んだのです。

 そして、空海が詠んだとされる和歌がこれ。

 法性の室戸と言えど 我が住めば 有為の波風 寄せぬ日ぞ無き

--法性の室戸といわれるほど、神々や仏たちの息吹を感じられるというこの聖地である室戸のはずなのだが、こうして暮らして修行してみても、今の僕には、心に世俗のことが次々に沸き上がってきて、なかなか神聖な気分になどなれないなぁ、僕はまだまだだなあ・・・---

 「法性の○○」をどう言い換えるかによって、この歌は身近になります。

 本当なら、過程だって、仕事場だって、この国だって、神々や仏たちがたくさんいる場のはずです。
 それをなかなかそう感じることができないで、煩悩の渦の中でグルグル回っているのは、他のだれでもない、自分自身なんだなあと、思い至ればシメタもの。

 だらだらとそれと気づかずに、渦に巻き込まれて過ごすより、それに気づいたところから、脱出の手がかりができます。
 そうして生活していくと、家が、職場が、法性の○○になっていきます。

--ということで、写仏の今日は「法性の密蔵院」といったところ。いい時間が流れます。
 参加者の方は、咳払い一つするのさえ憚(はばか)れる中、私がツマラヌ作業をして、雑音をたててしまって迷惑をかけまして、ゴメンナサイ。

 20日-23日の写仏展覧会ようの軸ができあがってきて、本日は確認作業もふくめて掛けておきました。
 たくさんの仏さまに囲まれての写仏の広場でございます。


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