だてに育ったわけじゃない物語(その4)

お釈迦さまの弟子の阿難尊者は質問しました。

「お釈迦さま、どうしたらそのような親の恩に報いることができるか、どうぞその方法を教えてください」

 お釈迦さまは阿難におっしゃいました。

「阿難よ心して聞き、そしてよく考えなさい。分かりやすく言いましょう。
 父母の恩とは天にその果てがないのと同じく大きいものである。
 
 もし孝行な子があって父母のために善い行いをし、お経を写すなら、また七月十五日にお盆の供養の皿を作り、仏と僧に捧げるなら、その功徳をもって父母の恩に報いることができるだろう。

 またこの教えを写経し、世の人に広め、身に保ち、読誦する人は、父母の恩に報いることができるであろう。

 父や母が近所の家に雇われたりして帰りが遅くなると、我が子は家の中で泣き、早く帰ってほしいと思う。

 遠くから帰る親を見てゆりかごの中にいる時は頭を動かす。
 またハイハイしながら父や母の後を追い、母のところに向かう。

 母は身をかがめ、両手を差し伸べて抱き上げて体の土を払う。
 さらに口づけし、懐を開いて乳房を出し、子に乳を与える。

 その時母はわが子を見て喜び、子も母を見て喜ぶ。母と子の心は全く一つになる。---恩愛、親愛の情が深いことこれに勝るものはない。

 二、三歳になると、子は自分の頭で考え歩くようになる。
 しかし母がいなければまだ食事の時を知ることがない。
 父母は他の家の席に招かれて、餅や肉が出されてもそのごちそうを食べずに持ち帰り家で子に与える。
 十回招かれはそのうち九回はそのご馳走を持ち帰り子に与え喜ばす。
 しかし誤って一回でも持ち帰らないなら、子はわざと泣き、父や母を責める。そのような子は親不孝であある。

 親孝行な子は決してそのようなことは思わないし、親に従うものです。

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 さて、ここから「父母恩重経」で、お釈迦さまは、成長した子供たちが親にどんなことをするかを、例を挙げて説きますが、それはまた次回。

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 今日はご法事が11時から一つでした。その後にお檀家のお葬式でした。
 すでにご法事(親戚一同35名参加の法事です)の予定は数カ月前から決まっていましたから、法事の時間が優先されます。
 一生で何度もないお葬式でありながら、お寺(住職)の都合がありますから、お葬式のスタートは、最近では珍しい13時開始。
 葬儀、火葬場、繰り上げ初七日を終えて、17時30分帰坊。
 ご親戚、あるいは業界関係の方々の受付の方々も夕方まで、大変でしたね。
 ありがとうございました。

 そのまま、友人のお母さまのお通夜にお焼香へ。お寺の奥様のお通夜ですから会葬の方が多く、お焼香するまでに30分の行列。
 というわけで、今日はさすがにクタクタでございまして、室戸のご詠歌のより詳しい解説は今日はお休みであります。
 申し訳ありません。
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