花山の思い1(如意)

 なんだか、この新企画、へんなことになっています。当初の予定では、西国33観音霊場に花山法王が奉納したご詠歌を、毎回一つご紹介して、33回で終わるだろうと思っていたのですが、第一番のご詠歌だけで、今回で3回目ですものね。
 ぐはは。
 まあ、気長におつきあいください。
・・・ということで、今回は第一番札所、青岸渡寺の本尊さま、如意輪観音の如意について。

 10年ほど前のことでしょう。西国霊場のお参りに、東京からご詠歌の仲間とバスにのって、那智へ到着したのは17時近くでした。
 次の日の予定もあったので、夕方だしたが、とにかくお参りは今日しておこうと、薄暗くなっていく長い坂道をヒーフーしながら観音堂へ。

 だいだいの札所がそうですが、白い巡礼の衣装を着てご詠歌をやっていると判明すると、お寺の方が「お堂の中へお上がりください」と誘(いざな)って下さいます。

 本尊さまにパワーがありすぎると秘仏として厨子の中におさめられている場合が多いのですが、その場合だいたいが、「お前立ち(おまえだち)」と言われるレプリカ(かなりキワドイ言い方ダナ……)がまつられています。

 ほの暗い堂内で、お前立ちの観音さまを拝んでご詠歌を唱えている時に、ニャルホドと感じたのは以後の私のモットーになった考え方でした。

 如意というのは「意の如く」、つまり「思い通り」「好きなように」ということです。
 普通私が「勝手気まま」に「意の如く」振る舞えば、エライことになります。周囲に多大な迷惑をかけることになります。

 しかし、世の中には「勝手きままに」振るまって、好きなことしているのに人を傷つけることなく、優しく包んでくれる人がいます。私も一人そういうおばあちゃんを知っています。

 そのおばあちゃんは、自分のやりたいことが、そのまま人を喜ばせることであり、人の苦しみを除くことなっているのです。――こういう人のことを「あの人、観音さまみたいだ」って言いますよね。

 そうです。如意輪観音が無言のうちに言おうとしているのは、

「意の如く振る舞っているのに、自然に人を救っていく人、そういう人を目指せ」っていう意味なんだと思ったのです。

 さて次回は、紀伊半島を右下から左へと回って、和歌山市の第二番札所、紀三井山(きみいざん)金剛宝寺(こんごうほうじ)、通称「紀三井寺(きみいでら)」へと進みましょう。

 このお寺(本尊さま)に、花山法皇が奉納したご詠歌は…

“故郷を はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん”

 花山法皇の仏教への、どんな思いが込められていますか、お楽しみに。

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 今日は、ご詠歌の先生を目指す若者5人の検定試験。
 毎月一回、一泊二日で2年半。よく通いました。山形、高知、愛媛から一人ずつ。そして東京が二人。
 特にこの半年の上達ぶりには、わっしゃ、涙がこぼれそうでした。ご苦労さまでした。
--そういえば、「ご苦労さま」は、当人が自分以外の人や地域や国や会社のために何か努力した時に、当事者以外の人が慰労の言葉として使う言葉です。
 自分が落としたハンカチを拾ってくれた人に「ごくろうさま」なんて言えば殴られます。こういう時は「ありがとうございます」です。
 オリンピックなどのスポーツ選手が帰国した時には、彼らが日本という国を代表して競技してくれたという思いから「ごくろうさま」と言います。

 経検定を受けた彼らも、ご詠歌を使って人々に安心(あんじん)与えたいと願ってご詠歌の勉強をしてきました。私のために勉強してくれたわけではありませんから、心から「ごくろうさま」を言いたいのです。

 さて、夜は密蔵院のご詠歌。部屋の準備は長男がしてくれたので、とても助かります。でなけりゃ、私は悠長にブログは書けなかったでしょう。
 長男に対しても「ご苦労さま」の心持ちであります。
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