ACLのラウンド16直前ということで今週末はACL組の試合はなし。川崎はともかく、広島は敗退が早めに決まっていたから、チケットの前売り期間もあったんでやれたかどうかというと・・・スタジアムの予定を抑えておくのはもっと前からやっとかないといけないのだろうか?
一方韓国に目を向けると、Kリーグは一応今週末も試合があって、今日は城南がホームで全南を迎えて試合するようだけども、城南一和のハングル表記でググって、自動翻訳にかけてみますと、色々とPRやっているのが判る。市民に愛される地域密着型のクラブというのを志向しているせいか、試合翌日のクールダウンとPRを兼ねて選手が市内をサイクリングしたりするようなこともやっているみたいである。だからまあ、それをやるんだったら日本で試合する時には誤解を招かないように、不自然な動員は止めたらいいんじゃないか、と思うわけです。
まあ、Kリーグにはベストメンバー規定というのがないから、思い切ってACLに向けて選手の入替というのはやろうと思えば出来ると思うけども、その一方でクラブが力入れてホームゲームをPRしているとなれば、どこまで入れ替えて省エネで試合できるかですな。入れ替えってホームよりむしろアウェイでの方が一般的にはやりやすいわけなんで、こういう日韓の日程の差がラウンド16にどう影響するかが興味深い。
ベストメンバー規定がないということでそのターンオーバーの中でチャンスを掴んだのが、ポハンに行った岡山一成。前にも書いたけども、彼の例を見ると単に日韓のリーグにおいて一概にレベルの差を云々することができず、むしろ両者において選手に求められる資質が違うんじゃないかという仮説を立てて検証したくなる、格好のケースじゃないかと思うわけです。
彼の公式サイトによると、Jリーグでは仙台で戦力外通告を受けてから条件を下げてでもJでの再就職先にこだわった。その中でノブリンが札幌で拾う意向は示したらしいが、若手中心に行くチームの方針で結局それは叶わなかった。まあ、表向きは若手中心で行くと言いながらも、本音の部分では、年齢と共にスピードにいけない、という理由でどこも声をかけなくなったんじゃないかと思ったりもするけども・・・
そう、各チームによって約束事や求めるレベルに差はあれど、Jリーグでのセンターバックというのは単に対人の強さというものではなく、素早い攻守の切り替えに伴なうスピードへの対応、ラインコントロール、ビルドアップ能力といったものが求められる傾向にあり、それへの対応が難しくなるとだんだん居場所を失い、低いライン設定での跳ね返し屋でしか居場所を見出せなくなる(その典型が茂庭だったりする)。
一方、Kリーグではというと、岡山が興味をもたれたのは一にも二にもガタイだったと思うのだが、ラインの位置取りは低いけれども、そこで跳ね返せる対人の強さと高さが重視されているように思える。これは彼だけでなく、アデレードから移籍した城南のオグネノフスキにも言えることだろう。オグネノフスキって確か浦和が獲得しようと検討していたけども結局スピード不足という理由で断念したんじゃなかったっけ?ただ、Kリーグでは低い位置での跳ね返し役で十分ということなんだろうな。
ただ、岡山にしても日本人というアジア枠で入ったわけで、その中でも激しい競争を勝ち抜いたのは想像に難くない。そこで彼がなぜ生き残れたかというと、ここでJで培った経験と持ち前のキャラが効力を発揮したのだろう。試合前の記者会見で、しゃべりが上手いからという理由で監督と一緒に記者会見に臨んだりするのは持って生まれたキャラだと思うけども、DFというポジションはやはり周りとの連携が大切であるわけで、そこでコミュニケーションを図ってチームに溶け込めるというのはやはり大切ではある。更に、日本では考えられなかったことではあるけども、日本で培った経験というのがそこで生かされている。いや、日本では平凡なものでしかたなかったけども、環境を変えたからこそ付加価値として生きてくるというものがあったに違いない。ポハンの試合をあんまり見れていなんだけども、読みであるとかカバーリングであるとか、そういう頭を使うことで経験が生かせたんじゃないかと。
これは、NHK中国語会話4月号で加藤徹氏が引用した、中国のことわざ、「人挪活,樹挪死(人は動いてこそ生きるが、木は移すと枯れる」という典型的な例と言えるかもしれない。本来の意味からすれば、加藤徹氏の解釈はちょっとズレているいるんじゃないかと言う気はするんだけども、氏がコラムの中において言いたかった、移動すれば自分の付加価値が高まるという見方は間違ってはいない。例えば、中国人が日本に来れば、皮から作る水餃子の作り方や中国語を日本人に教えることが出来るというように、岡山だって韓国に行って初めて自分がJで培ってきた経験というのが付加価値として生きたということかもしれない。
実は今のJでもそれを実践している例が筆者の身近なところにいて、それが実は家長であったりするんですね。彼は今マルチネスの怪我の間にボランチとしてパサーの能力を発揮しつつあるんだけども、それはガンバから環境を変えたが故に可能になったものだろう。ガンバの中において優れたパサーというのは居る為に彼のパサーとしての資質は目立たなかった。これに対してセレッソでは前でのアタッカーは揃っているものの、パサーが不足していた中で彼がその位置に上手く収まったものだった。だから、家長はもう戻って来ないだろうな、と既に諦めがついているからこういうことが書けるんだけどもね。
一方韓国に目を向けると、Kリーグは一応今週末も試合があって、今日は城南がホームで全南を迎えて試合するようだけども、城南一和のハングル表記でググって、自動翻訳にかけてみますと、色々とPRやっているのが判る。市民に愛される地域密着型のクラブというのを志向しているせいか、試合翌日のクールダウンとPRを兼ねて選手が市内をサイクリングしたりするようなこともやっているみたいである。だからまあ、それをやるんだったら日本で試合する時には誤解を招かないように、不自然な動員は止めたらいいんじゃないか、と思うわけです。
まあ、Kリーグにはベストメンバー規定というのがないから、思い切ってACLに向けて選手の入替というのはやろうと思えば出来ると思うけども、その一方でクラブが力入れてホームゲームをPRしているとなれば、どこまで入れ替えて省エネで試合できるかですな。入れ替えってホームよりむしろアウェイでの方が一般的にはやりやすいわけなんで、こういう日韓の日程の差がラウンド16にどう影響するかが興味深い。
ベストメンバー規定がないということでそのターンオーバーの中でチャンスを掴んだのが、ポハンに行った岡山一成。前にも書いたけども、彼の例を見ると単に日韓のリーグにおいて一概にレベルの差を云々することができず、むしろ両者において選手に求められる資質が違うんじゃないかという仮説を立てて検証したくなる、格好のケースじゃないかと思うわけです。
彼の公式サイトによると、Jリーグでは仙台で戦力外通告を受けてから条件を下げてでもJでの再就職先にこだわった。その中でノブリンが札幌で拾う意向は示したらしいが、若手中心に行くチームの方針で結局それは叶わなかった。まあ、表向きは若手中心で行くと言いながらも、本音の部分では、年齢と共にスピードにいけない、という理由でどこも声をかけなくなったんじゃないかと思ったりもするけども・・・
そう、各チームによって約束事や求めるレベルに差はあれど、Jリーグでのセンターバックというのは単に対人の強さというものではなく、素早い攻守の切り替えに伴なうスピードへの対応、ラインコントロール、ビルドアップ能力といったものが求められる傾向にあり、それへの対応が難しくなるとだんだん居場所を失い、低いライン設定での跳ね返し屋でしか居場所を見出せなくなる(その典型が茂庭だったりする)。
一方、Kリーグではというと、岡山が興味をもたれたのは一にも二にもガタイだったと思うのだが、ラインの位置取りは低いけれども、そこで跳ね返せる対人の強さと高さが重視されているように思える。これは彼だけでなく、アデレードから移籍した城南のオグネノフスキにも言えることだろう。オグネノフスキって確か浦和が獲得しようと検討していたけども結局スピード不足という理由で断念したんじゃなかったっけ?ただ、Kリーグでは低い位置での跳ね返し役で十分ということなんだろうな。
ただ、岡山にしても日本人というアジア枠で入ったわけで、その中でも激しい競争を勝ち抜いたのは想像に難くない。そこで彼がなぜ生き残れたかというと、ここでJで培った経験と持ち前のキャラが効力を発揮したのだろう。試合前の記者会見で、しゃべりが上手いからという理由で監督と一緒に記者会見に臨んだりするのは持って生まれたキャラだと思うけども、DFというポジションはやはり周りとの連携が大切であるわけで、そこでコミュニケーションを図ってチームに溶け込めるというのはやはり大切ではある。更に、日本では考えられなかったことではあるけども、日本で培った経験というのがそこで生かされている。いや、日本では平凡なものでしかたなかったけども、環境を変えたからこそ付加価値として生きてくるというものがあったに違いない。ポハンの試合をあんまり見れていなんだけども、読みであるとかカバーリングであるとか、そういう頭を使うことで経験が生かせたんじゃないかと。
これは、NHK中国語会話4月号で加藤徹氏が引用した、中国のことわざ、「人挪活,樹挪死(人は動いてこそ生きるが、木は移すと枯れる」という典型的な例と言えるかもしれない。本来の意味からすれば、加藤徹氏の解釈はちょっとズレているいるんじゃないかと言う気はするんだけども、氏がコラムの中において言いたかった、移動すれば自分の付加価値が高まるという見方は間違ってはいない。例えば、中国人が日本に来れば、皮から作る水餃子の作り方や中国語を日本人に教えることが出来るというように、岡山だって韓国に行って初めて自分がJで培ってきた経験というのが付加価値として生きたということかもしれない。
実は今のJでもそれを実践している例が筆者の身近なところにいて、それが実は家長であったりするんですね。彼は今マルチネスの怪我の間にボランチとしてパサーの能力を発揮しつつあるんだけども、それはガンバから環境を変えたが故に可能になったものだろう。ガンバの中において優れたパサーというのは居る為に彼のパサーとしての資質は目立たなかった。これに対してセレッソでは前でのアタッカーは揃っているものの、パサーが不足していた中で彼がその位置に上手く収まったものだった。だから、家長はもう戻って来ないだろうな、と既に諦めがついているからこういうことが書けるんだけどもね。