大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

ラリー・バード - NBAスーパースターのビデオ(だったと思う)より

2010-05-23 17:30:12 | Weblog
Larry Bird


ボストンセルティックスが3連勝でファイナル進出に王手をかけたということで、そのセルティックス最高の選手についてのビデオをようつべから拝借。これって確かNBAスーパースターとかいうビデオの映像そのものじゃないか?このVHSは持っていましたけどもね。

自分がラリー・バードをリアルタイムで見ることができたのは、選手生活の晩年である最後の2年間のみ。ずっと背中の痛みに悩まされて欠場したり、出場してもプレイング・タイムが限定されたものであった。それまでは活字メディアなどでバードの活躍が伝えられて、見てみたいと思っていた(丁度ジャンルカ・富樫氏がどこかの媒体で彼を取り上げていたっけ)。そんな彼をようやく見ることができたのが90-91シーズンでのホームでのシカゴ・ブルズ戦。延長2回にももつれる試合(最初の延長でジョーダンがブザービート決めたかに見えたが、認められなかった)で大活躍を見せた。その後ペイサーズとのプレーオフでは満身創痍ながらも活躍してみせたのはこの動画を見れば判る通り。翌年は最後のシーズンとなりながらもポートランドとの延長2試合の試合は、燃えつきる寸前のろうそくの火の如く輝きを放っていた。

正直バードを最初に見た時は、大体多くの人と同じ印象で、モッサリしたオッサンやなあ、というものだったけども、バスケットの技術はシュートやフェイク、それにパスの技術はピカイチ。ジョーダンと違って、他のスポーツをやっていたらという想像はあまり考えられず正にバスケットの為だけにプレーできた選手、というのがバードだった。

衰えや怪我と戦った晩年の方が全盛期よりも印象が強いのは単に彼のプレーを見ることができた時期というものではないような気がする。だってその時は正にマイケル・ジョーダンが絶頂期であったんだけども、あえてバードを選んだのはその怪我や衰えに対して必死に戦っていた姿に心打たれたからだったんじゃないかと今改めて思いますね。