大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

阪神を引き合いに出してガンバの世代交代について考えてみると・・・

2009-11-20 00:33:23 | ガンバ大阪
かねてから、サッカーについて考えるうえで、全く系統が異なる競技ではあるけども選手起用や組織論においては野球も格好のケーススタディになりうると考えていた。最近多くのガンバサポにおいてよく語られるテーマが世代交代というものなんだけども、野球の実例を見ていく限りこれはなかなか難しいと思ったりもする。それもそのはずで野球においても奇跡的に短期間でそれを為しえたのは84年の西武だけなんだからこれはどこを例にとっても難しいんだろうなとつくづく思ってしまう。

大阪においてファンでなくても否応なしに入ってくるのが阪神の情報で、出社前に会社のビルの地下の喫茶店でモーニングを頼む時に新聞をチェックするのだが、大抵一面は阪神というのが決まっている。たまに阪神が一面でない時なんかはアレっと思うけども、そういう時って昨日の結果はアレやったんやな・・・というのが結果を知らなくても大体想像がつく。

今日も、仕事上での得意先と雑談していて来年の阪神はどない、という話題になったけども、メジャー帰りの城島を阪神が獲ったのはなぜかという時に私と先方との間で一致したのは、今の阪神は結果を何よりも求められている状態にあり、その中で即戦力の補強に走ったというものだ。

つまり、今年狩野が出場機会を掴んできたけども、まだまだ優勝するチームの正捕手としては物足りないと球団は考えている。来年再来年と彼を育てるというつもりでガマンして使い続ければ一本立ちしてくるけども、阪神を取り巻く環境がそれを許してくれない。勝てなければマスコミやファンの批判にさらされてしまう。そこがかつての暗黒時代なんかと違って周囲が求める期待というのが高まってきたし、なまじっか巨人ほどではないにしても今の阪神だって結構お金をつぎ込んで選手を獲得できる状態ならば、自分たちで作り上げるよりも既製品を他所から持ってきたほうが手っ取り早いということになってしまう。まあ、あんまりこのやり方をしすぎると、かつての巨人みたいに生え抜きの選手不在で愛着が湧かなくなってしまうんだよなあ・・・

個人的には城島を入れたというのは捕手の補強というのもあるけど、打線のつながりにおいては新井やアニキをもう信用できなくなってるんかな、という気はする。外国人だって毎年ハズレ続きだったとしたら城島の方がまだ計算できるということではあるだろうし。真弓ちゃんは今岡に温情をかけた為に新井のサードにどこまで拘り過ぎたしな・・・アニキの場合数字的にはもう下降線を辿る一方であるんだけども、本人が自分から休むと言わない限り休ませたりすることすらできない。今の阪神の成績ってアニキの衰えとリンクしているようなところがあるからね・・・

もともと自分は阪神ファンではないが故に(今の応援しているサッカーと同じく昔はGのつくチームが好きでしたよ、ええ)阪神のことを一歩引いて見られているんだけども・・・ああ、これはガンバについて書くブログでしたね。まあ、若い才能をどうやって伸ばすか、如何にしてベテランを入れ替えていくかというのは難しいんだけども、今のガンバだって阪神同様に短いスパンの中で結果を求められているというのは類似している。確かにユース上がりの若手を辛抱強く起用すれば一人前には巣立ってくるけども、その間にチームの成績が下降線になったとしても受け入れられるかといえばこれは難しい。いや、俺は大丈夫だと言う人は中にはいるかもしれない。けど、阪神と同様にあなた自身はそうかもしれないけども、それがガマンできないという人だって多くいるというのが現実なのだ。

筆者は最近考えていることだが、若手を起用するというのも結局のところそれは結果を出す為の手段の一つで、外から買って来ることができなければ育成に頼らざるを得ないということだ。逆に言えば、外から買って来ることが毎年できるんなら極端な話、レアル・マドリーのようにカンテラの選手はあくまでも他に売る為に存在するわけであって、毎年どこかから買ってこれるんなら促成栽培路線は続けられる。

ただ、ガンバはまだレアル・マドリーにはなりきれていない。補強した選手がそこで出番に恵まれなくても次から次へと他から選手を取ってこれるという保証がない。つまり、ブランドがまだ確立されてはいないということではあるんだけども。まあ、そういう路線になって行くとしたらガンバユースというのはその育成力をバックにして他のクラブに買って貰うしかなくなるんだけども。今のガンバが世代交代という風に悩んでいるのは、生え抜きの選手を育てるか、それとも他所から取っていくことを繰り返していくかの分岐点にあるからなんだろう。