かつて「舞台創造集団りゃんめんにゅーろん」というところに所属していた。
シナリオ学校の卒業生たちが自分たちの作品を上演するために立ち上げた集団で、舞台作り素人の作家ばかりが何人も所属していた。そのうち役者や制作を志す者も入って、劇団のようになっていった。そのころは書くことだけしかやってなかったが、曲がりなりにも舞台とはこうやってつくるのかということを、私はそこで教えてもらった。
一人去り、二人去り、私が抜けた後は、南出謙吾が代表となり、劇団りゃんめんにゅーろんと名前を変えて存続させていた。
何も知らないずぶの素人としてりゃんめんに入ってきた南出さん。先輩演出家に怒鳴られても、わかっているのかわかっていないのかいつも笑顔で楽しそうに芝居をしていた南出さんは、いつのまにか脚本も書き演出もするというオールマイティの演劇人になって、劇団を率いるようになっていった。サラリーマンをしながら演劇を続けていくという難しさも、上演形態を工夫したりして乗り越えてきた。その人柄のよさで、りゃんめんに力を貸してくれる人も多く、お客さんも安定していて、ずっと続いていくものだと思っていた。
私や当時代表だった西岡さんが辞めることになって、りゃんめんという名前をどうするかということになり、名前に対してそんなに思い入れのなかった私は軽く、反対にりゃんめん創設のころからかかわり、自分が率いてきたという自負のあった西岡さんは重く、「これでりゃんめんは終わりにして新しい名前に変えたら?」と提案したと思う。
でもりゃんめんで育ちりゃんめんを愛していた南出さんには、りゃんめんを続けるという頭しかなかったのだろう。
そのりゃんめんを休止せざるを得ない事情が出来て、昨日はそのちょっとお別れの意味も込め上演された二人芝居二本立て公演の最終日だった。
切なくほろ苦い光景が展開されていて、心にしみる。
舞台を観ながら、舞台に立つ南出さんの胸に去来する様々な思いを感じ、自分自身もかかわってきた年月の変化を考えずにはいられなかった。
南出さん、お疲れ様!
また大阪にもどってきたら、ぜひ劇団りゃんめんにゅーろんを再開させてくださいね!
シナリオ学校の卒業生たちが自分たちの作品を上演するために立ち上げた集団で、舞台作り素人の作家ばかりが何人も所属していた。そのうち役者や制作を志す者も入って、劇団のようになっていった。そのころは書くことだけしかやってなかったが、曲がりなりにも舞台とはこうやってつくるのかということを、私はそこで教えてもらった。
一人去り、二人去り、私が抜けた後は、南出謙吾が代表となり、劇団りゃんめんにゅーろんと名前を変えて存続させていた。
何も知らないずぶの素人としてりゃんめんに入ってきた南出さん。先輩演出家に怒鳴られても、わかっているのかわかっていないのかいつも笑顔で楽しそうに芝居をしていた南出さんは、いつのまにか脚本も書き演出もするというオールマイティの演劇人になって、劇団を率いるようになっていった。サラリーマンをしながら演劇を続けていくという難しさも、上演形態を工夫したりして乗り越えてきた。その人柄のよさで、りゃんめんに力を貸してくれる人も多く、お客さんも安定していて、ずっと続いていくものだと思っていた。
私や当時代表だった西岡さんが辞めることになって、りゃんめんという名前をどうするかということになり、名前に対してそんなに思い入れのなかった私は軽く、反対にりゃんめん創設のころからかかわり、自分が率いてきたという自負のあった西岡さんは重く、「これでりゃんめんは終わりにして新しい名前に変えたら?」と提案したと思う。
でもりゃんめんで育ちりゃんめんを愛していた南出さんには、りゃんめんを続けるという頭しかなかったのだろう。
そのりゃんめんを休止せざるを得ない事情が出来て、昨日はそのちょっとお別れの意味も込め上演された二人芝居二本立て公演の最終日だった。
切なくほろ苦い光景が展開されていて、心にしみる。
舞台を観ながら、舞台に立つ南出さんの胸に去来する様々な思いを感じ、自分自身もかかわってきた年月の変化を考えずにはいられなかった。
南出さん、お疲れ様!
また大阪にもどってきたら、ぜひ劇団りゃんめんにゅーろんを再開させてくださいね!