ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

ママのこと

2018-08-06 | Weblog
ママは子供の頃、広島から大阪に引っ越してきた。原爆が投下される一年ほど前だと言う。
「友達はみんな死んじゃった」とも言っていた。

私は綺麗なママが自慢だった。
ママは膝枕で、よく耳掃除をしてくれた。ママが耳掻きを手にして「する?」と聞くと、私は喜んでママの膝にとんでいった。
寝転んだ目の前にはママの鼻の穴があった。
細長くて外国の女優さんみたいだった。自分も大人になったらあんな鼻の穴になれるのかと期待していたけど、
残念ながらなれなかった。

耳掃除をしながら、ママはよく結婚する前に好きだった人の話をしてくれた。
勤めていた貿易会社の上司で、京都大学を出たインテリで、ハンサムで、優しくて、どこに遊びに行って、何をプレゼントされて、どんな話をしたか…。仔細に楽しそうに。
父親とは(私は父親のことをパパとは呼ばず、お父さんと呼んでいた)早くに離婚していた。

ママが75才頃から亡くなるまで、私はママと一緒に暮らした。
亡くなる2年ほど前から少し記憶があやふやになりだしたけど、若い頃好きだった上司のことはぶれずに繰り返し話していた。
一度だけ、その話の続きのように「あんたの本当のお父さんは、あのお父さんじゃないかもしれない」と言い、私は「え?」っと聞き、その話はそのままになってしまったことがあった。
どういう意味だろう?と気になってはいたけれど、ママは繰り返し話さなかったし、私も繰り返し聞かなかった。

ママの錯綜した記憶の中で、夢と現実がごちゃごちゃになっていたのか、繰り返し話していた上司だった人が私の本当のお父さんなのか、今となってはわからない。

ママのことでは、いまだに誰にも話せないつらい思い出もいくつかあるが、この話はいろんな人に話している。
従姉たちに話したら大笑いだった。
「叔母さんならありうるわぁ」。
まあねえ(^-^;。

8月6日、今日はママの命日。