時計とにらめっこしながら、ブログ更新を試みるのは、
時間がない時に、どの店に入って何を食べようかと考える時と同じだ。
ファーストフードの店で、セルフで食べると時間が短縮できるが、
あまりにも時間が少ないと、食べなかったり、売店で買って、そこらあたり、外で食べたりすることもある。
で、ブログの場合は、食べないのと同様、更新しないこともできる。
が、ほんの少し時間がある。
食事でいうなら、注文と同時に出てこないと、時間に間に合わない、
公園でおにぎり、そんなかんじだ。
でも、とりあえあずは、食べる。(更新する)
・・・
書き始めると、へんに乗ってくると、時間オーバーするのが、難点。
アポ時間に遅刻する危険性がある。
でも、書く。
・・・
ある人とのメール。
長い長いメールが来るのだが、わたしはその3分の1か、4分の1しか書かない。
書くことがないのだ。
しかも、自分から書く内容がない。
しかたないので、送られて着た内容へのレスポンスということになる。
長い内容に対する要約とコメント。
ある友人も、一時期、メールのやりときがあった。
彼女は、一通一通は、短いのだが、用件が終わっているのに、やりとりがなかなか終わらない。
「ありがとう。ではまたね」
でせっかくこっちは、終わっているのに、
「うん、じゃあ、またね。うんぬんかんぬん」
と、最後の「うんぬんかんぬん」を付けるので、しかたなくまた続く。
延々と内容もなく続く。
すぱっと終わってほしいので、彼女とのメールは、苦手だ。
返信し続ける、こっちも悪いんだろう。
彼女もうんざりしているかも知れない。
締りの悪い水道の蛇口みたいなものか。
・・・
われわれ、三姉妹(姉、義姉、わたし)は、メールのやりとりは、ラインと同じようなかんじ。
一人はスマートフォンなので、ライン機能はあるのだろうが、残り二人には、ガラケー。
アプリがないから、仕方ない。
ラインではないが、「CC」で、メールは全員にあてて送り、送られる。
三者会談。会議である。
どうでもいいことも、CCにしておく。
やりとりを知っておいてもらうと、過程をあとで、時系列を追って詳しく説明する手間が省ける。
よほど内緒にしたい場合は、CCをはずし、個別に送るが、最近はあまりそんなこともなくなった。
で、三人のやりとりで、いつもわたしは、レスポンスが遅い。
二人のラリーの応酬をぼーっと傍観しているようなかんじ。
そのくせ、自分が気になることは、延々と長文を送りつける。
二人のリアクション、返信内容は、ほんの数行。
つまり、気になるポイントが違うということだ。
三人寄れば、文殊の知恵。
三人三様。
三人でよかった、と、最近、つくづく思う。
二人なら、強弱はっきりで、偏りすぎる。
三人なら、いつもなにかしら、意見が微妙に違ったり、逆にそれが、いい意味でヒントになったり、
味が付加されたり、アイデアを生んだりする。
二人は、アタマが切れていて(ばりばりの理系)、わたしは、昼行灯(とろとろの文系)。
ぼーっとしている。理解が遅い、判断も遅い。
同じ間隔のリズムで三拍子となるべきテンポが、わたしのところで、ちょっと止まりスローになる。
考えているうちに、どんどん事態が進行して、わたしは置き去りなんてことは、よくある。
あらら、あらら・・・待ってえ~となり、ぼやぼやしていられない。
その反面、まったく良い案が浮かばなくても、あとの二人が、なんらかの案をひねり出してくれる。
自主的に提案し、自主的に行動し、
時には、「これこれの件は、○○さん、お願いします」になり、
できない時は、「ごめんなさい。その日は、都合つきません」となる。
いつの間にか、徐々に協力体制ができあがっている。
おもしろいものだ。
ちなみにわたしは末席で、いつものごとく、あまり役には立っていない。
末っ子ということに自分で甘んじて、ぴんぼけキャラは、ますます色濃く進行する。
時間がない時に、どの店に入って何を食べようかと考える時と同じだ。
ファーストフードの店で、セルフで食べると時間が短縮できるが、
あまりにも時間が少ないと、食べなかったり、売店で買って、そこらあたり、外で食べたりすることもある。
で、ブログの場合は、食べないのと同様、更新しないこともできる。
が、ほんの少し時間がある。
食事でいうなら、注文と同時に出てこないと、時間に間に合わない、
公園でおにぎり、そんなかんじだ。
でも、とりあえあずは、食べる。(更新する)
・・・
書き始めると、へんに乗ってくると、時間オーバーするのが、難点。
アポ時間に遅刻する危険性がある。
でも、書く。
・・・
ある人とのメール。
長い長いメールが来るのだが、わたしはその3分の1か、4分の1しか書かない。
書くことがないのだ。
しかも、自分から書く内容がない。
しかたないので、送られて着た内容へのレスポンスということになる。
長い内容に対する要約とコメント。
ある友人も、一時期、メールのやりときがあった。
彼女は、一通一通は、短いのだが、用件が終わっているのに、やりとりがなかなか終わらない。
「ありがとう。ではまたね」
でせっかくこっちは、終わっているのに、
「うん、じゃあ、またね。うんぬんかんぬん」
と、最後の「うんぬんかんぬん」を付けるので、しかたなくまた続く。
延々と内容もなく続く。
すぱっと終わってほしいので、彼女とのメールは、苦手だ。
返信し続ける、こっちも悪いんだろう。
彼女もうんざりしているかも知れない。
締りの悪い水道の蛇口みたいなものか。
・・・
われわれ、三姉妹(姉、義姉、わたし)は、メールのやりとりは、ラインと同じようなかんじ。
一人はスマートフォンなので、ライン機能はあるのだろうが、残り二人には、ガラケー。
アプリがないから、仕方ない。
ラインではないが、「CC」で、メールは全員にあてて送り、送られる。
三者会談。会議である。
どうでもいいことも、CCにしておく。
やりとりを知っておいてもらうと、過程をあとで、時系列を追って詳しく説明する手間が省ける。
よほど内緒にしたい場合は、CCをはずし、個別に送るが、最近はあまりそんなこともなくなった。
で、三人のやりとりで、いつもわたしは、レスポンスが遅い。
二人のラリーの応酬をぼーっと傍観しているようなかんじ。
そのくせ、自分が気になることは、延々と長文を送りつける。
二人のリアクション、返信内容は、ほんの数行。
つまり、気になるポイントが違うということだ。
三人寄れば、文殊の知恵。
三人三様。
三人でよかった、と、最近、つくづく思う。
二人なら、強弱はっきりで、偏りすぎる。
三人なら、いつもなにかしら、意見が微妙に違ったり、逆にそれが、いい意味でヒントになったり、
味が付加されたり、アイデアを生んだりする。
二人は、アタマが切れていて(ばりばりの理系)、わたしは、昼行灯(とろとろの文系)。
ぼーっとしている。理解が遅い、判断も遅い。
同じ間隔のリズムで三拍子となるべきテンポが、わたしのところで、ちょっと止まりスローになる。
考えているうちに、どんどん事態が進行して、わたしは置き去りなんてことは、よくある。
あらら、あらら・・・待ってえ~となり、ぼやぼやしていられない。
その反面、まったく良い案が浮かばなくても、あとの二人が、なんらかの案をひねり出してくれる。
自主的に提案し、自主的に行動し、
時には、「これこれの件は、○○さん、お願いします」になり、
できない時は、「ごめんなさい。その日は、都合つきません」となる。
いつの間にか、徐々に協力体制ができあがっている。
おもしろいものだ。
ちなみにわたしは末席で、いつものごとく、あまり役には立っていない。
末っ子ということに自分で甘んじて、ぴんぼけキャラは、ますます色濃く進行する。