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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

メール

2013-12-03 | 日々のこと
時計とにらめっこしながら、ブログ更新を試みるのは、
時間がない時に、どの店に入って何を食べようかと考える時と同じだ。

ファーストフードの店で、セルフで食べると時間が短縮できるが、
あまりにも時間が少ないと、食べなかったり、売店で買って、そこらあたり、外で食べたりすることもある。

で、ブログの場合は、食べないのと同様、更新しないこともできる。
が、ほんの少し時間がある。
食事でいうなら、注文と同時に出てこないと、時間に間に合わない、
公園でおにぎり、そんなかんじだ。

でも、とりあえあずは、食べる。(更新する)

・・・

書き始めると、へんに乗ってくると、時間オーバーするのが、難点。
アポ時間に遅刻する危険性がある。
でも、書く。

・・・

ある人とのメール。
長い長いメールが来るのだが、わたしはその3分の1か、4分の1しか書かない。
書くことがないのだ。
しかも、自分から書く内容がない。
しかたないので、送られて着た内容へのレスポンスということになる。
長い内容に対する要約とコメント。

ある友人も、一時期、メールのやりときがあった。
彼女は、一通一通は、短いのだが、用件が終わっているのに、やりとりがなかなか終わらない。
「ありがとう。ではまたね」
でせっかくこっちは、終わっているのに、
「うん、じゃあ、またね。うんぬんかんぬん」
と、最後の「うんぬんかんぬん」を付けるので、しかたなくまた続く。
延々と内容もなく続く。
すぱっと終わってほしいので、彼女とのメールは、苦手だ。
返信し続ける、こっちも悪いんだろう。
彼女もうんざりしているかも知れない。
締りの悪い水道の蛇口みたいなものか。

・・・

われわれ、三姉妹(姉、義姉、わたし)は、メールのやりとりは、ラインと同じようなかんじ。
一人はスマートフォンなので、ライン機能はあるのだろうが、残り二人には、ガラケー。
アプリがないから、仕方ない。
ラインではないが、「CC」で、メールは全員にあてて送り、送られる。
三者会談。会議である。

どうでもいいことも、CCにしておく。
やりとりを知っておいてもらうと、過程をあとで、時系列を追って詳しく説明する手間が省ける。
よほど内緒にしたい場合は、CCをはずし、個別に送るが、最近はあまりそんなこともなくなった。

で、三人のやりとりで、いつもわたしは、レスポンスが遅い。
二人のラリーの応酬をぼーっと傍観しているようなかんじ。
そのくせ、自分が気になることは、延々と長文を送りつける。
二人のリアクション、返信内容は、ほんの数行。
つまり、気になるポイントが違うということだ。

三人寄れば、文殊の知恵。
三人三様。
三人でよかった、と、最近、つくづく思う。

二人なら、強弱はっきりで、偏りすぎる。
三人なら、いつもなにかしら、意見が微妙に違ったり、逆にそれが、いい意味でヒントになったり、
味が付加されたり、アイデアを生んだりする。

二人は、アタマが切れていて(ばりばりの理系)、わたしは、昼行灯(とろとろの文系)。
ぼーっとしている。理解が遅い、判断も遅い。
同じ間隔のリズムで三拍子となるべきテンポが、わたしのところで、ちょっと止まりスローになる。
考えているうちに、どんどん事態が進行して、わたしは置き去りなんてことは、よくある。
あらら、あらら・・・待ってえ~となり、ぼやぼやしていられない。

その反面、まったく良い案が浮かばなくても、あとの二人が、なんらかの案をひねり出してくれる。
自主的に提案し、自主的に行動し、
時には、「これこれの件は、○○さん、お願いします」になり、
できない時は、「ごめんなさい。その日は、都合つきません」となる。

いつの間にか、徐々に協力体制ができあがっている。
おもしろいものだ。

ちなみにわたしは末席で、いつものごとく、あまり役には立っていない。
末っ子ということに自分で甘んじて、ぴんぼけキャラは、ますます色濃く進行する。





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