とある人のブログ。
閲覧数が極端に少ないらしい。(ご本人の弁)
そんなはずはない、・・・はずである。
わたしは、絶対に面白いブログだと思っている。
まったく、ぜんぜん、どこがいいのか、さっぱりわからない、まるでつまらんブログが、
ありえないほどブログ村でポイントをカウントしているのを見ると、
人々の気持ち、嗜好、動向というものには、つくづくわたしの理解を越えていると感じる。
わたしが、時代遅れ? おかしいのか? 超少数派マイノリティ?
これは、嗜好だけではなく、世の中の流れ的なものも影響していると思う。
アベノミックス景気に取り残された人々、こころの病、ネットにどっぷり入り込んでいく背景・・・その他・・・
政治でいうところの浮動票的なもの。
その浮遊している数が、ひとつひとつは単体だが、
集まると、鳥の群れのように、膨大な数になるのではないだろうか?
マイナーなものの塊は、目を引くが、プラスのものには、あまり人は集(たか)らないのでは?
2ちゃんねるのような、ああいう類のものは昔から盛んだ。
楽しいことや、良いこと、立派なこと、素晴らしいこと、そんなことが書かれているブログ、その他に、
人々は集まるだろうか?
絶対に集まらないと、わたしは思う。
なぜなら・・・面白くないから。こころに、響かない。
これは、わたしが、無意識のうちに魂を病んでいるかも知れない。
素晴らしいことを否定する気は、まったくないし、賛同もするし、憧れ、理想とする。
が、まったく見ず知らずの人で、なんの関わりもなく、自分とはまるで違う世界の人であった場合、
わくわくして読むか、どうか・・・
・・・
物書きという人種は、「本質」が見えるそうだ。
表に表れていること以外に、その下にある部分が見えるらしい。
見たくなくても、勝手に見えてしまうのは、本人としては、好ましくない、望まない場合もある。
言葉で表していることの、行間に、別の意味があることもあるらしい。
ややこしい。
しかし、本音と建前を使い分ける人種とされている日本人には、たいして胸も痛まず、
ごくごく日常として、美しく難なく、本音と建前を使い分ける。
雅やかな、上品で歴史深い都の人々は、特に。(らしい)
ま、それはそれで、どうでもいいとして・・・
(どうでもいいことばかりを書く主義)
・・・
いきなり、
面白いブログなのに、閲覧数が少ない話に戻ると、
なにかの間違い、たとえば、コンピューター上の、とか、人為的初歩ミスとか。
検索ロボットが、うろうろしていて、
機関銃を担いで、かたっぱしから人の家に鎧をつけたまま、ターミネーターのように上がりこんでくる。
閲覧数(IP)はカウントは「1」だが、ページビュー(PV)が、異常に多い時もあるし、あほほど数が膨らむ。
しかも、グーグルだけでなく、いろんなところのロボットが、うごめいている。
なので、ロボットは来て欲しくないけれど、ほっておく。
べつに、悪さはしないようなので。
・・・
と、支離滅裂っぽいが、
ブログ文化、じつに面白いと、わたしは感じている。
閲覧数はどうであろうが、ブロガーさんがご機嫌よく書いてくれると、それを楽しみに読んでいる。
書き手、読み手、双方向だったり、
蝶ブログのように、だらだら自問自答、結論を自分で勝手に出して、自己満足、一方通行だったり。
(朝の読経タイムですので。。。。)
じつは、朝の指の運動に非常にいいのだ。
ピアノのレッスンのごとく。
しかし、同じキーをぱちぱち打つのでも、
この時期(かなり遅いが)、年賀状のデザイン・レイアウトをしなければいけないのが、憂鬱。
宛名を入力しなければいけないのが、さらに面倒。
今まで、和紙やらハンコをぺたぺた貼ったり押したり、手作業&手書きの年賀状で、
「まあ、なんとアナログ!」と驚かれていたが、今回は、娘婿の指導もあり、パソコン制作に挑戦(の気持ち)。
間際になって、時間切れで、
かえって、時間のかかる手作業の年賀状にして、パソコン制作は、しないかも知れないが。
(年賀状自体も、「やめたやめた、もう出さない」と、放り投げるかも?)
根っからの※アナログ人間は、アナクロ、時代錯誤、時代遅れ人間でもある。
(※アナログの定義からすると、こういう使い方、厳密にいうと誤用らしいです)
閲覧数が極端に少ないらしい。(ご本人の弁)
そんなはずはない、・・・はずである。
わたしは、絶対に面白いブログだと思っている。
まったく、ぜんぜん、どこがいいのか、さっぱりわからない、まるでつまらんブログが、
ありえないほどブログ村でポイントをカウントしているのを見ると、
人々の気持ち、嗜好、動向というものには、つくづくわたしの理解を越えていると感じる。
わたしが、時代遅れ? おかしいのか? 超少数派マイノリティ?
これは、嗜好だけではなく、世の中の流れ的なものも影響していると思う。
アベノミックス景気に取り残された人々、こころの病、ネットにどっぷり入り込んでいく背景・・・その他・・・
政治でいうところの浮動票的なもの。
その浮遊している数が、ひとつひとつは単体だが、
集まると、鳥の群れのように、膨大な数になるのではないだろうか?
マイナーなものの塊は、目を引くが、プラスのものには、あまり人は集(たか)らないのでは?
2ちゃんねるのような、ああいう類のものは昔から盛んだ。
楽しいことや、良いこと、立派なこと、素晴らしいこと、そんなことが書かれているブログ、その他に、
人々は集まるだろうか?
絶対に集まらないと、わたしは思う。
なぜなら・・・面白くないから。こころに、響かない。
これは、わたしが、無意識のうちに魂を病んでいるかも知れない。
素晴らしいことを否定する気は、まったくないし、賛同もするし、憧れ、理想とする。
が、まったく見ず知らずの人で、なんの関わりもなく、自分とはまるで違う世界の人であった場合、
わくわくして読むか、どうか・・・
・・・
物書きという人種は、「本質」が見えるそうだ。
表に表れていること以外に、その下にある部分が見えるらしい。
見たくなくても、勝手に見えてしまうのは、本人としては、好ましくない、望まない場合もある。
言葉で表していることの、行間に、別の意味があることもあるらしい。
ややこしい。
しかし、本音と建前を使い分ける人種とされている日本人には、たいして胸も痛まず、
ごくごく日常として、美しく難なく、本音と建前を使い分ける。
雅やかな、上品で歴史深い都の人々は、特に。(らしい)
ま、それはそれで、どうでもいいとして・・・
(どうでもいいことばかりを書く主義)
・・・
いきなり、
面白いブログなのに、閲覧数が少ない話に戻ると、
なにかの間違い、たとえば、コンピューター上の、とか、人為的初歩ミスとか。
検索ロボットが、うろうろしていて、
機関銃を担いで、かたっぱしから人の家に鎧をつけたまま、ターミネーターのように上がりこんでくる。
閲覧数(IP)はカウントは「1」だが、ページビュー(PV)が、異常に多い時もあるし、あほほど数が膨らむ。
しかも、グーグルだけでなく、いろんなところのロボットが、うごめいている。
なので、ロボットは来て欲しくないけれど、ほっておく。
べつに、悪さはしないようなので。
・・・
と、支離滅裂っぽいが、
ブログ文化、じつに面白いと、わたしは感じている。
閲覧数はどうであろうが、ブロガーさんがご機嫌よく書いてくれると、それを楽しみに読んでいる。
書き手、読み手、双方向だったり、
蝶ブログのように、だらだら自問自答、結論を自分で勝手に出して、自己満足、一方通行だったり。
(朝の読経タイムですので。。。。)
じつは、朝の指の運動に非常にいいのだ。
ピアノのレッスンのごとく。
しかし、同じキーをぱちぱち打つのでも、
この時期(かなり遅いが)、年賀状のデザイン・レイアウトをしなければいけないのが、憂鬱。
宛名を入力しなければいけないのが、さらに面倒。
今まで、和紙やらハンコをぺたぺた貼ったり押したり、手作業&手書きの年賀状で、
「まあ、なんとアナログ!」と驚かれていたが、今回は、娘婿の指導もあり、パソコン制作に挑戦(の気持ち)。
間際になって、時間切れで、
かえって、時間のかかる手作業の年賀状にして、パソコン制作は、しないかも知れないが。
(年賀状自体も、「やめたやめた、もう出さない」と、放り投げるかも?)
根っからの※アナログ人間は、アナクロ、時代錯誤、時代遅れ人間でもある。
(※アナログの定義からすると、こういう使い方、厳密にいうと誤用らしいです)