わたしの娘。
おそろしい・・・。
いやはや、ぐうの音も出ないほど、正論を吐く。
なので、なんの反論も抵抗もできない。
しかも、いちばん、抵抗できない部分、その部分は、なんと、
わたしの価値観とまったく、ぴったり同じ。
冷や汗が出た。
この偏った人間は、わたしが作った?
彼女は、苦情係に、ぴったりだと思う。
(現職は、苦情係ではないが)
ああ言えば、こう言う。
こちらの非を見逃さず、うまくすくい取って、正論で攻めてくる。
・・・で、わたし・・・。
どんな人に対しても(他人を含め)
すぐに、言いくるめられる。
文句や苦情を言っても、反論されると、即、「すみません・・・」と、しょんぼり、しんなり。
あっさり、なにも考えずに非を認める。(とっさに思いつかない)
こういうユーザーは、クレイマーの中においては、とても優良で善良で、あほな客だそうだ。
うるさいクレーマーをいかに黙らせるか、納得させるかに、てこずらされ、躍起だ。
なので、わたしのような、人が良くて大人しくて、あまり追求しない、おっとりしている客は、
待てど暮らせど、まったくほったらかし。
価格交渉も、納期も、相手の思う壺。
他で損をした分、お人よしの客からふんだくる。
業者と客は、そういう構図。
お客様満足度をあげるとか言っても、いかにクレーマーを黙らせるか、である。
・・・
と、そんな話を書きたかったわけではない。
「こんなことがあって、頭にくる・・・。」と、娘にぼやくと、
「なんで、こう、切り返さないの?」と、間髪を入れず、すばらしいアイデアがぽろぽろ出てくる。
なんで、そんなに次から次から、攻めの発想が湧き出てくるのか、不思議を通り越して、頼もしくなった。
「言われるままにしているのは、あほ」
と、娘に怒られる。
「自分を守るには、頭を使わないと、誰も守ってくれないよ」とのこと。
別の知人にも同じようなことを言われた。
こんな時に、こうなったら、どうする、こう言われたら・・・ああする・・・、と、どんどん、浮かぶそうだ。
おひとよし=あほ
わたしは、かなりの「あほ」である。
その鬱憤をブログで発散している。
昼行灯(ひるあんどん)は、辛い。
・・・
自分が一番になりたい人がいる。
こういう人は、スポーツに向いている。
なにがなんでも勝ちたい。負けると死ぬほど悔しい。
わたしは、スポーツや、勝負事には、まったく向いていない。
負けてもぜんぜん、どおってことない。
お先にどうぞ、と、席を譲ってしまうタイプ。
で、その勝ちたい人、Aさんという人がいる。
義母のご近所さん。
彼女は、孫が最近できた。
自分の孫ばかりをさんざん自慢して、他の人の孫自慢(義母の場合、ひ孫)を聞いてくれないらしい。
自分の孫の誕生日の、同じような写真を100枚近くも見せられて、義母は、うんざりしていた。
孫自慢、甚だしいそうだ。
「結婚したら、子供ができるのが、普通よね。Bさんの息子さんは、どうして子供がいないの?」
と、Aさんは平気で言うお方。
不妊治療もさかんに行われ、子供を授からない苦しみに、もがいている人が多い昨今、
誰でも彼でもカンタンに子供ができるわけではないことは、私と同世代なら、ご存知のはず。
AさんとBさんは、いつも行動を共にする、ご近所仲良しさん。
よく、そんな人と付き合っているものだ、と、わたしは感心を通り越して、摩訶不思議。
わたしとほぼ同世代であるAさん(Aさんのほうが年上)なのに、
その発言内容の、蔑視、無理解、無知識、無神経ぶりには、驚くばかりだ。
わたしは、かつて、その人と1年間、同じ地域で暮らし、ご近所さんだった。
今も義母の家に行くと、Aさんと顔を合わせることがある。
ああいう人が、普通に住んでいて、お友達付き合いもしている、そんな地域って・・・?
義母が言うには、「10人中9人までが、Aさんのことを嫌いだって言ってる」そうだ。
まあ、好かれるわけがないのだが。
要は、彼女は、人の上に立ちたい、
自分が優位になりたい、そういう人なのだ。
そこで、わたしは思う。
・・・ひとの弱点をほじくり出すことでしか、自分が優位に立てないなんて、なんと気の毒な人かと。
そういう精神構造が今もなお現役で機能し、熟年である現在も進行中なところが、驚きだ。
世の中には、いろんな人がいる。
自分の尺度でしかモノゴトを見ることができない。
比較するもの、コトを自分で選ぶ。
(マザーテレサと比べて嘆く人もいるが、それもどうかと)
自慢している人がいるとする。
その自慢のレベルがどれぐらいかで、赤恥をかく。
え?そんなレベルで、自分は一番偉い、すごいって思ってるの?
子供の頃、こんなのだった、あんなのだった、すごいでしょ?
・・・で、今は?
それ、すごいの?
そこで、堂々と言えるかどうか。
もちろん、自分を否定するのは悲劇だ。
肯定する人生を歩みたい。
ただ、自慢していたら、自慢した分だけ、説得材料、自慢の内容に対して誰もが納得できる「現在の事実」が必要だ。
へ~・・・
そんな程度で自慢する?
みたいなことは、すごく恥ずかしい・・・と、わたしは感じる。
なので、わたしは、自慢しない主義。
自分がたいしたことないのに、カッコ悪いから。
自慢のレベルが、問題なのだけれど、
幸せを感じることと、自慢とは、また違う。
どんな小さなことでも満足できて幸せを感じることは素晴らしい。
自慢するなら、いろんなレベルがあることを承知の上で、その中で自分はどんな程度か、知って、
あえて敢行するのなら、まあ、よしとしよう。
知らないで自慢するのは、何度も言うようだが、非常にみっともない。
自慢やイヤミに聞こえないような、お互いのレベル、回りのレベルが似たような感覚なら、問題なしである。
・・・
と、なんだか、なにが言いたいのか、わからなくなってきた。
おばさん同士のオシャベリみたいになった。
自分が言いたいことだけ言って、相手の話を聞かない。
またもや、結論なしで、強制終了の時間になった。
ほったらかしで、失礼いたします。
おそろしい・・・。
いやはや、ぐうの音も出ないほど、正論を吐く。
なので、なんの反論も抵抗もできない。
しかも、いちばん、抵抗できない部分、その部分は、なんと、
わたしの価値観とまったく、ぴったり同じ。
冷や汗が出た。
この偏った人間は、わたしが作った?
彼女は、苦情係に、ぴったりだと思う。
(現職は、苦情係ではないが)
ああ言えば、こう言う。
こちらの非を見逃さず、うまくすくい取って、正論で攻めてくる。
・・・で、わたし・・・。
どんな人に対しても(他人を含め)
すぐに、言いくるめられる。
文句や苦情を言っても、反論されると、即、「すみません・・・」と、しょんぼり、しんなり。
あっさり、なにも考えずに非を認める。(とっさに思いつかない)
こういうユーザーは、クレイマーの中においては、とても優良で善良で、あほな客だそうだ。
うるさいクレーマーをいかに黙らせるか、納得させるかに、てこずらされ、躍起だ。
なので、わたしのような、人が良くて大人しくて、あまり追求しない、おっとりしている客は、
待てど暮らせど、まったくほったらかし。
価格交渉も、納期も、相手の思う壺。
他で損をした分、お人よしの客からふんだくる。
業者と客は、そういう構図。
お客様満足度をあげるとか言っても、いかにクレーマーを黙らせるか、である。
・・・
と、そんな話を書きたかったわけではない。
「こんなことがあって、頭にくる・・・。」と、娘にぼやくと、
「なんで、こう、切り返さないの?」と、間髪を入れず、すばらしいアイデアがぽろぽろ出てくる。
なんで、そんなに次から次から、攻めの発想が湧き出てくるのか、不思議を通り越して、頼もしくなった。
「言われるままにしているのは、あほ」
と、娘に怒られる。
「自分を守るには、頭を使わないと、誰も守ってくれないよ」とのこと。
別の知人にも同じようなことを言われた。
こんな時に、こうなったら、どうする、こう言われたら・・・ああする・・・、と、どんどん、浮かぶそうだ。
おひとよし=あほ
わたしは、かなりの「あほ」である。
その鬱憤をブログで発散している。
昼行灯(ひるあんどん)は、辛い。
・・・
自分が一番になりたい人がいる。
こういう人は、スポーツに向いている。
なにがなんでも勝ちたい。負けると死ぬほど悔しい。
わたしは、スポーツや、勝負事には、まったく向いていない。
負けてもぜんぜん、どおってことない。
お先にどうぞ、と、席を譲ってしまうタイプ。
で、その勝ちたい人、Aさんという人がいる。
義母のご近所さん。
彼女は、孫が最近できた。
自分の孫ばかりをさんざん自慢して、他の人の孫自慢(義母の場合、ひ孫)を聞いてくれないらしい。
自分の孫の誕生日の、同じような写真を100枚近くも見せられて、義母は、うんざりしていた。
孫自慢、甚だしいそうだ。
「結婚したら、子供ができるのが、普通よね。Bさんの息子さんは、どうして子供がいないの?」
と、Aさんは平気で言うお方。
不妊治療もさかんに行われ、子供を授からない苦しみに、もがいている人が多い昨今、
誰でも彼でもカンタンに子供ができるわけではないことは、私と同世代なら、ご存知のはず。
AさんとBさんは、いつも行動を共にする、ご近所仲良しさん。
よく、そんな人と付き合っているものだ、と、わたしは感心を通り越して、摩訶不思議。
わたしとほぼ同世代であるAさん(Aさんのほうが年上)なのに、
その発言内容の、蔑視、無理解、無知識、無神経ぶりには、驚くばかりだ。
わたしは、かつて、その人と1年間、同じ地域で暮らし、ご近所さんだった。
今も義母の家に行くと、Aさんと顔を合わせることがある。
ああいう人が、普通に住んでいて、お友達付き合いもしている、そんな地域って・・・?
義母が言うには、「10人中9人までが、Aさんのことを嫌いだって言ってる」そうだ。
まあ、好かれるわけがないのだが。
要は、彼女は、人の上に立ちたい、
自分が優位になりたい、そういう人なのだ。
そこで、わたしは思う。
・・・ひとの弱点をほじくり出すことでしか、自分が優位に立てないなんて、なんと気の毒な人かと。
そういう精神構造が今もなお現役で機能し、熟年である現在も進行中なところが、驚きだ。
世の中には、いろんな人がいる。
自分の尺度でしかモノゴトを見ることができない。
比較するもの、コトを自分で選ぶ。
(マザーテレサと比べて嘆く人もいるが、それもどうかと)
自慢している人がいるとする。
その自慢のレベルがどれぐらいかで、赤恥をかく。
え?そんなレベルで、自分は一番偉い、すごいって思ってるの?
子供の頃、こんなのだった、あんなのだった、すごいでしょ?
・・・で、今は?
それ、すごいの?
そこで、堂々と言えるかどうか。
もちろん、自分を否定するのは悲劇だ。
肯定する人生を歩みたい。
ただ、自慢していたら、自慢した分だけ、説得材料、自慢の内容に対して誰もが納得できる「現在の事実」が必要だ。
へ~・・・
そんな程度で自慢する?
みたいなことは、すごく恥ずかしい・・・と、わたしは感じる。
なので、わたしは、自慢しない主義。
自分がたいしたことないのに、カッコ悪いから。
自慢のレベルが、問題なのだけれど、
幸せを感じることと、自慢とは、また違う。
どんな小さなことでも満足できて幸せを感じることは素晴らしい。
自慢するなら、いろんなレベルがあることを承知の上で、その中で自分はどんな程度か、知って、
あえて敢行するのなら、まあ、よしとしよう。
知らないで自慢するのは、何度も言うようだが、非常にみっともない。
自慢やイヤミに聞こえないような、お互いのレベル、回りのレベルが似たような感覚なら、問題なしである。
・・・
と、なんだか、なにが言いたいのか、わからなくなってきた。
おばさん同士のオシャベリみたいになった。
自分が言いたいことだけ言って、相手の話を聞かない。
またもや、結論なしで、強制終了の時間になった。
ほったらかしで、失礼いたします。