
なぜなら、ブログアップ中毒であるわたしが、ここ2日もアップしていないからだ。
しかも、なぜかこの時期、いい気候なのだかどうだかわからないが
(台風シーズンでもあるが)
やらたスケジュールが、混み混みで、なかなか落ち着ける時がない。
この忙しいのに、パリまで営業電話をかけてきてくれた、とある店長さんから、
またまた、バーゲンのお誘い。
(先方は、まさか、わたしがパリにいるとは思ってないから、
「遠いので電話代高いですから」と申し訳ないので早々に切った。
今回は、「もしもし、いま、パリじゃないですよね?」から始まった)
秋冬物のサンプルをこそっと。
サンプルは、とてもいい。
製品になる前のモノだから、海のモノとも、山のモノともわからないが、(好評だと量産するのか?)
イタリア製、フランス製のモノも、タグなしなので(タグありのモノもある)、
(人に見せびらかしたり自慢したりする趣味がある人は、だめだろうけれど)
人にどう思われようが、自分さえよければいいのだから、実質本位のわたしには、とても理に適っている。
こう書くと、どんなセレブっぽい生活をしているのかと思われそうだが、
実際は、まったく違うので。
パリのハナシなんか、大嫌いな人も、かなりおられるようだし。
おそらく、食わずキライだと思われる。
単語、地名、事柄に対する先入観。
イメージから来る苦手感。
しかしまあ、パリで買わないで、なんで日本でサンプルをバーゲンで買う?
パリで買ったのは、教会のチャリティーバザーの品々。
しかも、フランス語しか話さない(話せない)おばあさんとの、
クレジットカードの機械が故障した、しない、のやりとりは、悲惨。
強固なおばあさん→フランス語を少し英語にできるおばさん→英語を英語ができない人に説明できるおネエさん
この順序で、次から次へと人と人の橋渡し、数珠繋ぎされ、どうにか、わたしとの交渉は成立した。
(わたしが、泣く泣くあきらめて、カードを使えず現金で買った)
そのうちのひとつである、合い服コート、
買ってからパリでも、日本に帰ってきてからも引続き日本でも、じゃんじゃん着ている。
(飛行機の中では、機内荷物入れで、重いリュックを上にででんと乗せられ、ものの見事にべっちゃんこになった・・・)
気兼ねなく、着られるところが、とてもいい。
バザーなので、お古。ユーズド。
センスさえ合えば、とてもオススメ。
わたしは、手足が長いので、欧米サイズでぴったり。(じつのところは、ウエストが、窮屈)
と、なんのハナシ?
あ。そうそう、パリで古着。
ばか高い値段の服を、一流どころのお店で買う気がしない。
世界のセレブじゃあるまいし。
あるいは、なんのデザインもされていない(ように見える)、デザインのものがいい。
つまり、シンプル。
機能美。
清潔感ただよう、スッキリした装い。
これは、好感が持てる。
ある日の大阪市内、とある名のあるホテルで、ランチ客の女性の方々。
大きな大きなヴィトンの紙袋をお持ち。その他の紙袋も、いくつも。
おそらく、お買い物されたのだろう。
わー、セレブ!!
と、思ったかというと、わたしは思わなかった。
へ~、またまた、今ごろ、ヴィトン?
なんて、すごく感じの悪いだろう感想を抱いてしまった。
人は人なので、好き好きがあって、おのおの、購買意欲を持ち、モチベーションをアップさせ、働き、
なおかつ、幸福感につながり、それで、経済は活性される。
なので、非常に世界の経済のためにはよろしいことである。
(「日本の経済のため」と書こうとしたが、ヴィトンなので、「世界の」に変更した)
・・・
モノの味方を変えると、ころっと評価が逆さまになることもある。
たとえば、装飾美。
シンプルな機能美が好きな人から見れば、単なる、ごてごてした無駄な醜悪なもの。
いくら純金であろうが、大理石であろうが、宝石であろうが、ゼロがいくつも付く高価なモノであろうが、
機能性→「使いにくい」という切り口からすると、零点。
食べ物も然り。
ただただその時の味覚、
一瞬の舌触りや喉ごしの享楽、悦楽のために、貴重な労力、時間、お金を費やすことの無駄さ。
素材そのものの味わいや、栄養バランス、手に入れやすさ、価格、調理しやすさ、食べやすさ、
健康を軸にすると、
どんな、まったりこってり、素晴らしく豪華な食事も、零点。
味を貪欲に追求するグルメな人に対して「健康」というキーワードは、ドラキュラに十字架、にんにく。
塩分、油分、コレステロール、おいしいものは、数値が高い。
インテリアも、どんなに美を極めようが、大豪邸、大邸宅であろうが、貴重な名品の数々であろうが、
整理整頓、掃除が行き届いてないと、零点。
服装も、そう。
ただただ好きで買ってばかり、家の中は服の山。
買う分、今ある服を捨てる、といっても、たいして着てもいない服を捨ててまで買うって、どんな服?
新しい服を買って、着て、うれしい? 気分がいい?
廃棄するものをどんどん増やして、なにがしたい?
無駄なものは、不必要。
エコ精神 VS 無駄
しかし、そうなると、モノは売れなくなり、経済は停滞するだろうから、
あまりエコ精神を徹底すると、行き詰まり感、閉塞感にもつながる。
いっそ、エコ重視で、国全体で、自給自足の生活を促すのはどうか?
しかし、日本の政策は、減反政策の徹底や、農業が失墜してしまいそうなことばかり。
国民の食べ物が自国で賄えないって、これは大変なことだと思う。
と、深くも考えずに、だらだらと無責任に書いている。
ゆとり教育にしても、弊害が出て、なににつけ、なんでも、ゆり戻しあり。
・・・
テーマが、どんどん、ズレていっている。
店長からのお誘い電話、
ホテルのランチ客のヴィトンの買い物袋。
どうなった?
・・・
わたしは、パリで、十分すぎるほど中途半端な自分を確認、認識した。
ファッション→まったく中途半端
外見、年齢、行動→いまさら、パリひとり旅もあるまい
わたしって、わたしって、わたしって、いったい・・・??
お若い、就職浪人やニートの方々が、ぶつかるような壁?
いや、そういう若い時期には、それに応じた、自分がやるべき時間を過ごしてきている。
じゃ、この遅れてやってくる、「わたしって・・・現象」って、なに?
おそらく、この疑問、
徐々に自分なりに苦労して紐解き、解決し、結論に近づいていくことだろう。
その頃には、それなりの風貌になっていることと期待する。
スペインで見た、激しくインパクトのある(悪い意味で)牛男
みたいになるのか? (じつは、担当の現地日本人ガイドさん。すみません)
あれはあれで、怖いものがある。
わたしは、あの路線は、ぜんぜん目指していない。
むしろ、避けている。
なら、自分の理想とする道をはっきりくっきり、はやく定めて、さあ、と歩き始めるのではなく、
(そんなのは、遅い)
もう、そこそこのところまで、歩いていなければならない。
いま、わたしは、どの地点にいる?
さすがに、ヴィトンには、興味がなくなったことだけは確かである。