二人の似たような年齢の人がいる。
Aさんと、Bさん。
推定年齢は73歳ぐらいかと想像する。
お二人とも、年金をもらっておられる世代。
二人の共通するところは、趣味が同じ。
そして、健康であるということ。
共通しないところは、金回り。自由にできるお金の額。
Aさんは、年金以外に、多額のキャッシュと、毎月定期的に入る、なんらかの不労収入。
さらに原資を元に利回り追求型の投資や、そのリターン、配当を享受。
Bさんは、年金一本やり。(想像です)
お金回りの違いは、細かい行動に現れる。
まず、移動。
Aさんは、どんなところへもタクシー。
Bさんは、自転車。
(二人とも、遠いところは、電車)
お次は、食事。
Aさんは、ホテルの豪華ランチやディナー、
ほんのちょっとした時間待ちも、ホテルのコーヒー(1200円ぐらいする)。
Bさんは、移動途中、電車のホームで、スーパーで買ってきた5個入りミニ・アンパンをパクパク。
お茶は、ペットボトルに水道水。非常食に、飴と、みかん。
そして、
習い事や健康維持にかける費用も、違いが、くっきり、はっきり。
Aさんは、社交ダンスの個人レッスンと団体レッスンを受けておられる。
個人レッスンは、先生を適材適所、習得度合いに合う先生に変え、週に1~2回、レッスンを受ける。
(個人レッスンの費用は、ばか高いが、これは、ダンス業界が衰退する悪の根源であると私は思っている)
都心ホテルのフィットネス会員でもあり、優雅に汗を流す。(高額)
Bさんは、1ヶ月定額(低額)で利用できる、地元ホールの常連さん。
基礎トレーニングをはじめ、自主練に励んでおられる。
さらに、
身につけるもの、いわゆる、身なり。
Aさんは、見るからに高そうな時計や貴金属を身にまとい、
いつも、誰が見てもわかる品質の良いものをさらっと着ておられる。付加価値いっぱい。
Bさんは、大き目のリュックを背負い、ウォーキングシューズ。
健脚。フットワークの軽さが現れる服装。
ただし、いつも同じ(に見える)服。機能性重視。
・・・お二方、1ヶ月に使う金額は、いったいどれぐらい違うのだろう?
おそらく、ない袖は振れないので、行動から金額を計算できてしまう。
別の、とある人は、100円以上の代金なら、喫茶店に入らないという徹底した信念をお持ちらしい。
(これも、ない袖は振れないので、わかりやすい)
マクドナルドは、かろうじて、OKらしい。ただし、1日1回限り。
1日の使う(使える)金額が、びしっと決まっていて、それ以上は、絶対に使わない(使えない)。
非常にわかりやすいので、皆が声をかけるときも、それを考慮するそうだ。
でも、和気藹々、仲良く、ぎくしゃくしないで、共通の趣味を楽しんでいる。
どんなにお金があろうが、使えようが、趣味の分野は、本人の実力次第。
おもしろいものである。
偶然だか、なんだかわからないが、
お金たっぷりのAさんのほうが、キャリアが短くて、発展途上。(「ヘタ」とも言う)
お金に制限のあるBさんのほうが、昔からやっておられて、とてもお上手。
絶妙のバランスだ。
逆だったら、ちょっと、回りも、にこやかに対応できないかも知れない。
・・・・・
で、ここで、お金とは、また別のハナシ。
よせばいいのに、むくむくと、湧き上がってきた。
まったく違う話題に突入。
とあるCさんと、Dさん。
還暦以後に行われた同窓会をきっかけに、再燃した、熟年の恋。
再燃といっても、昔、つきあっていたわけでもないとか。
お二人とも、同じ年なので、お互いの年齢のことを気にすることはないから、そのあたりは気楽。
女性は、ある年齢になると、
「これで自分は女である身は終わり」と感じる時期があるそうだ。
これは、ある、熟年のモテモテ男性が言っていた。
「つまり、崖っぷちの『狂い咲き』やね」と、そのモテモテ氏の、わかりやすい説明。
なるほど。
コトバは悪いが、納得した。
とくに、今までの人生、まじめに過ごして来られた方ほど、
これでいいのかしら、わたしの人生・・・みたいなことになる。
(なかには、そのスキを狙う悪い人もいるので、要注意)
若い頃に、遊んでいなかった、恋愛しなかった、その帳尻を、
まだ間に合う時期に、取り戻そうとしている場合もある。
ご自分が納得できるまで、そこそこ経験したら、それで、いいんじゃないだろうか。
わたしは、とてもクールである。
それぞれ配偶者がおられる場合、
ご本人たちが、盛り上がって、(お互いの家族に迷惑をかけないで)、充実できれば、それはそれでいい。
ある時期がくれば、あるいは、転勤や単身赴任の配偶者が帰ってくるなど、状況が許されなくなれば
「これで、お別れね」ということになる。
お互いの家庭に戻る、といっても、家庭を捨てていない重複、二重ライン愛なので、
戻るもなにも、ない。そもそも、巣から出て行っていない。
ご本人、当事者にすれば、とても純粋で、お目目キラキラであっても、
それは、お二人の間だけの問題である。
好きにすればいい。
人生の短い残り時間をどう使おうが、個人の自由。
諸々の事情が許さなくなり、キラキラ終了時期が来て閉幕となっても、よい思い出が残る。
「キレイに、さようなら」の予定が、あとが、ごちゃごちゃになることも世の中には普通にあるので、
「いいとこ取り」の予定であっても、リスクもあるから、幸運を祈るばかり。
潮時って、大事なので。
なにごとも、見切りが、おいしいコツかも。(耳年寄りの見聞から)
両者のタイミング、温度が、ぴったりだったら、幕引き温度も、おそらく、ぴったりだろう。
ああ、なんで、わたしは、こんなに冷めているのだろう。
責任を伴わない「お遊び」に対して、わたしは、非常に厳しい目で見てしまう。
「わたしたちは、純粋です。
制度上の結婚、カタチだけの結婚、愛のない結婚では、感じることのできない、愛を感じ、育てています」
と、どんなに俳優のように力説されても、「あ、そ」と思うだけである。
じゃあ、離婚して、再婚すれば?
隠れて愛を育てている限り、それって・・・???
「隠れて」配偶者を裏切っているわけだから。
ロミオとジュリエットのように、あまり、お目目に涙を浮かべて、訴えるのは、どうかと・・・。
ごめんなさい。
「純粋な?」愛を育てておられる方々の応援をしなくて。
なんの犠牲も払わず、責任も持たず、愛だの恋だの、そういうのって、・・・???
お二人の間だけで通じることなのでは?と思ってしまう、いたって客観的、かわいげのない、わたし。
ダイアナ妃とカミラさんを見ても然り。
ダイアナさんは、悲劇のヒロインとなって世界中の涙を誘ったけれど、
悪役みたいになってしまったカミラさんも可哀そう。
男が悪い。チャールズさんが、二人の女性を不幸にした。
(しかし、王家に生まれた宿命、気の毒かも)
その後、カミラさんは、堂々とダイアナ妃のあとに、妻の座に座ったけれど。
悲劇を生んだが、どんなに全世界から非難を浴びても、
公の場で、その非難を真正面から受けることを選んだチャールズさんとカミラさん、
お二人は、わたしは、それなりに評価できると思う。
愛を貫こうとすると、犠牲が伴うってこと。
愛だけ、なんて、世間や義務から逃避したところでの、そんなウマイ話、
うさんくさくて、甘っちょろくて、聞く気がしない。
愛は、日常生活の中で、変化していくものだと、わたしは思っている。
恋愛感情を大切にしたければ、何年かに一度、相手を取り替えるのが、一番の策。
動物学者が唱えていたが、動物は4年に一度、相手を代えるそうな。
これは、理に適っている。
あるいは、べたっと一緒に暮らさないこと。
単身赴任なんていうのは、もってこいかも知れないが、
赴任期間を終えて元の場所に帰る時が、大変、大騒ぎ。(悪い意味で)
単身赴任の間に、結果的に、お互い、毒抜き、ガス抜きすることになるとすると、それはそれでよい。
「あたなの居ない間に・・・あなた、ごめんなさい」みたいな気持ちも生まれ、
再スタートを底上げする効果もある。
あるいは、同居再スタート嫌さに、それを機会に離婚するという手もある。(勇気があれば)
・・・
夫婦は、これまで長く共に歩んできた道のり、思い出、
また、子供や、親族を共有する。
感謝や労わりの念も生まれる。
それはそれとして、キープ、温存しておいて、別の愛の対象を設けるなどというのは、けしからんが、
まあ、そういうことは、よくあること。
よくあることすぎて、世の矛盾、不条理を非常に感じるわけでして。
「どうにかして~~」と訴えたいところだが、
古今東西、芸術や映画、小説、その他もろもろ、
いろんな抑圧されたエネルギーが、素晴らしいものを生んでいたり、
数々の歴史を生んだり、変えたり、・・・
ああ、芸術愛好者としては、どっちの味方をすればいいの??
・・・と、あいかわらず、
右へ行ったり、左へ行ったり、上に上ったり、下に下がったり、
どっちつかずの宙ぶらりん、結論なしと相成りました。
要は、考えなしってことなんだろうか。
Aさんと、Bさん。
推定年齢は73歳ぐらいかと想像する。
お二人とも、年金をもらっておられる世代。
二人の共通するところは、趣味が同じ。
そして、健康であるということ。
共通しないところは、金回り。自由にできるお金の額。
Aさんは、年金以外に、多額のキャッシュと、毎月定期的に入る、なんらかの不労収入。
さらに原資を元に利回り追求型の投資や、そのリターン、配当を享受。
Bさんは、年金一本やり。(想像です)
お金回りの違いは、細かい行動に現れる。
まず、移動。
Aさんは、どんなところへもタクシー。
Bさんは、自転車。
(二人とも、遠いところは、電車)
お次は、食事。
Aさんは、ホテルの豪華ランチやディナー、
ほんのちょっとした時間待ちも、ホテルのコーヒー(1200円ぐらいする)。
Bさんは、移動途中、電車のホームで、スーパーで買ってきた5個入りミニ・アンパンをパクパク。
お茶は、ペットボトルに水道水。非常食に、飴と、みかん。
そして、
習い事や健康維持にかける費用も、違いが、くっきり、はっきり。
Aさんは、社交ダンスの個人レッスンと団体レッスンを受けておられる。
個人レッスンは、先生を適材適所、習得度合いに合う先生に変え、週に1~2回、レッスンを受ける。
(個人レッスンの費用は、ばか高いが、これは、ダンス業界が衰退する悪の根源であると私は思っている)
都心ホテルのフィットネス会員でもあり、優雅に汗を流す。(高額)
Bさんは、1ヶ月定額(低額)で利用できる、地元ホールの常連さん。
基礎トレーニングをはじめ、自主練に励んでおられる。
さらに、
身につけるもの、いわゆる、身なり。
Aさんは、見るからに高そうな時計や貴金属を身にまとい、
いつも、誰が見てもわかる品質の良いものをさらっと着ておられる。付加価値いっぱい。
Bさんは、大き目のリュックを背負い、ウォーキングシューズ。
健脚。フットワークの軽さが現れる服装。
ただし、いつも同じ(に見える)服。機能性重視。
・・・お二方、1ヶ月に使う金額は、いったいどれぐらい違うのだろう?
おそらく、ない袖は振れないので、行動から金額を計算できてしまう。
別の、とある人は、100円以上の代金なら、喫茶店に入らないという徹底した信念をお持ちらしい。
(これも、ない袖は振れないので、わかりやすい)
マクドナルドは、かろうじて、OKらしい。ただし、1日1回限り。
1日の使う(使える)金額が、びしっと決まっていて、それ以上は、絶対に使わない(使えない)。
非常にわかりやすいので、皆が声をかけるときも、それを考慮するそうだ。
でも、和気藹々、仲良く、ぎくしゃくしないで、共通の趣味を楽しんでいる。
どんなにお金があろうが、使えようが、趣味の分野は、本人の実力次第。
おもしろいものである。
偶然だか、なんだかわからないが、
お金たっぷりのAさんのほうが、キャリアが短くて、発展途上。(「ヘタ」とも言う)
お金に制限のあるBさんのほうが、昔からやっておられて、とてもお上手。
絶妙のバランスだ。
逆だったら、ちょっと、回りも、にこやかに対応できないかも知れない。
・・・・・
で、ここで、お金とは、また別のハナシ。
よせばいいのに、むくむくと、湧き上がってきた。
まったく違う話題に突入。
とあるCさんと、Dさん。
還暦以後に行われた同窓会をきっかけに、再燃した、熟年の恋。
再燃といっても、昔、つきあっていたわけでもないとか。
お二人とも、同じ年なので、お互いの年齢のことを気にすることはないから、そのあたりは気楽。
女性は、ある年齢になると、
「これで自分は女である身は終わり」と感じる時期があるそうだ。
これは、ある、熟年のモテモテ男性が言っていた。
「つまり、崖っぷちの『狂い咲き』やね」と、そのモテモテ氏の、わかりやすい説明。
なるほど。
コトバは悪いが、納得した。
とくに、今までの人生、まじめに過ごして来られた方ほど、
これでいいのかしら、わたしの人生・・・みたいなことになる。
(なかには、そのスキを狙う悪い人もいるので、要注意)
若い頃に、遊んでいなかった、恋愛しなかった、その帳尻を、
まだ間に合う時期に、取り戻そうとしている場合もある。
ご自分が納得できるまで、そこそこ経験したら、それで、いいんじゃないだろうか。
わたしは、とてもクールである。
それぞれ配偶者がおられる場合、
ご本人たちが、盛り上がって、(お互いの家族に迷惑をかけないで)、充実できれば、それはそれでいい。
ある時期がくれば、あるいは、転勤や単身赴任の配偶者が帰ってくるなど、状況が許されなくなれば
「これで、お別れね」ということになる。
お互いの家庭に戻る、といっても、家庭を捨てていない重複、二重ライン愛なので、
戻るもなにも、ない。そもそも、巣から出て行っていない。
ご本人、当事者にすれば、とても純粋で、お目目キラキラであっても、
それは、お二人の間だけの問題である。
好きにすればいい。
人生の短い残り時間をどう使おうが、個人の自由。
諸々の事情が許さなくなり、キラキラ終了時期が来て閉幕となっても、よい思い出が残る。
「キレイに、さようなら」の予定が、あとが、ごちゃごちゃになることも世の中には普通にあるので、
「いいとこ取り」の予定であっても、リスクもあるから、幸運を祈るばかり。
潮時って、大事なので。
なにごとも、見切りが、おいしいコツかも。(耳年寄りの見聞から)
両者のタイミング、温度が、ぴったりだったら、幕引き温度も、おそらく、ぴったりだろう。
ああ、なんで、わたしは、こんなに冷めているのだろう。
責任を伴わない「お遊び」に対して、わたしは、非常に厳しい目で見てしまう。
「わたしたちは、純粋です。
制度上の結婚、カタチだけの結婚、愛のない結婚では、感じることのできない、愛を感じ、育てています」
と、どんなに俳優のように力説されても、「あ、そ」と思うだけである。
じゃあ、離婚して、再婚すれば?
隠れて愛を育てている限り、それって・・・???
「隠れて」配偶者を裏切っているわけだから。
ロミオとジュリエットのように、あまり、お目目に涙を浮かべて、訴えるのは、どうかと・・・。
ごめんなさい。
「純粋な?」愛を育てておられる方々の応援をしなくて。
なんの犠牲も払わず、責任も持たず、愛だの恋だの、そういうのって、・・・???
お二人の間だけで通じることなのでは?と思ってしまう、いたって客観的、かわいげのない、わたし。
ダイアナ妃とカミラさんを見ても然り。
ダイアナさんは、悲劇のヒロインとなって世界中の涙を誘ったけれど、
悪役みたいになってしまったカミラさんも可哀そう。
男が悪い。チャールズさんが、二人の女性を不幸にした。
(しかし、王家に生まれた宿命、気の毒かも)
その後、カミラさんは、堂々とダイアナ妃のあとに、妻の座に座ったけれど。
悲劇を生んだが、どんなに全世界から非難を浴びても、
公の場で、その非難を真正面から受けることを選んだチャールズさんとカミラさん、
お二人は、わたしは、それなりに評価できると思う。
愛を貫こうとすると、犠牲が伴うってこと。
愛だけ、なんて、世間や義務から逃避したところでの、そんなウマイ話、
うさんくさくて、甘っちょろくて、聞く気がしない。
愛は、日常生活の中で、変化していくものだと、わたしは思っている。
恋愛感情を大切にしたければ、何年かに一度、相手を取り替えるのが、一番の策。
動物学者が唱えていたが、動物は4年に一度、相手を代えるそうな。
これは、理に適っている。
あるいは、べたっと一緒に暮らさないこと。
単身赴任なんていうのは、もってこいかも知れないが、
赴任期間を終えて元の場所に帰る時が、大変、大騒ぎ。(悪い意味で)
単身赴任の間に、結果的に、お互い、毒抜き、ガス抜きすることになるとすると、それはそれでよい。
「あたなの居ない間に・・・あなた、ごめんなさい」みたいな気持ちも生まれ、
再スタートを底上げする効果もある。
あるいは、同居再スタート嫌さに、それを機会に離婚するという手もある。(勇気があれば)
・・・
夫婦は、これまで長く共に歩んできた道のり、思い出、
また、子供や、親族を共有する。
感謝や労わりの念も生まれる。
それはそれとして、キープ、温存しておいて、別の愛の対象を設けるなどというのは、けしからんが、
まあ、そういうことは、よくあること。
よくあることすぎて、世の矛盾、不条理を非常に感じるわけでして。
「どうにかして~~」と訴えたいところだが、
古今東西、芸術や映画、小説、その他もろもろ、
いろんな抑圧されたエネルギーが、素晴らしいものを生んでいたり、
数々の歴史を生んだり、変えたり、・・・
ああ、芸術愛好者としては、どっちの味方をすればいいの??
・・・と、あいかわらず、
右へ行ったり、左へ行ったり、上に上ったり、下に下がったり、
どっちつかずの宙ぶらりん、結論なしと相成りました。
要は、考えなしってことなんだろうか。