今朝は、なかなか起き上がれなかった。
昨日は雨につき、山のような洗濯物を洗濯できなかったが、
今日は、暑いぐらいのお天気なので、早く早く・・・と思いつつ・・・
起き上がれなかった。
まあ、やっとこさ、起き上がって、洗濯機を2回しているところ。
パリのアパルトマンは、洗濯物を外に干してはいけないのだが、
大きなシーツとか、どうするのだろう?
コインランドリーのようなところも街中にあったが。
サンサンお日様に、大きく広げて外に干したいと思うのは、わたしが田舎モノだからだろう。
さて、久しぶりに、ご近所みなさまのブログをちょろっと回ってきた。
えらいことになっていた。
わたしは、お気楽にパリで引きこもり生活を楽しんでいたが、
その間に、親御さんを亡くされた方や、ご両親について、いろいろな感情をお持ちの方などなど、
わたしのお気楽ぶりが、申し訳ないような、
新たなる展開が繰り広げられていた。
ぜったいに、外の人にはわからないこと、という内容の、
親に対する憎悪は、やはり、申し訳ないが、わたしにはわからない。
あるのは、感謝。
キライなところもあるが、人間だもの。いろいろある。
おそらく、「おめでたい、あんたなんかにゃ、わかるまい」と、失望されることだろう。
人それぞれなので、こればかりは、「お互い、それそれが、皆、違う」と、違いを認めるしかない。
足が痛いだの、体のあちこちが痛いだの、
最近、やっと年寄りらしくなった、老母ふたり(義母、実母)を抱えている。
と言っても彼女たちは、今のところ、自立した生活を送っている。
抱えているというよりは、いざというときは、介護助っ人となる、スタンバイ要員である。
体が弱ってこそ、はじめて、気力が衰えてくる。
やる気はあるのに、体が動かないジレンマ。
バリバリやってきた人は、情けなさも、なおさら。
一歳ぐらいの赤ん坊も、やりたい気持ちがあるのに、体が動かなくて、いらいらして、ぎゃんぎゃん泣く。
(8ヶ月の赤ん坊は、できないくせにやろうとして、ひっくり返ったり、ぶつけたりして、泣く)
ちょうど時計が逆回り。
年を重ねる推移、放物線?を描くように、スタートし、終了する。
ちなみに、親から受けた恩恵、感謝の念は、自分が未熟な分、ちょっと目減りしているかも知れないが、
カサが減っても、子供に受け渡ししようと思う。
子供たちが言うには、受け渡してほしくないものも、多々あるそうだが。
さらに、ちなみに、
男性は、奥さんより早く亡くなるケースが、とても多い。
つまり、未亡人が20年近く残される。
奥さんは、最初、悲しみに暮れるが、1年もすると、元気を取り戻し、イキイキしてくる。
これは、抑圧されている奥さんの場合。
本当は、2人、ともに元気で仲良く暮らすのが一番いい。
男性は、奥さんより早く亡くなって、人生の、幕引きの旬の頃に、この世とサヨナラするように思う。
奥さんは、うるさい夫がいなくなって、身も、こころも、(お金も)、自由になり、
しばらくは、自由時間の余生を楽しんで、その後、そろそろ、わたしも旬かなあ・・・という時期に、
うまく幕を引けたら万歳だが、なかなか、そううまくいかない。
人生の幕引きは、非常に難しい。
自分の親は、男親たちは、じつに、上手に幕を引いて去っていった。
残された、女親たちは、さて、これからどうなっていくのだろう。
覚悟は、しているのだが、経験がないので、なんともかんとも、いまはピンと来ない。
しかし絶対に通る道であって、避けられないことだけは、確かだ。
昨日は雨につき、山のような洗濯物を洗濯できなかったが、
今日は、暑いぐらいのお天気なので、早く早く・・・と思いつつ・・・
起き上がれなかった。
まあ、やっとこさ、起き上がって、洗濯機を2回しているところ。
パリのアパルトマンは、洗濯物を外に干してはいけないのだが、
大きなシーツとか、どうするのだろう?
コインランドリーのようなところも街中にあったが。
サンサンお日様に、大きく広げて外に干したいと思うのは、わたしが田舎モノだからだろう。
さて、久しぶりに、ご近所みなさまのブログをちょろっと回ってきた。
えらいことになっていた。
わたしは、お気楽にパリで引きこもり生活を楽しんでいたが、
その間に、親御さんを亡くされた方や、ご両親について、いろいろな感情をお持ちの方などなど、
わたしのお気楽ぶりが、申し訳ないような、
新たなる展開が繰り広げられていた。
ぜったいに、外の人にはわからないこと、という内容の、
親に対する憎悪は、やはり、申し訳ないが、わたしにはわからない。
あるのは、感謝。
キライなところもあるが、人間だもの。いろいろある。
おそらく、「おめでたい、あんたなんかにゃ、わかるまい」と、失望されることだろう。
人それぞれなので、こればかりは、「お互い、それそれが、皆、違う」と、違いを認めるしかない。
足が痛いだの、体のあちこちが痛いだの、
最近、やっと年寄りらしくなった、老母ふたり(義母、実母)を抱えている。
と言っても彼女たちは、今のところ、自立した生活を送っている。
抱えているというよりは、いざというときは、介護助っ人となる、スタンバイ要員である。
体が弱ってこそ、はじめて、気力が衰えてくる。
やる気はあるのに、体が動かないジレンマ。
バリバリやってきた人は、情けなさも、なおさら。
一歳ぐらいの赤ん坊も、やりたい気持ちがあるのに、体が動かなくて、いらいらして、ぎゃんぎゃん泣く。
(8ヶ月の赤ん坊は、できないくせにやろうとして、ひっくり返ったり、ぶつけたりして、泣く)
ちょうど時計が逆回り。
年を重ねる推移、放物線?を描くように、スタートし、終了する。
ちなみに、親から受けた恩恵、感謝の念は、自分が未熟な分、ちょっと目減りしているかも知れないが、
カサが減っても、子供に受け渡ししようと思う。
子供たちが言うには、受け渡してほしくないものも、多々あるそうだが。
さらに、ちなみに、
男性は、奥さんより早く亡くなるケースが、とても多い。
つまり、未亡人が20年近く残される。
奥さんは、最初、悲しみに暮れるが、1年もすると、元気を取り戻し、イキイキしてくる。
これは、抑圧されている奥さんの場合。
本当は、2人、ともに元気で仲良く暮らすのが一番いい。
男性は、奥さんより早く亡くなって、人生の、幕引きの旬の頃に、この世とサヨナラするように思う。
奥さんは、うるさい夫がいなくなって、身も、こころも、(お金も)、自由になり、
しばらくは、自由時間の余生を楽しんで、その後、そろそろ、わたしも旬かなあ・・・という時期に、
うまく幕を引けたら万歳だが、なかなか、そううまくいかない。
人生の幕引きは、非常に難しい。
自分の親は、男親たちは、じつに、上手に幕を引いて去っていった。
残された、女親たちは、さて、これからどうなっていくのだろう。
覚悟は、しているのだが、経験がないので、なんともかんとも、いまはピンと来ない。
しかし絶対に通る道であって、避けられないことだけは、確かだ。