わたしは、毎日、ブログネタに困っているわけではない。
自分が書きたいことを書いているだけだから。
(ネタがなくても、書きたいという、わけのわからない中毒にかかっている)
もし、その、わけのわからんものをお読みになって、面白いと感じる方が、仮におられるとしたら、
これは、エコである。(エゴではありません、念のため)
風力発電みたいなものか?
いや、ちょっとちがうが。
パリも、なにも書くネタを探しにいったわけではない。
せっかくパリくんだりまで行って、ブログに時間を割くのは、あほらしいので、
内容としては、けっこう適当に、いいかげんにアップしている。
(手間をとられるのは、日ごろ使わないiPadによる入力作業だったりする)
もし、息も絶え絶え、頑張っている感を感じる方がおられるとすると、
わたしの無作為の策略にはまっていることになる。
騙されてはいけません。
わたしは、とても涼しい顔をして、パチパチとキー入力している。
「く、苦しい・・・今にも死にそうなほど、苦しい・・・
わ~、飛び上がらんばかり、天井にアタマをガンガン何度もぶつけそうなほどウレシイ・・・」
と、入力していても、実際は涼しい顔をして、時計とにらめっこしながら、やっている。
・・・・・
そして、ブログ村のポイントと、閲覧数は、まったく連動していない。
かつては、どうなっているのか関係性の解明に躍起だったが、
無関係だということがわかった今では、なにも気にすることはない。
どこのどなたが、お読みになろうが、わたしは、自分で風力発電をしていて、
いっしょに、ついでに横で涼む方がおられても、べつにけっこうなことなのだ。
自転車のペダルを漕いで、そのエネルギーで、ライトを照らす。
ただ、それだけ。
自分の前が、暗闇でなければいい。
・・・・・
捉え方は、感じ方は、ひとそれぞれだろう。
それが、あたりまえ。
ただし、人間の本質に迫るようなことは、共通、共有していると思う。
モラルに反すること、反社会的なことは、許されない。
そのモラル自体も、社会によっては違う。
常識となると、もっともっと様々で、違う。
自分を常識の芯、軸と捉えると、他人は、常識はずれということになる。
そこで、協調性というものが大事になってくる。
調整しあう。
個々に違う人々が同じ地球に暮らすには、そういう意識がないとやっていけない。
と、キレイごとばかりを綴っても虚しいだけかも知れないが、
意識しているのと、していないのとでは違う。
目的意識を持てば、人は変われるものだと信じたい。
(もともと、わたしは、小さい頃から協調性がない)
・・・・・
で、ハナシをパリの戻す。
(わ、ここでブログの前から人が、散っている・・・。まあ、いい)
パリにネタを仕入れにいったのでは、決してない。
どこが良かった、あれが美味しかった、どこどこの、なになには、素晴らしかった。
確かに、そういう経験をした。
が、一度目と二度目では違う。二度目と三度目では違う。
深さ、角度、ものの見方を変える。
定点観測をモットーとするわたしは、そういう面白さを味わうのが好きなのだ。
「理解できないものは、あくまでも理解できない」という結論に達することも、立派な結論だと思っている。
今まで、他国のいろんなところにも行ったが、所詮、観光客。
パリだって、何週間いようが、何ヶ月いようが、属性は、「ツーリスト」だ。
ツーリストは、所詮、ツーリスト。
だが、偶然、はっとする場面に出会うこともある。
それは、なにも紫グラデーションの夜明けだとか、見事な雲の動きだとか、そんなことだけでなないもの、
自然美だけではないもの、
人の歩んできた道のりみたいなものや、民族性の違いみたいなもの、
風土、気候、地形、歴史、いろんな要素が絡み合っている。
日本でも、東京VS大阪 で、どっちが、どう?と、テレビなどでも、なんやらかんやらやっているが、
ピンポイントで、それはそれで、面白いといえば、面白い。
・・・・・
おそらく、わたしのハナシの流れは、今、面白くなくなってきている。
なので、やめることにする。
・・・・・
いろんな感じ方、行動の仕方、暮らし方、自分は、どんなものが好みか、
人を見て、違いや共通点を発見すれば、新たな自分を再発見できる。
あるいは、まったく変わらない、石のごとき自分を再確認できる。
それで、いいんじゃないですか?
わたしは、人さまに、別に同調してほしいわけでも、影響を与えたいわけでもなく、
自分の道を行くのみ。
でも、けっこう柔軟性があるようで(ぐにゃぐにゃでもある)、影響はすごく受けやすい。感銘しやすい。
自分に取り入れようとする。
そんなふうになれたら楽しいから。
マネしい。(「マネをする人」の意味=関西弁です)
とりあえず、いいと思うもの、素敵と感じるものを真似して、自分流にアレンジしたい。
どんな、ヘンテコな人も、必ず良いところや、面白い部分があり、それが奥のほうに眠っていて、
偶然、発掘されると、とても興味深い。
その逆もある。
素晴らしい完璧な人の欠点を見つけると、ご愛嬌で、親近感がわくこともある。
だが、良い人と思っていた人が、じつは心底、良くない人だとわかると、親近感どころか、
距離が一気に、がーーーっと開く。
どの部分に自分は興味のセンサーが動くか、だ。
わたしは、ヘンな人は、OKだが、マイナス思考の人は、NGだ。
類は友を呼ぶようで、わたしの周りには、マイナス思考の人は、いない。(とたぶん、思う)
(いたとしても、無理して隠しているんだろう、きっと。
それって、疲れるし面白くないから、いつの間にか消えていくだろう)
現状はどうみても、マイナスであっても、思考までマイナスになってはどうしようもない。
・・・などなど・・・長々、いつまでたっても、終わりそうもないので、
と、毎度毎度、同じことをハンで押したように言っているが、
ここらあたりで、終了いたします。
自分が書きたいことを書いているだけだから。
(ネタがなくても、書きたいという、わけのわからない中毒にかかっている)
もし、その、わけのわからんものをお読みになって、面白いと感じる方が、仮におられるとしたら、
これは、エコである。(エゴではありません、念のため)
風力発電みたいなものか?
いや、ちょっとちがうが。
パリも、なにも書くネタを探しにいったわけではない。
せっかくパリくんだりまで行って、ブログに時間を割くのは、あほらしいので、
内容としては、けっこう適当に、いいかげんにアップしている。
(手間をとられるのは、日ごろ使わないiPadによる入力作業だったりする)
もし、息も絶え絶え、頑張っている感を感じる方がおられるとすると、
わたしの無作為の策略にはまっていることになる。
騙されてはいけません。
わたしは、とても涼しい顔をして、パチパチとキー入力している。
「く、苦しい・・・今にも死にそうなほど、苦しい・・・
わ~、飛び上がらんばかり、天井にアタマをガンガン何度もぶつけそうなほどウレシイ・・・」
と、入力していても、実際は涼しい顔をして、時計とにらめっこしながら、やっている。
・・・・・
そして、ブログ村のポイントと、閲覧数は、まったく連動していない。
かつては、どうなっているのか関係性の解明に躍起だったが、
無関係だということがわかった今では、なにも気にすることはない。
どこのどなたが、お読みになろうが、わたしは、自分で風力発電をしていて、
いっしょに、ついでに横で涼む方がおられても、べつにけっこうなことなのだ。
自転車のペダルを漕いで、そのエネルギーで、ライトを照らす。
ただ、それだけ。
自分の前が、暗闇でなければいい。
・・・・・
捉え方は、感じ方は、ひとそれぞれだろう。
それが、あたりまえ。
ただし、人間の本質に迫るようなことは、共通、共有していると思う。
モラルに反すること、反社会的なことは、許されない。
そのモラル自体も、社会によっては違う。
常識となると、もっともっと様々で、違う。
自分を常識の芯、軸と捉えると、他人は、常識はずれということになる。
そこで、協調性というものが大事になってくる。
調整しあう。
個々に違う人々が同じ地球に暮らすには、そういう意識がないとやっていけない。
と、キレイごとばかりを綴っても虚しいだけかも知れないが、
意識しているのと、していないのとでは違う。
目的意識を持てば、人は変われるものだと信じたい。
(もともと、わたしは、小さい頃から協調性がない)
・・・・・
で、ハナシをパリの戻す。
(わ、ここでブログの前から人が、散っている・・・。まあ、いい)
パリにネタを仕入れにいったのでは、決してない。
どこが良かった、あれが美味しかった、どこどこの、なになには、素晴らしかった。
確かに、そういう経験をした。
が、一度目と二度目では違う。二度目と三度目では違う。
深さ、角度、ものの見方を変える。
定点観測をモットーとするわたしは、そういう面白さを味わうのが好きなのだ。
「理解できないものは、あくまでも理解できない」という結論に達することも、立派な結論だと思っている。
今まで、他国のいろんなところにも行ったが、所詮、観光客。
パリだって、何週間いようが、何ヶ月いようが、属性は、「ツーリスト」だ。
ツーリストは、所詮、ツーリスト。
だが、偶然、はっとする場面に出会うこともある。
それは、なにも紫グラデーションの夜明けだとか、見事な雲の動きだとか、そんなことだけでなないもの、
自然美だけではないもの、
人の歩んできた道のりみたいなものや、民族性の違いみたいなもの、
風土、気候、地形、歴史、いろんな要素が絡み合っている。
日本でも、東京VS大阪 で、どっちが、どう?と、テレビなどでも、なんやらかんやらやっているが、
ピンポイントで、それはそれで、面白いといえば、面白い。
・・・・・
おそらく、わたしのハナシの流れは、今、面白くなくなってきている。
なので、やめることにする。
・・・・・
いろんな感じ方、行動の仕方、暮らし方、自分は、どんなものが好みか、
人を見て、違いや共通点を発見すれば、新たな自分を再発見できる。
あるいは、まったく変わらない、石のごとき自分を再確認できる。
それで、いいんじゃないですか?
わたしは、人さまに、別に同調してほしいわけでも、影響を与えたいわけでもなく、
自分の道を行くのみ。
でも、けっこう柔軟性があるようで(ぐにゃぐにゃでもある)、影響はすごく受けやすい。感銘しやすい。
自分に取り入れようとする。
そんなふうになれたら楽しいから。
マネしい。(「マネをする人」の意味=関西弁です)
とりあえず、いいと思うもの、素敵と感じるものを真似して、自分流にアレンジしたい。
どんな、ヘンテコな人も、必ず良いところや、面白い部分があり、それが奥のほうに眠っていて、
偶然、発掘されると、とても興味深い。
その逆もある。
素晴らしい完璧な人の欠点を見つけると、ご愛嬌で、親近感がわくこともある。
だが、良い人と思っていた人が、じつは心底、良くない人だとわかると、親近感どころか、
距離が一気に、がーーーっと開く。
どの部分に自分は興味のセンサーが動くか、だ。
わたしは、ヘンな人は、OKだが、マイナス思考の人は、NGだ。
類は友を呼ぶようで、わたしの周りには、マイナス思考の人は、いない。(とたぶん、思う)
(いたとしても、無理して隠しているんだろう、きっと。
それって、疲れるし面白くないから、いつの間にか消えていくだろう)
現状はどうみても、マイナスであっても、思考までマイナスになってはどうしようもない。
・・・などなど・・・長々、いつまでたっても、終わりそうもないので、
と、毎度毎度、同じことをハンで押したように言っているが、
ここらあたりで、終了いたします。