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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

雑菌まみれの天然

2012-05-20 | わたし

わたしの自由っぷりを良いように解釈してくださる方がおられる。(参照:昨日いただいたコメント)

恥や、プライド、自分への評価、そういうものにこだわると(誰しもあるはず)、
すんなり自分のアホっぷりを認められないと思う。

わたしの場合、基本が天然なので、なんの抵抗もなく、
「はいそうです。わたし、アホなんです。けっこう困ってるんですよね~」
と認めることができる。

今日のアホっぷりは、いつもよりは少しマシだった・・・とか、自分と比較して、ホっとしたり、
周囲から見ると考えられないほどの、基準の甘さがある。

これは、誇れることか??  誉められることか??
人さまに堂々と胸を張ってアピールできる美点か??
いやあ・・・そんなことはないのでは・・・と、劣等生は、苦笑いたしている次第でございます。


仕事でも、お得意様を前にしての打ち合わせなどで、
皆、わからないことがあって、今さら、この段階で恥ずかしくて聞けないようなことがあったとすると、
わたしに恥をかかせて(わたしを犠牲にして)(わたしに、ボケをやらせて)、情報を手に入れる、なんてこともあった。
わたしは、けっこう、恥知らずなので、踏みつけられても、どうってことはないのだが、
繊細で、プライドが高い、優等生タイプの方々は、体面もあるだろうし、人前で恥をかくなんて、もってのほか、
完璧を目指し、失敗を恐れるようだ。

でも、これは、オツムの弱い人間が食い物にされる、というリスクもしょっている。
なので、オツムが弱い人間は、リスク回避のために、ないアタマを絞るのだが、
哀しいかな、生まれつきの天然のため、なかなか、自分を守る戦略が浮かばない。

天然ボケという、天然の素質を持って生まれたわたしは、むき出しのままでは、あまりにも無防備なので、
危険な目に遭わないための人物(キーマン)を、無意識に感覚的に選び取る能力を
神様が同時に、セットしてプレゼントしてくれたようだ。
(いままで、偶然、運がよかっただけ、という見方もできる・・・)

セットしてくれたのは、神様なのか、両親なのか、先天的なDNAなのか、後天的な教えなのか、
それは、よくわからないが。


そして、敵もいる。
わたしのような天然が、大嫌いな人たちだ。
彼らが、高い意識で、一生懸命、努力して頑張っている横で、
なにもせず、「わたし、天然なんです~」と堂々とボケて、
周囲から、あの人は天然だから、と、特別「天然」枠で、許してもらえている、
もしくは、ご奉公やら苦行やらを免除されている、
けしからん、不公平感、極まりないオーラを回りにふりまく、天然。

なので、わたしは、彼らの目につかない場所を選んで、死角で、すいすい泳ぐ。
ぼこぼこに、やっつけられても、たとえ天然であっても、痛いものは痛いので。
目の上のたんこぶとして目障りにならないよう、彼らを刺激しないようにしている。


こんな天然のわたしでも、キライな人が存在する。
それは、天然を上回る、超天然の、ニオイをぷんぷん撒き散らす、生まれたまんまのお姫様・お嬢様。
周囲の人々とともに、社会的な目をまったく持たず、問題意識もゼロで、享楽の日々を送る。
時として、ちらと、生き方の姿勢に対して、鋭いツッコミを入れられると、
「あたし、バカだからぁ、ムツカシイこと、わかんな~い」
と、免罪符のような言葉を発する。
お付き合している方々も、似たような温室育ちで、温室の中からしか外を見ない。
もし、なにか都合が悪いものが見えても、見なかったことにする。
見たことを瞬間的に、忘れるよう、脳にシステムが組み込まれている。
無意識に見なかったことにしていると、それが定着して、
やがて本当に見えなくなってきて、見えないことにも気づかない。
なので、いつも自分を全面肯定。「気づき」なんてことには、無縁。
そうやって、ピュアなお嬢様純度・精度を保つ。(年齢は、お嬢様とは程遠い)


それはそれとして・・・
天然同士で、火花を飛ばしているのかも知れないが。
後天的に学んだものもある、「隠れ天然」のわたしにとって、「そのまんま天然」は、許しがたい。
(わたしの度量の小ささを露呈してる)
自分の「アホ」を棚に上げて、「もっと己を知れ」と、不快感がこころのなかに充満する。
深層心理としては、おそらく、無知、無邪気が鼻につく、嫉妬に近いものだろう。

その他の多くの人々に対しては、キライという感情は湧き上がってこず、
価値観の違い、だとか、性格の違いだとか、自分とはまるで接点のない人々だ、とか、
そういう目でとらえるので、感情はさして動かない。

キライにも色々あって、
「好かん」「苦手」「気に入らん」ぐらいの弱いものから、
「憎悪する」、「嫌悪する」などという、強烈なマイナス・ダメージの高いものまである。
「憎悪」にまで行きつく前に、遠ざかるので、そんなに、深い嫌悪感を持つ人とは、実際の関わりも影響もない。

その逆もあり、
好き、親しみをもつ、恋慕する、憧れる、尊敬する・・・などなど・・・あげていくと、その多さ、種類、特徴には、
いま、ここで説明し尽くせるだけの脳ミソのキャパも耐久力も、自信も、粘りもない。


いつものように、ハナシが、どんどん逸れている。

あれこれ考えるのは好きなのだが、実生活にはなんの役にも立たない、影響もないようなことばかり。
せもて、その1000分の1でも、調理法やレシピのことでも考えると、タメになるのに。
天然の粋は脱せず、一生、天然人生を送ることだろう。

実は無謀にもわたしは、脱天然を目指していた時期もあったのだが。
「智恵づいた天然」は、どうも、キショク悪い。落ち着かない。
それならいっそ、「つきぬけた天然」という、天然保護の方向性で、天然に磨きをかけようかと・・・
(磨かれたらそれは、もはや、天然ではないので、それも却下)

太ったソクラテス、痩せたブタ、どっちも、あんまりカッコよくない。

なにがなんだか、よくわからなくなって、結論が導けないまま、投げ出したくなってきた。
で、やむなくここで、終了です。

だってぇ~、あたしぃ~、天然だから、許されるぅ?

雑菌まみれの天然は、やはり、許されませんね。

 

 

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