ある人に、GW明け、挨拶がてらに、こう言われた。
「スローさんが、(GW谷間にレッスンがあったのに)お休みされるなんて珍しいですね。
リッチに海外旅行されてたとか~?」
わたし。
「え、、いえ、あ、、。あ~、忙しくしてました」
この答えは、否定も肯定もしてないから、まあ、いいか。
わたしは、私生活を開示するのはキライなので。でも、ウソも言ってないし。
で、ここでハナシはころりと変わるが・・・
いつも読ませていただいている、あるブログ。
結婚生活の危機について赤裸々に、告白されていた。
彼女の、とても、純粋に、正直な胸のうち。
ご主人からも、彼女に対して愛情はなくなったと、言われたそうだ。
一人でリタイアしたい、と。
ご主人と、やり直す気があるかどうか、要となっている。
別れるとなると、経済的自立が不可欠。
多くの女性は、ここで踏みとどまるのだろう。
しっかり経済的に自立している女性は、そう多くないとわたしは想像する。
わたしなんか、いつもいつもいつも、お金と生活と愛情を量りにかけ、ちょっとだけ計算、試算し、
即、量りから、それらのうち、不要要因をつまみあげて、ぽいっと、おろす。
わたし・・・女中でいいわ・・・。奴隷よりは、待遇はマシだし。
あとで、好機を見て、1000倍、仕返しするから、いいわ・・・。
怒りの拳を振り上げているのは、もう一人の、肉体を持たない精神だけの自分であって、
物質として実在する自分は、にたにた薄気味悪く微笑んでいるだけだ。
いつ、どんな状態になっても、絶対に、この姿勢は、ぶれない。
つまり、離婚しない。
典型的な、日本人的結婚である(と思う)。
ただし、暴力や、アル中、ヤク中、不貞、金銭問題、その他、耐えがたき由々しき事態、
客観的に見て、結婚生活の継続は困難と思える要素があれば、真剣に離婚を考えるだろうし、行動も起こすだろう。
性格や嗜好の違い、生活上のいざこざ、感情のすれ違い、もつれ、
そういうものは、いっしょに生活していると、絶対に起こるわけだが、
「愛情」という要素については、どうやって計るのか、わたしは、よく、わからない。
極端なことを言えば、男女間の恋愛要素を含んだ愛情はなくても、結婚生活は充分ありえる(と思っている)。
家族愛、人間愛、同志愛、動物愛でも、OK。
大好きな思い出の品々を大切にするかのごとく、物品愛、コレクションマニア愛もありえる。
純粋に男女間の愛情だけを取り上げると、4年で終わる(と思う)。
これは、動物の結婚生態を研究した動物社会学者が、学説で唱えていて、
学問なんか、なんの役にも立たんわい、と思っていたわたしだったが
(たんに劣等生の言い訳にすぎないけれど)
「うん、うん、そうか、そうね~、なるほど~」、と、
はじめて、学説なるものを現実の生活に取り入れる、生かすことこそが、学問の本質だ、と感銘した一学説だ。
と、へ理屈なんだか、自己流解釈なんだか、よくわからないけれど、
とりあえず、そう思うわけだ。
女中は女中なりに、女中部屋を快適に整備し、毎日を生きている。
なので、純粋に「愛情」を取り出し、愛情残量は?精度は?ピュアさは?と検査器でチェックすると、おそらく(いえ、絶対)
ピー、ピーピー、愛情が不足しています・・・いますぐ、充電してください・・・
と、アラームが鳴ることだろう。
夏の電力残量と同じだ。いや、もっと深刻な不足だろう。
とりあえずは、女中部屋を最低限度、快適性を確保するだけの、電力、いや、愛情(もどき?)は保持していなければ・・・
女中をクビになってしまうと、冬の寒空、夏の暑空、耐えられそうもない。
と・・・・、自分の場合は・・・とシュミレーションしてしまった。
わたしは、どうも、あんまりマジメ人間ではないようだ。