先日、両親と同年代のラテン好きなお客さんが提案してくれた。それ程の腕前なんだから録音して残したら?と。で、オイラは譜面起こしで残してますと答える。更に、20年後に今の色気有る爆裂演奏は出来ないだろうからと。返答はしなかったが、今は流派を築いたばかりで未だ未だ未完成だし、演奏は弾く時の雰囲気や時期や温度や湿度や光や心情で二度と同じ演奏は出来ないだろうから精神的にも技術的にも安定期に入ったら収録するつもりでいる訳である。それよりも今はアンサンブルを組みたい。其の為に、半年を越えて店内の瓦版に募っているのだが未だ組めずにいる。それでもオイラは、稽古を休み無く続けてお声懸かりを待っている訳である。譜面起こしも其の際には、必ず役立つであろう。
昨夜、暇に任せて「セレソ・ローサ」と「想い出のサンフランシスコ」の譜面起こしと思っていたが、未だ未だ弾き込んでおらず熟していない事に気付き留まった。今までも幾度か先走り熟していない曲を譜面に起こしたが、振り返り必ず書き直しに為るからだ。其の書き直しの場合、必ずや前回の楽譜に囚われて展開が小さく為る。弾き込んで、これ以上の展開は無料っ!と熟してからの譜面起こしに書き直しはない。オイラの場合、殆どがアドリブだが弾き込む内にはアドリブつまり即興ではなくなりる。稽古の何回かまでは、あれこれひっくり返して色々様々と即興している内に「これだっ!」に到達してアドリブは消える。其の時点で譜面起こしである。でも、度忘れ以外は譜面を視ながら演奏する事はない。やはり、自ら書いた譜面に囚われてしまうからである。勝手なモンである。