写真遊びで此処まで楽しめるとは想像しなかったが、カメラ機材の収集(買ったり、頂いたり)からクラシコ金属製カメラの造り込みの魅力を知り、往年のレンズの空気をも写す描写を知り、下町路地裏徘徊の魔力に懸かり、近郊あちこちの路地裏散歩を見出だし、写真展示、更に本来廃棄処分の空パトローネでのオブジェ造りと無駄無く遊べる流派も築いた。極めたっ!とも謂えるが、一般的な遊びではないなっ!時代は、デジタルカメラだしパソコン処理での自作プリントである。しかし、クラシコカメラとフィルムとで一枚写しの潔さも学んだ訳である。その潔さは、失敗をも受け止める心根技術の習得にも至った訳である。けっして芸術写真ではないが、「写真」とは「真実を写す」と書く訳だからオイラは瞬間記録で良いのだ。フラッシュを焚いたり、バウンス光を利用しての写真は写真は真実とは謂えないなっ!又、クラシコカメラの特性で全ての動作を自らの意思と技術で行う事に大きな魅力も感じた。不便の追及も信念に加わった訳である。
先日の佃行きのプリントが出来上がり眺める。徘徊した道を思い出す。彼処へバイクを停め、彼処で一服し、彼処で缶コーヒーを飲み、彼処の路地裏へ潜り、彼処の交番で道を尋ねとプリントを眺めながら珍道中を思い起こす楽しみも大きい。で、抜粋し六枚のプリントを店内に展示。展示の意味は、作品展示ならば経費で落とせる。更に、店前の教会に来る方々は埼玉県・東京都・神奈川県の方々なので何れか話題にも為る訳である。プリントに写る風景を観て「行ったのっ?」と話し掛けてくれるお客さんも居るのである。其は、アド街天国感覚らしい。行った者にしか判らない話題だが、現実に徘徊した証拠でもある。趣味の叙情的古典派印画機械持込散歩術での証拠写真ですら無駄にしないセコい性格なんだなっ!更にセコい性格は、戴いたカメラだったり、プリント後の空フィルムケースの額縁摘めオブジェである。オブジェを二枚造ったが、一つ一つのパトローネの裏に行先日時を記入しておけば良かったと後悔している。