梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

年末雑感令和版

2021-12-24 09:27:07 | 雑記
「三界に帰る家も無し歳の暮、浮世世間に鬼は無くとも」
12歳の春にお袋が癌で亡くなって親父と二人の生活になったので学校から帰っても「お帰り」と言う言葉は聞いた事はなかった、
中学を卒業して上京し翌年親父は結婚した姉の家に住むことになったがその1年後に脳溢血で亡くなった、
お袋が入院をした11歳からずっと「ただいま」と帰る家は無かったがこれで完全に無くなった訳だった
15歳から務めていた日立製作所は長い正月休みがあるが帰る所はない、
暫くは田舎の親しい友人の家にお世話になったが20代の頃には“やはり家族以外は居るべきではない”事に気が付き始めた、多分そんなころだっただろう、日記の隅に書き込んでいた、
自分には寂しいと言う感覚が乏しいと思っているがこの頃はやはり少し寂しく感じたんだろう、
まあ、寂寥感と言う様な大げさなものではなくもっと現実的な話で昭和40年代では年末晦日から三ヶ日は殆どの店が休んでしまう、
大晦日の年越し蕎麦が過ぎれば寿司屋しか開いていない、三食寿司なんぞは経済的に無理である、
未だコンビニなんかは無いのでインスタントラーメンと餅が主食となってしまう、
友人達も殆ど帰省していないし深い意味ではなく「帰る家のない寂しさ」と言うより「生活困窮」という訳である
帰る家がないと言うのを語呂合わせ「女三界に帰る家無し」と言う言葉を思い出したので並べてみたが周りの人達は優しいのは間違いないので礼を欠かない様にと書いたらこうなった、
もっとも今の今まで人に見せるつもりはなく独り言なんだが、本当に親切にしてくれた人には心底感謝している、
しかし、強がりではなく今まで自分が不幸だったと思ったことは一度もない、
“それが当たり前で人とは違うのは仕方のない事だ”とすら思わないで淡々と生きて来たつもりだ
36歳の時に今のかみさんと一緒になって突然家族が4人出来て自然に「ただいま」と言える環境になったが不思議な事に自然に言葉が出てきた気がする
ひとりの時は“此のままのたれ死ぬかな”と考える事もあったが苦しくなければ“まあいいや”位に生きていたが家族が出来るとそうもいかない
女房子供と言うが子供は既に50歳に喃々としているので残るは女房が困ると言うより寂しがるだろうなと言う所で頑張っているが先に看取る事が出来たら橋の下か山奥で野垂れ死ぬのも良いかなんと時々思う、
妙な話、自分には最後は橋の下で一人で野垂れ死ぬのに憧れの様なものがある
かみさんと一緒にならなかったらもっと早い時期に浮浪者になって野垂れ死んでいたかもしれないとも思う時が有る

最新の画像もっと見る

コメントを投稿