梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

陸の動物はだめか?

2017-08-09 15:53:35 | 雑記
通勤途中のバスから「うみの動物病院」と言う病院が見える、平仮名なので漢字表記がわからないがたぶん「海野」ではないかと思うのだが「うみの」と書いてある、
これを見るたびに何年か前の冬のオリンピック「トリノ大会」の時ラジオでパンチ佐藤と言うタレントが「トリノオリンピックと言っても人間がやってるんだよ」と言ったのを思い出した、全く思いもよらなかったのである、
「トリノオリンピック」が「鳥のオリンピック」と言い換えるとは(素晴らしい!)と思ったのだがおかげで「うみの動物病院」を見ると(イルカとクジラ位か、海象やアザラシも居るな)と考えてしまう、
ペットクリニックは随分あるが家畜獣医が少ないと言う、その為獣医を育てる必要があるからと加計学園を特区申請をしたと言っていたが果たして獣医師学科がそちらの特化されているのか、
安倍政権が世論の大反対を無視して強行した「共謀罪」「特定秘密保護法」「集団的自衛権」等々の成立、「共謀罪」に関しては「中間報告」で採決すると言う議会政治の欠陥と言うべき多数決を完全説明を無視して強行した独断横暴と言える行動、経済政策の明らかな失敗と言う基本的な欠陥ではなく全く個人的な利益供与として追いつめられると言う事は結果は同じでも責任の所在があまりに曖昧だろう
野党の信頼の無さはあまりに情けない、野党第一党である民進党は早晩瓦解する事は間違いあるまいが政党と言うのは政策ポリシーの共通する政治家が集合して成立するんだろうと思うが見ていると政党の人気が落ちると伸び始めた政党にさっさと鞍替えする議員が目立つ、無論「政治信条が合わなくなった」と言うのだが新進党が躍進すれば新進党、維新の会が伸びれば維新の会、ファーストが大勝すればファーストと政治信条が有るとはとても見えない、
あるのは「強大な権力と多大な収入、権利に関しての責任はゼロ」と言う地位だけしか考えてはいまい、
有権者が誰かを選ばなければならないならせめて「此奴は当選させたくない」と言う「マイナス選挙投票」も同時にやって貰いたいくらいだ

東西対決、油と熊 

2017-08-07 17:47:00 | 雑記
本日は立秋、「暦の上」と言う奴は旧暦上なのでいつでも体感とはずいぶん違うがそれでも何となくほっとする、と言っても暑さはこれからが本番だ、
毎年暑さが増してくる気がする、平年並みと言うのは過去5年間の平均温度だそうだから結局平均気温は毎年上がってゆくわけだがいったいどこまで上がるのか、
冬の方も段々上昇していて昭和40年代までは東京でも結構積雪があったのだが平成になってから交通マヒが起きる様な積雪は殆どなかったんじゃないかな?
今年の暑さは気温と言うより湿度がやたらに高い気がする、梅雨が明けたと言ってもカラッとした暑さではなくまとわりつくような嫌な気温が続く。
土曜日の朝7時頃いつもの様にコーヒーを入れていたら蝉の声がする、
団地の中にはかなり大きな木が4本ほどある、実は桜の木が数本あったのだが一昨年と昨年に全部切ってしまった、
表立っての理由は毛虫と言う事になっているが本当は花の時期と落葉の時期に掃除が大変だと言うのが理由で結構無粋な話だがまあ確かに大変だ、雨でも降ったらそれこそ「濡れ落ち葉」だ、
その木に毎年蝉が来る、と言うよりその下が未舗装で腐葉土が適当に積もっているのでここで幼虫が年を越すのだろう、
土曜の朝鳴いていたのはどうやらクマゼミの様だ、何年か前からこの辺りにクマゼミの声が聞こえる様になった、本来箱根から東はアブラゼミで西がクマゼミと言われていたのだが最近は東京もかなり聴くようになった、
私は静岡生まれなので蝉はクマゼミの声である、そう言えば関東の漫画家が描く夏景色は「ミーン、ミン」だが関西の漫画家(ドクタースランプの鳥山明氏)などは「シャン、シャン、シャン」と書かれているらしい、
今聴こえているクマゼミのシャンシャンは少し遠くてそれほどうるさくはないのだが真夏の箱根以西ではやたらに煩い、東北生まれの「ミヤちゃん」と焼津で潜った時、木陰に車を止めて昼寝をしようとしたがその木には恐らく数百匹のクマゼミが居るのだろう、
昼寝どころではない「やかましい!」と怒っていたが自分はこの声を聴きながら風通しの良い縁側でぐっすり寝ていたので子守歌の様なものである、
日曜の朝はなぜかアブラゼミの「ミーン、ミン」だったが住み分けなのかそれとも交代勤務なのか、
20代か30代の頃、本栖湖から身延の方に車で降りて行った事が有るが富士川沿いに南下していったら丁度山梨県から静岡県に入るころから蝉の声がクマゼミになった事が有るがまさか県毎に住み分けている訳ではあるまい、
蜩が鳴きだせば暑さも終盤だが都内では殆ど聞かないな、後何日こんな暑さがつづくんだろ、
今日は台風だがコースが日本海側になると太平洋高気圧から高温の風が台風に向かって吹き込むのでまた更に暑くなりそうだ、かと言って太平洋を通過されるのも困るがね、


被爆と殺戮の罪と罰

2017-08-05 12:08:36 | 雑記
又原爆の日が来る、広島の死者は4ヵ月内の死者を含めて16万6千人超、長崎は7万4千人超、それに東京大空襲の死者は10万人以上、被災者は100万人とされている、
アメリカは「戦争を早期に集結させた正しい選択」だと言っている、
しかし戦争の最大の目的は敵の戦力削除である、又戦争は経済そのものでもある、大量の消耗、それを補う物資と兵站でありこれが無ければ戦闘そのものの維持は出来ない、
だからアメリカとその同盟国から供給を絶たれた日本は東南アジアの石油と資源を得る為に無謀な開戦に踏み切らざるを得なかった、
その原因は満州国と言う戦略国家でありこの行為は韓国併合と合わせて侵略戦争だと言われる根本になっている。
その為南方に戦線を拡大しパレンバン油田を手に入れたが伸びきった輸送ルートは効力を発揮する前にミッドウエー開戦の大敗で制海権も制空権も失った、その時点で日本の敗北は決定していた、火薬もなく燃料もない状況で戦争の維持は出来るはずもない、元々その状況を打破すべく始めた戦争なのだ、
この事は当事者であるアメリカ軍は当然熟知していただろう、東シナ海どころか日本近海の制空制海権は失われ毎日の様に空襲は行われ遠州灘には戦艦が悠々と艦砲射撃を繰り返しても反撃の航空機もなく高射砲しかない状況でかつ弾薬すらない、
成すすべもなく砲撃にさらされている状況下で「戦争を早期に終結させ、米軍の被害を最小にする為」と言う理由で行われたのが下町大空襲と広島市と長崎市の原爆投下だと言う事実は「戦争を終結させるためにやむを得ず」と言う理由には当たらないだろう、
防御線の無い日本の海岸線は揚陸艇が上がるのに障害になる物は全くない、連合国のノルマンディ上陸に掛かった被害の数十分の一で済む筈だ、
東京湾自体は難しくとも千葉から茨城にかけての鹿島灘と相模灘の湘南海岸,御前崎から豊橋付近の遠州灘に戦艦を立てての揚陸艇を上げれば殆ど抵抗なく上陸できたはずである、九十九里海岸から同時に湘南から上陸し横須賀基地を空爆して南北から首都に押し寄せたら一ヵ月は持つまい、既に戦闘機は有っても燃料はなく、弾薬も底をついていたはずだ、だからこそ大本営を松本の地下にと言う作戦(逃亡作戦だが)を真剣に実行するつもりだったのだろう、
3月10日の下町大空襲時には防空戦闘機は殆ど上がっていない、だったらなぜ未だ機能していた市ヶ谷の大本営を重点的に爆撃しなかったのか、
広島ではなく既に時代遅れになったとはいえ海軍工廠の有る呉でなかったのか、長崎でなく佐世保で無かったのか、ただ一般人を殺戮するがための作戦だったとしか思えない、
確かにボッタム宣言を無視した事がさらにエスカレートさせたと言う事もあるだろうが多くの一般人を標的に殺戮を重ねる必要はあるまい、
原爆で被爆した死者は24万人、唯一の被爆国と言う事を言い換えれば唯一の核兵器の使用国アメリカと言う事であり殺戮した人数はナチスのアウシュビッツの比ではない、
「アジアの為に役に立った太平洋戦争は侵略戦争ではない」と言う方に「朝鮮併合と満州国設立は侵略ではないのか」と問いたい、軍力を持って他の国に出掛ければその時点で「侵略」であること間違いないだろう、
しかしそれがアメリカが一般市民を殺戮を繰り返した事の正当な理由になる訳も無い、
いつでも戦争はごく一部の人間によってはじめられ、負担は始めた人間以外が負う事になる、今から互いの責任を責め合っても進歩的な会話は生まれない、過去の責任と反省を持って我々は生きなければならないだろう、
「国家間の紛争に戦力を持って解決をすることを永久に放棄する」と言う理念は占領軍が作ろうと敗戦国が作ろうと理想的な文言だと思う、
「理想主義で現実には役立たない」と言うかもしれないが人類の究極の理想だとしたらやはり貴いのではないか、目標はより高く掲げるのが本当の目的だ。

過疎の地域で自動運転車両を

2017-08-03 08:38:44 | 雑記
ボルボが2022年までに自動運転ステージ4の車両を売り出すと発表した、同時ではないがすべての車をEVにとも発表している、
CEOが「我が社の自動運転車両で起きた事故の責任は全て我が社にある」と言ったらしい
確かに「全自動運転」を標榜するなら当然そうでなければ「完全な自動運転」とは言えないだろうがなかなか言える台詞ではないな、日本のメーカーもそれくらいの事を行って欲しいものだ、
所で完全自動運転となるとはたして運転免許証と言う物は意味が有るんだろうか、
運転の問題は運転者の五感と知識に拠るところが多いはずだがボルボは「事故の全責任は我が社にある」と言う、
道路標識の認識や路面標識等は映像技術からか、或いはGPSのデータベースによるのか、地方の市町村道の様な所では手書きの標識なども存在するがそういう事はECやアメリカなどではありえない事なのか、あるいは法的規制外と判断されるのか、
どうしても人間にも注意義務は出てくるだろうがその時道路交通法の基本的な教育がされていない高齢者にどう対応するのだろうか、
この事に関しては前から疑問が多い、免許所持者は書き換え時に必ず法規の改定教育を受けるのだが自転車及び歩行者が守らなければならない法規と言う部分もかなり多い、
子供に関しては学校と言う教育機会が有るが高齢者に関しては義務的に知識を得ると言う機会は少ない、あっても強制ではないのだが車社会に於いては何れにしても当事者である事には間違いない、
流石に今は無いと思うが数十年前には交差点で歩行者が待っている方向に車がウィンカーを出していてもその意味が解らず通過するのを待っていると言う場面もあった、
その方にしてみれば(なぜさっさと通過しない)と言う事だろうがドライバーにしてみれば(そっちに行きたいんですが)と言う事になる、
自転車は「軽車両」と言う分類で自動車と同じ交通法に分類される、「軽車両を除く」と言うのは補助法で一方通行を逆走してもいいのはあくまで補助的な措置である、
従って一方通行の交差点では逆側には「一時停止」の標識は無いが基本的には停止義務がある、この部分は標識表示の問題もあるが自転車運転者は基礎的な標識の見方すら知らないケースが有る、歩道を走っていいのはあくまで特例措置である事も恐らく知らない
自動運転許可以前の問題として車と歩行者が混在する特に都市部では法整備の方が優先されるだろう、
自動運転は完璧でなくとも過疎化した地域では大きな役割を担えるのではないかと思う、高齢化率が70%などと言う過疎地域は採算の問題でバスが撤退している、
高齢化の為に運転が難しくなり買い物難民と言われる社会にもなりつつある、
過疎地域では当然ながら交通量は極端に少ないし必要ルート自体も少ない状況だと思う、
万々が一事故が起きたとしても精々道路脇は畑や田圃でたまに出会う様な子供も速度が30km/h程度なら十分に避けられるだろう、利用者もスピードを望んでいはいないので速度そのものは低速で十分だろう、
又GPSと併用で道路の交差点に発信機を取り付けても大した数ではあるまい、
スマートフォンでも簡易メニューの物もあるので公共で設置するのも良いが自動運転車両の私有でも良いのではないだろうか、
行き付けの病院、子供の家、駅でもあるいはゲートボール場でもメモリーしておけば良い、近隣の商店に自由にゆく事が出来れば過疎の村でも育った土地で最期を迎えたいと言う希望にそえるだろう、
電気自動車にすれば燃料を気にする事もない、大体高齢者の移動距離は多くて40km、大抵もっと少ないから帰宅したらコンセントを差し込んでさえ置けば十分だ、そしてこれはインフラが止まった時には予備電源としての機能もある、
車載のGPSは緊急時も居所の把握に機能するし異常気象の様な緊急時はより安全な状況を確保できる、是非地方自治体とメーカーがモデルケースをお願いしたいものだが、
ついでに私の気になる字度運転者は「酒酔い運転はどうなるか」なんだがね、田舎に暮らしたら町で飲んで家に帰るのはタクシーよりずっと良い