梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

彷徨い、漂いいつか終える

2017-08-29 12:38:30 | 雑記
独りになったら放浪の旅に出たいと思っているが今の住まいをそのままに目的もない日程もない旅に出るのは放浪とは言わないだろうな、
これは何時か戻って来ると言う条件で出掛けるのだが放浪と言うなら戻ってくると言う選択は無い、
家に誰も居ないならこれは「帰る」のではなく単に「戻る」と言う事になるんだろう、
「帰る」と言うのは「戻る」とはどう違うのか、帰ると言うのにはそこに誰かが待っていると言う事が条件になるだろう。
考えてみると私は小学校の中ほどに母親が入退院を繰り返すようになってから家で私を待っていると言う人は居なかった、
中学になってすぐ母親は無くなって親父と二人の生活になると先に帰るのは自分で風呂を沸かし夕飯を作ると言う生活で帰宅したときにはだれも居ない状態だ、
中学を出てすぐ上京し同時に田舎の家を出て市内に住んだ父親は交通事故の後遺症で仕事が出来なくなり
次女夫婦と住むことになったのでその時から帰る家は無くなった、
それを不幸だとか大変だとか考える余裕は全くない、仕事が無くなれば即浮浪者である、
当たり前のように一人で暮らし、飲んだくれて帰る家は生活感の無い寝床である、
それを放浪と言うのはあたらないが誰かが待っている訳ではない生き方が身についていた、
36で結婚し同居した義母がなくなり、子供たちも各々生活を始めると今一緒に住んでいる女房と二人となった、
間違いなく女房は私の帰りを待っている、と思う。
しかし約束通り女房を見送ったら待つ者はいなくなる、そうなったら今住んでいる所にこだわる事もない、時々は戻るかも知れないが基本的には糸の切れた凧の様にふらふらと彷徨って居たい、
放浪と言うか漂い流れると言うか、妙にその生活に憧れる、
軽のキャンパーでも手に入れてわずかな年金を頼りに世間と何の接点もと言うのは難しいとしても極力少なくして漂い彷徨っていつの間にか居なくなると言うのが自分には相応しい気がする、
女房も「それがお父さんには似合っているかもしれないと最近思うようになった」と言う、
問題は何処かで生き倒れて子供が処置をする羽目になるのが迷惑だが連絡が取れなくなって生死不明と言うのもそれはそれで面倒かもしれないな、
まあ死んでしまえば後は自分では如何ともしがたい、何処かに葬式代位を隠しておいて身元の分かる物を捨ててしまうのが良いか、或いはそれすらもなく身元不明の行き倒れとなるのが良いのか、
始まりから終わりまで彷徨う様に生きて終えるのが自分らしい、女房と知り合って一緒に暮らす人生が偶々起きた幸運だったのかもしれない、
蒸発する男達は「帰ってきてほしい」と思う待ち人が居なかったのかもしれないが元来男にはこんな願望が有るのかもしれないな