梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

戦争と平和そして罪と罰」

2020-08-16 08:56:43 | 雑記
「戦争の歌が聞こえる」と言う本があった、
音楽セラピストと言う職業で終末療養が主らしいがアメリカに渡ってその資格を取ったという
アメリカでその仕事を始めた時「この療養所には大戦の経験者が多いので日本人の君には大変かもないが」と言われたが(もしかしたら罵声を浴びせられるのかも)と考えていたのが全く逆だったという
「ユミコは日本人か?私はあの時日本人を殺した!」と言って泣きだされたと言う、
その後彼女は多くの同じような患者と会い、その多くが被害者ではなく”加害者”としての苦悩を負っている事を知った、
そして自分が「戦争を起こしてはいけない」とずっと思っていた根底にあったのが「戦争被害者」としての平和主義だったこと、多くの日本人の言う「戦争を起こしてはいけない」も被害者の意識に立った平和主義であったことに気が付き戦勝国であっても戦争は人の心に大きな傷を残している、それは自分が加害者だという傷だった」と言う事に気づく
日本に戻ってみたら「修正主義」と言う風潮を知り愕然とする
南京虐殺はなかった、韓国併合は韓国の為だった、東南アジアをヨーロッパから解放した
アメリカでは「原爆は大戦を早期に集結させた」と言う意見はあっても「ヒロシマ・ナガサキ」がなかったという人間はいない、東京大空襲も事実として共通認識だという
日本人は戦争の被害者としての意識はあるが「加害者」としての意識はほとんどない
東京新聞に「しょうけい館」の記事があって「南方戦線のジオラマ」が載っていた 、最前線の「悲惨な状況を忘れてはいけない」という承継のジオラマだと思われる、 しかしその南方戦線とはそこが本来日本の兵隊がいるべき場所ではない国である
引揚者と言う大変な思いをした北満移民団が居た、しかしそこは本来日本の領土ではなくもとよりそこに生まれ育った人々がいた、
我が物顔で彼らより裕福な暮らしをし、銃を構えた兵隊が居た、
戦争の被害者だが加害者でもある、加害者である事の蹉跌がアメリカの兵士にはあるが日本人にそれがあるのかと作者は問いかけている
そして本当に戦争反対は加害者意識に立脚したものでなければ恒久的な平和は来ないのではないかと問いかける
一度考えてみる必要がある、あの当時日本に他国の兵隊が、他国の裕福な人間が大きな顔をして日本人を睥睨していたらどうだったろうかを
無条件降伏の進駐軍下の生活と卑屈さを、アメリカが占領を解いて日本は大きな発展をしたがそれが解消する望みのない状況を想像し、有ったことを無視したり美化することはやめるべきではなかだ
有ったことを有ったまま記録するのが歴史でそこに何かの意味を持たせるのは歴史ではなく別な教訓であり、記録が改竄隠蔽されたら歴史ではなくなってしまう


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