梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

昭和40年代・自由が丘

2012-10-12 13:14:15 | 雑記
随分昔、自由が丘の駅前広場正面右側の路地を少し入った所に「ファイブスポット」と言うジャズスポットがあった、その近く路地の角のビル4階に「カンツォーネ」と言う店があった、グランドピアノとステージの有る小さな店で生の演奏と歌が聞けた、
ジャズスポットは1度か2度しか行かなかったがカンツォーネの方には何度か通った、
付き合っていた子がジャズより此方が好きだったと言う事も有るが元々ジャズスポットはあまり女性に人気は無かった、
会社も住まいも大田区なので距離的にほど良い事もあり自由が丘には結構遊びに行った、
無論普段友人や同僚と飲むのは会社近くの焼き鳥屋かチョイ一だったが雰囲気を変えて飲むには適当な所だった、
池上線で行ける蒲田は当時少々危ない雰囲気の所で路地にごたごたと色んな店がひしめいていた、
安いのだが必ず一夜に何度か喧嘩騒ぎがある所で少々不慣れな若者には近寄り難い場所だった、反対側の五反田も其れよりやや大人しいと言っても飲み屋街に加えて色街もあり、やはりちょっと「しゃれた」雰囲気とは言えない場所であり、其れに比べると自由が丘と言う名前の響きは良く、又客年齢もかなり若いので安心して飲める所だった、
この頃若者が飲む所として「コンパ」と言う形式の店が駅毎に有った、カウンターのみが殆どで最初はカクテルスタンドの様な店だった、
当時女性はビールを少し飲む位であとはカクテルが殆どだ、カウンターの中には若い男性が白いシャツとベストで入っているだけ形式だったが此れは暫くすると女性のカウンターに変わってしまう、こうなると後は衰退する
女性の定番は「ピンクレディ」か「ブルーハワイ」男性は大抵「ジンライム」だった、
その内キープボトル制になって来るとウィスキーが主流になる、大人達の行く「バー」と言うジャンルの店はサントリーバーなら角かオールド、ニッカバーはスーパーニッカが主流だったが若者の多い店では高額すぎて庶民的な「白」が主流だった、
余談だがその頃家で飲むウィスキーはサントリーの「レッド」、ニッカの「ブラックニッカ」で店売りで500円、
白は850円だった筈だ、角は当時で1300円、オールドは其れより少し高かったと思う、スーパーニッカもオールドと同じ価格でやはり20代の年齢では少々手が出しにくかった
その後女性も水割りを飲むのが当たり前になって来たがそれでも「コンパ」で水割りを飲む女性は殆ど居ない、
今流行って来たハイボールはあまり若い連中は飲まなかった、
カクテルに戻る、ショートとロングがあり、この時代だけのカクテルが彩り良く饗されていた、七色に分かれる「レインボー」や卵を使う「エッグノック」など甘くて見た目の良いカクテルを鮮やかな手つきでカクテルグラスに注ぐバーテンダーはこの頃から多くなった女性だけのグループに人気が有って友人になったバーテンが「殆ど毎週末日替わりだな」と言う様な話をしていたがあの手の店も何時の間にかなくなってしまったな、