新聞で「池上線」と言う古い歌の記事が出ていた、私が池上線の沿線に住み付いたのは21歳の頃だから彼是43年になる、今では少し離れた所に住んでいるが同じ大田区で時折池上線にも乗る事がある。
この歌を聞くとある女性を思い起こさせる、あの歌では女性が失恋する話だが思い出の方は私が失恋をしたのだが歌詞にある「黙って幾つ駅を過ぎたのか」と言うシチュエーションの時は未だ交際中で歌詞の様に彼女が悲しそうにずっと下を向いていた、
当時同じ会社で彼女は有楽町の本社勤務、自分は久が原の工場勤務だったので待合わせは大抵五反田だった、
駅前の歩道橋の上で彼女が来るのを通る車の流れを見ながら何分も待っていた、
その時なんで喧嘩になったか覚えていないのだが彼女が「ごめんね」と何度も謝っているのを無視してそのまま電車に乗って仕舞い、追いかけて来た彼女がドアの反対側に立ってずっと下を向いていた事を鮮明に覚えている、
家のある駅に着く前に電車を降りて夜道を歩き出したら彼女も降りて黙って後ろをずっと歩いてきた、暫く歩いた後仲直りをしたのだがその後彼女は会社を替わり暫くは交際していたのだがあるときから電話に出なくなり数回続いた時点で失恋した事を理解しそのままになってしまった、
彼女が私が本格的に付き合った最初の女性だったが同い年だったので今では彼女も64歳になるはずだが、会わぬが花だろうな、
池上線は元々池上本門寺の参拝用の路線だったらしい、そろそろお会式である、今ではかなり寂しくなったが当時の賑わいはすごい物で万灯行列は全国から参加が有って一方は川崎から、一方は五反田から第二京浜国道を車両通行止めにして本門寺を目指して練ってくる、「ちゃんちき」と言われる鐘と団扇太鼓の音と股引とどんぶりの若い衆の纏が万灯の前後を練り歩く、全部の万灯が寺に入り切るのは深夜を廻る事も有った、
当時は掛小屋もかかり、「六尺のおおいたち」や「ろくろ首」「蛇食い女」なども未だ現役だった頃で本門寺の周りには未だ畑も随分あったのだが、都営浅草線の開通から今では久が原に続く高級住宅地になった、
此処に疎開すると言う話とは隔世の感があるが許されるなら此処を「終の棲家」にしたいと夫婦で話しているのだが、何とかなるかどうか
この歌を聞くとある女性を思い起こさせる、あの歌では女性が失恋する話だが思い出の方は私が失恋をしたのだが歌詞にある「黙って幾つ駅を過ぎたのか」と言うシチュエーションの時は未だ交際中で歌詞の様に彼女が悲しそうにずっと下を向いていた、
当時同じ会社で彼女は有楽町の本社勤務、自分は久が原の工場勤務だったので待合わせは大抵五反田だった、
駅前の歩道橋の上で彼女が来るのを通る車の流れを見ながら何分も待っていた、
その時なんで喧嘩になったか覚えていないのだが彼女が「ごめんね」と何度も謝っているのを無視してそのまま電車に乗って仕舞い、追いかけて来た彼女がドアの反対側に立ってずっと下を向いていた事を鮮明に覚えている、
家のある駅に着く前に電車を降りて夜道を歩き出したら彼女も降りて黙って後ろをずっと歩いてきた、暫く歩いた後仲直りをしたのだがその後彼女は会社を替わり暫くは交際していたのだがあるときから電話に出なくなり数回続いた時点で失恋した事を理解しそのままになってしまった、
彼女が私が本格的に付き合った最初の女性だったが同い年だったので今では彼女も64歳になるはずだが、会わぬが花だろうな、
池上線は元々池上本門寺の参拝用の路線だったらしい、そろそろお会式である、今ではかなり寂しくなったが当時の賑わいはすごい物で万灯行列は全国から参加が有って一方は川崎から、一方は五反田から第二京浜国道を車両通行止めにして本門寺を目指して練ってくる、「ちゃんちき」と言われる鐘と団扇太鼓の音と股引とどんぶりの若い衆の纏が万灯の前後を練り歩く、全部の万灯が寺に入り切るのは深夜を廻る事も有った、
当時は掛小屋もかかり、「六尺のおおいたち」や「ろくろ首」「蛇食い女」なども未だ現役だった頃で本門寺の周りには未だ畑も随分あったのだが、都営浅草線の開通から今では久が原に続く高級住宅地になった、
此処に疎開すると言う話とは隔世の感があるが許されるなら此処を「終の棲家」にしたいと夫婦で話しているのだが、何とかなるかどうか