西瓜の季節になった、子供の頃は好きだったがその頃は中々食べられなかった、
その頃田舎では西瓜を作る農家が無かったのだが農村なので「八百屋」と言う店が存在しない、従って手に入る事が無いのだ、まあ魚屋も肉屋も無いのだが。
一度父が種を買ってきて私に「蒔いてみるか」と言ったのでジバイ瓜の隣でやってみたがソフトボール代の物が4~5個出来ただけで中身も赤くならず駄目だった、
西瓜の代わりに子供のおやつになるのはトマト、胡瓜、そしてマクワ瓜だった、
胡瓜は普通に棚で作る胡瓜の他に「地バイ瓜」と言うのが有ってこれがイボも無く真っ直ぐに出来る、水分が多くおやつ代りには此方が良い、
「ジバイ」と言うのは恐らく「地這」と言う事で畑に萱や麦藁の床を作って平らに作るからそう言うのだが今東京の野菜売り場では「白瓜」と言う名前で売られているが買ってみると昔より少し硬い感じがした。
一夜漬けや糠漬けにしても美味しいが此れを縦半分に切って種をこそぎだし其処に塩を塗りつけてかぶりつく、毎日十本以上採っても次々出来るので親も子供が学校から戻る前に収穫して笊に入れて沢に冷やしておいてくれる、トマトも一緒に冷やして有った、しかし今のトマトの味はあの青臭さとすっぱさがなくなってしまったのが残念だ。
マクワ瓜と言うのも作る、黄色くて白瓜より更に太い、こっちは漬物にはしないでもっぱら果物の様な食べ方をする、農作業の途中で咽の渇きを癒すのに丁度いいので大抵の農家で作っていた、確か「プリンスメロン」の最初の物はこの瓜とメロンの交配種だったと思う、
昭和35年位からぼつぼつと西瓜を作る農家が出てきた、出荷用ではなく片手間に作る程度だった、此れを悪餓鬼は見逃すわけは無い、只盗むのは面白くないので明るい内から目を付けて置いたよく熟れた実を蔓から採らないでそっとひっくり返す、下になった部分は日当りが悪いのですこし模様が薄い、この部分をナイフで刳り貫き竹の先で中を突付きまわして果実を液状にする、其れを麦藁で作ったストローで吸い取るのである、
凡そを飲み干したら先ほど刳り貫いた部分を戻してそっと元の位置に戻しておく、こうして置くと数日で西瓜は腐り落ちてしまうのだが只其れが面白くて何度かやった
働き出してからは余り西瓜は食べなかったが子供が出来てから時々買って来るようになった、
当時西瓜は丸々一個で売っていた、有っても精々半分である、しかし此れは冷やすのが大変で冷蔵庫の中身を痛まない物は外に出して出せない物は一纏めにして隙間を作り入れる、しかしそれでも入らないで中仕切りの棚を外して冷やす事になる。
実は西瓜の皮は白い部分に外の硬い部分を薄く残して一夜漬けにすると結構いける、糠漬けが良いのだが糠床がない、一塩で一夜漬けを作って置いて抓みにすした、どっかで売ってないかと思うがまさか喰いかすで売り物も作れないだろうし、皮を剥いて赤い部分だけで供する様な方法も無いから仕方ない、糠床を作る根気も無いから諦めるしかないのが残念だ。
40代で会社を起こした頃勤めていた19か20歳の女性社員が西瓜の時期に「小学校の頃テストの成績が良かったご褒美に何が良い?と父に聞かれて一度やってみたかった西瓜を丸々皮を剥いて林檎みたいに食べたいと言ったら父が”よし解った”とかなり大きな西瓜の皮を剥いてくれたので大喜びで食べたけど顔中がびしゃびしゃになって食べ難いだけて味が解らなかった、やっぱり普通の舟が良いですよね」と言っていたのを思い出す、
その頃田舎では西瓜を作る農家が無かったのだが農村なので「八百屋」と言う店が存在しない、従って手に入る事が無いのだ、まあ魚屋も肉屋も無いのだが。
一度父が種を買ってきて私に「蒔いてみるか」と言ったのでジバイ瓜の隣でやってみたがソフトボール代の物が4~5個出来ただけで中身も赤くならず駄目だった、
西瓜の代わりに子供のおやつになるのはトマト、胡瓜、そしてマクワ瓜だった、
胡瓜は普通に棚で作る胡瓜の他に「地バイ瓜」と言うのが有ってこれがイボも無く真っ直ぐに出来る、水分が多くおやつ代りには此方が良い、
「ジバイ」と言うのは恐らく「地這」と言う事で畑に萱や麦藁の床を作って平らに作るからそう言うのだが今東京の野菜売り場では「白瓜」と言う名前で売られているが買ってみると昔より少し硬い感じがした。
一夜漬けや糠漬けにしても美味しいが此れを縦半分に切って種をこそぎだし其処に塩を塗りつけてかぶりつく、毎日十本以上採っても次々出来るので親も子供が学校から戻る前に収穫して笊に入れて沢に冷やしておいてくれる、トマトも一緒に冷やして有った、しかし今のトマトの味はあの青臭さとすっぱさがなくなってしまったのが残念だ。
マクワ瓜と言うのも作る、黄色くて白瓜より更に太い、こっちは漬物にはしないでもっぱら果物の様な食べ方をする、農作業の途中で咽の渇きを癒すのに丁度いいので大抵の農家で作っていた、確か「プリンスメロン」の最初の物はこの瓜とメロンの交配種だったと思う、
昭和35年位からぼつぼつと西瓜を作る農家が出てきた、出荷用ではなく片手間に作る程度だった、此れを悪餓鬼は見逃すわけは無い、只盗むのは面白くないので明るい内から目を付けて置いたよく熟れた実を蔓から採らないでそっとひっくり返す、下になった部分は日当りが悪いのですこし模様が薄い、この部分をナイフで刳り貫き竹の先で中を突付きまわして果実を液状にする、其れを麦藁で作ったストローで吸い取るのである、
凡そを飲み干したら先ほど刳り貫いた部分を戻してそっと元の位置に戻しておく、こうして置くと数日で西瓜は腐り落ちてしまうのだが只其れが面白くて何度かやった
働き出してからは余り西瓜は食べなかったが子供が出来てから時々買って来るようになった、
当時西瓜は丸々一個で売っていた、有っても精々半分である、しかし此れは冷やすのが大変で冷蔵庫の中身を痛まない物は外に出して出せない物は一纏めにして隙間を作り入れる、しかしそれでも入らないで中仕切りの棚を外して冷やす事になる。
実は西瓜の皮は白い部分に外の硬い部分を薄く残して一夜漬けにすると結構いける、糠漬けが良いのだが糠床がない、一塩で一夜漬けを作って置いて抓みにすした、どっかで売ってないかと思うがまさか喰いかすで売り物も作れないだろうし、皮を剥いて赤い部分だけで供する様な方法も無いから仕方ない、糠床を作る根気も無いから諦めるしかないのが残念だ。
40代で会社を起こした頃勤めていた19か20歳の女性社員が西瓜の時期に「小学校の頃テストの成績が良かったご褒美に何が良い?と父に聞かれて一度やってみたかった西瓜を丸々皮を剥いて林檎みたいに食べたいと言ったら父が”よし解った”とかなり大きな西瓜の皮を剥いてくれたので大喜びで食べたけど顔中がびしゃびしゃになって食べ難いだけて味が解らなかった、やっぱり普通の舟が良いですよね」と言っていたのを思い出す、