福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

私達の病院という表現(1)  定年退職者感謝状授与式と会食

2007年04月02日 04時33分27秒 | 近況・報告
  3/30(金)13:30からレストラン「ルピナス」にて定年退職者への感謝状授与式と会食があった。昨年は時間の関係で会食までは参加できなかったので定年を迎えられた方々との懇談は初めてである。短い時間であったが私にとってもいろいろ有意義であった。何しろ各メンバーは皆私と同年代である。法人内でのキャリアは全員私より長い。看護師、事務職、放射線技師として30-40年間も働いた方々である。表情を見る限り、まだまだ若く素晴らしい。これで退職時期を迎えているのが俄には信じがたいほどである。再雇用制度によってこの中の数人は今後も嘱託として残る方もいるとのことである。

 昨年と同じ簡素な形式で感謝状と記念品が授与された後、会食に移ったが、私は以下のように乾杯の挨拶をした。

『無事、定年退職の日を迎えられたみなさん方に心からお祝いと感謝の気持ちをお伝えします。特に、3つの点をあげてお祝いしたいと思います。今まで無事生きられたこと、職務をまとうし定年退職の日を迎えられたこと、まだまだ豊かな時間が残されていること、です。

 長い人生の中で大きな節目はいくつかあります。例を挙げれば、出生、結婚、定年退職、死去でしょう。勿論、個人差があって当然で、その中に人との決定的な出会いや別離、大病や事故をあげる方もおります。その中で最も大きな意味を持つのは何だろうか、と考えたときに、定年退職を迎えられた方々を前にして挙げるとすれば、やはり定年退職なのではないか、と私は思っています。

 出生や死は本人にとっては直接意識する事はありません。定年退職はそれほど意識して過ごすものではないでしょうが、じわじわと、ゆっくりながら確実に迫ってきて、突然現実として迎えてしまうものでしょう。現代社会の中で、特に組織の中で長く暮らしてきた方々は、今までは○○病院の○○です、と言う表現で社会的な立場を表明できたのですが、今後は一人の人としての歩む事になります。ある意味では束縛から解き放たれることでもありますが、大きな発想の転換が必要になるでしょう。考えようによっては大した問題ではないとも言えますが、数10年この発想で生きてきたという現実は決して小さくはないのではないか、と思います。 

 今、送る立場でお話している私は皆様方と同年代であります。未だ定年まで若干の時間が残っていますが、本当のところ皆様方が羨ましくてなりません。一方では、この年で院長としての重責を担っていることの意義も感じているので複雑な気持ちです。かつて、私は嘱託医になって医療以外の分野にもっと時間をかけてみたいと、思ったこともあります。今は休日も含め大部分を病院内で過ごしていて私的な時間はほとんど持てませんが、今の時期はやむ無しと割り切って諦めています。だから、私は定年を迎える日を心から楽しみにしています。

 今後の残された時間、いつまであるかは分からないのですが、しばらく休息された後、新しい発想で一日一日を有意義に送られますようにご期待いたしております。

 乾杯の挨拶としてはちょっと長くなりました。皆様方の今までの働きにもう一度感謝の気持ちをお伝えし、今後のご健勝を祈念して乾杯したいと思います。ご唱和下さい。乾杯!! 』
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