社会保障制度審議会の1995年の勧告から20数年経ったが、その後に日本社会に起きたことは勧告の予想を超える激震クラスであった。
「家族」の変化はさらに進行、「雇用システム」も大きく変わり、両者が重なり合う中で、社会全体が大きく変容していった。この過程で、第3次ベビーブームは失われ、出生率は進行性に減少していった。
この2点が我が国の人口減に濃厚に関与している。
1991年にバブル経済が崩壊し、景気は後退局面に入った。
バブル期に大幅に上昇した不動産価格が下落し、それまでの大型投資の反動もあって、金融業界や不動産業界などを中心に不良債権が大量に積み上がった。
1997年夏に発生したアジア通貨危機などが重なり、山一證券、日本長期信用銀行が破綻するなど、日本の金融システムが大きく揺らぐ事態となった。
この中で、企業経営の悪化、雇用の縮小、消費の低迷、物価の持続的な下落など、日本経済全体が急激に変調をきたした。
当時は、バブル経済がもたらした、企業の「三つの過剰」が経済の足を引っ張っているとされた。 「過剰債務」「過剰設備」「過剰雇用」である。
このうち「過剰債務」、「過剰設備」は不良債権処理として解消が図られた。その過程で大幅なリストラが発生した。
問題は、「過剰雇用」でこの解消をきっかけに「日本型の安定雇用」が大きく揺らいだ。
三つの「過剰」の解消が図られたことにより、企業収益は改善し、経済は一応の持ち直しが図られたが、2008年9月の「リーマンショック」で世界経済は激変した。2012年末以降ようやく景気回復へと向かった。
こうした経済情勢の変化に最も大きな影響を受けたのは、「雇用」であった。
こうした雇用情勢の悪化が最も強く表れたのが、新卒者をはじめとする若年層である。この時期は「超就職氷河期」と呼ばれ、新卒者の就職率は低水準で推移した。
20歳から24歳の若年層の失業率は、1985年は4.1%だったのが、1998年は7.1%、2001年は9.0%、2003年には9.8%と急激に悪化した。
こんな不安定で厳しい経済状況下では結婚、出産、子育てなどは若者たちにとって望み難いものになった。
我が国の場合、子供を持つには婚姻関係が重要で、日本の出生率の背景には婚姻率が大きく関係してくる。