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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

余生をパソコンと共に(16)2019(4) (付)演奏会の画像 カメラワークに驚き

2019年01月13日 07時44分50秒 | 音楽談義
 オペラやオーケストラのCDも全部MP3化した。とても便利に利用しているが、自分の書斎で聴く時には基本的には映像付きの音楽番組のライブ録画を視聴することが多い。


 最近、音楽番組が良い音質、鮮明な画像で放送されるようになってきている。私のライブラリーには300本以上の録画がある。メインは「N響定期公演・特別演奏会」のライブ、そのほか「読売日本交響楽団演奏会」、「題名のない音楽会」、「らららクラシック」などである。これらは自動的にハードディスクに録画される。

 音楽CDそのものも企画から製品になるまでに多数の人材が関与する総合芸術だと思うが、オペラ、バレーを始めとする各種演奏会の実況録画は更に技術の粋を集めた壮大な総合芸術だ、と思う。

 今期の年末年始休暇は音楽鑑賞三昧で至福の中で過ごした。いつも感じていたことであるが、演奏会の中継映像はカメラワークが実に素晴らしく、多くは見事に音楽と映像が一体になっている。これは驚きである。

 私が驚くのはライブ録音・録画である。
 演奏家の構成が単純な、例えば弦楽器のソナタ、弦楽四重奏、室内楽でも曲の構造に応じた映像が提供され、観るものを飽きさせない。

 これは大変な技術だと思う。いや、それ以上に映像ディレクターは数台のカメラに相応しい映像を得るよう指示し、曲の進行に応じて画面を適宜切り替えて相応しい画面を構成しているのだろう。その切り替えのタイミングは、曲を隅々まで知り尽くしていなければ出来ないことである。このことだけでもすごい。


 編成が大きくなる協奏曲や交響曲、管弦楽曲に至っては50-100人ほどの編成となり、楽器の種類も多く、曲の構成自体が実に複雑になっている。指揮者、ソリスト、管楽器のソリスト達、コンマス、ヴァイオリンやチェロなどが次々と選択されていくが、曲想にマッチした画像となっている。

 またこの画像によって音としてあまり聞こえてこないパートの音を聞き分けられる様になる。演奏者の表情を見るのも楽しい。映像なしの場合とは別の発見があって面白い。


 オペラ・バレーの場合には劇場で見るのはやはり良いが、視覚的には座席によってかなり限定される。この場合も映像の構成にはいつも感心する。本当に隅から隅まで知り尽くした技術者によって、しかも、ライブで、同時進行で作られている。私の想像を遙かに越えた技術家集団が居て、楽譜を片手にどの様な構成にするのか研究に研究を重ねているのだろう。
 恐らく指揮者に匹敵するほど曲の全体像を把握しているのだろうと思う。

 私の音楽鑑賞の基本はかつては演奏会であった。そのために上京もした。
 しかし、人が集まる場所を忌避するようになってからは滅多に行かなくなった。その代わりに、CD由来のMP3データを集中的に聞いている。その際、スコアを片手に聴く、あるいは映像を伴う演奏会の記録を聴くのは実に楽しい。

 作曲家も指揮者も、演奏家も素晴らしい。スコアを見てひたすら驚くばかりである。
 さらに実況中継を記録するカメラマンたちの技能には驚くばかりである。演奏会の映像を見てひたすら驚くばかりである。

余生をパソコンと共に(15)2019(3) スコアを見ながら音楽を聴く楽しみ

2019年01月12日 16時45分36秒 | 音楽談義
 昨年、私は終活の一環として約半年かけて我が家にあるCDのほぼ全てをMP3化した。

 MP3化した音楽データはパソコンでも聴くが、最もじっくり聴く時間は出勤等の移動時間でiPhone8とiPod touchとヘッドフォンでBluetoothを介して聴く。

 ヘッドフォンの場合、周辺環境の影響を受け難く、微細な音も聞こえるし、一つ一つの音の解像力も良く、音楽の構築が一層よくわかる。ヘッドフォンで聴く音楽を一層深く味わうために、最近は時折であるが、ポケットスコアを見ながらじっくり音楽を聴く。時間的余裕が増えたことも一因である。

 私は中学生の頃にクラシック音楽の魅力に目覚めたが、当時は漫然とレコードでメロディやリズムを楽しんでいた。学生時代、新潟大学のオーケストラに属した。私自体は下手であったがオーケストラを通じてそれまで漫然と聞いていた作品の構築を知り、ますますのめりこんだ。自分たちが演奏する曲目はスコアを全部入手して勉強した。

 いつしかスコアを参照にしながら曲を聴くこともなくなって、音楽はBGM的に聴いていたが、昨年からヘッドフォンの多用とともに再びスコアを開き始めた。
 スコアを見ながら聴くとこれまで聴こえてこなかった音が聞こえてくるから、聴くたびごとに新発見があると言っていい。

 スコアはいま100曲分ほどしかないが、最近また買い始めている。

 親しんだ曲、たとえばベートーヴェンの交響曲のいくつかはスコアがあれば音として再現でるが、ブルックナー、ワーグナーの曲などは構築が更に複雑になり、楽譜を追いかけるだけでも大変である。より近代の曲、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などは楽譜を見ただけでは何が何だかわからない。なんでこの楽譜があの美しい曲に変身するのか??と驚く。スコアの追っかけはせいぜいこの時代の曲までである。

 協奏曲のスコアを見るとその精緻さには驚くばかりである。ソリストは神がかり的技術を発揮して音にしていくが、スコアがないと私が聞き取っている音は8割くらいでしかない。

 作曲家も指揮者も、演奏家も素晴らしい。スコアを見てひたすら驚くばかりである。

余生をパソコンと共に(14)2019(2) MP3化データを気軽に楽しむ 

2019年01月11日 10時21分28秒 | 音楽談義
 昨年、私は終活の一環として約半年かけて我が家にあるCDのほぼ全てをMP3化した。

 MP3化の処理中はパソコンがCDプレーヤーに変身した。今は、MP3プレーヤーとなった。MP3化したデータを集計してみると1900時間分、休みなく再生しても80数日分にもおよぶ大容量になった。1900枚近く?? 実際にそんなに多くのCDがあったはずはないと思っているが、データ上はそうなっている。

 これだけの量をデータ化しても利用できなければ単なる廃棄処分でしかない。
 MP3データはクラッシック系、非クラシック系に2大別され、前者は交響曲、協奏曲、宗教曲、室内楽・・・と10ほどのジャンルに分けて、聴きたい曲は芋ずる式に簡単に、10数秒で探し出すことができる。検索で探すことも可能である。書棚からCDを探し出し聴いていた不便な状態にはもう戻れない。

 MP3化データはバックアップを兼ねてデスクトップのパソコン5台に納めている。だから、居間でも、書斎でも、飯川病院でも大曲中通病院外来でも、いつでも利用できる。

 私が一番音楽を聴く時間はパソコンに向かっている時ではなく、移動時間である。出勤時、帰宅時、大曲への新幹線などなどである。歩行している時間も長いから充分聴ける。
 そのためにはパソコンと同じデータをiPhone8と一部をiPod touchに入れて適宜使い分けている。

 居間、書斎などでパソコンを介して聴く場合は、サブウーファー付きのミニコンポに繋ぐ。居間でも大型のスピーカータンノイGRFは用いない。
 iPhone8とiPod touchの場合はソニーのノイズキャンセリングヘッドフォンHW-1000XM2でBluetoothを介して聴く。運転の場合には周囲の音が聞こえず、危険なので聴くことはない。

 音楽鑑賞の場合、音質等が問題になる。私が現在用いている再生機器は超廉価の製品で、全てが2010年以前の古い製品である。しかも専用機ではなく重要な部分にはパソコンの機能を用いている。
 はっきり言って私は高級機・中級機・廉価製品の区別がつかない。かつて用いていた機器は、CDプレーヤー単体でも現有のパソコンを含めた再生機器群よりもずっと高価であった。私は違いが分からないことが分かったから、今は安心して超廉価のシステムの音に身を委ね、不満もなく楽しんでいる。違いが分からない(2) オーディオ(1)かなり投資し、回り道した



 本当に私の聴覚はどうなっているんだろうか?低レベルであるほかに能天気的だからであろう。
 私が購入したCDの音楽がまずそこまで理想だったとしても、私の耳にとどくまでに、劣化につずく劣化の過程を経ている。低機能のCDの再生装置によるデータ圧縮行程とMP3化、ハードディスクへのコピー、たび重なるコピー、低機能の再生装置、iPhone8とiPod touchでのデータの劣化、Bluetoothを介した劣化、ヘッドフォン自体の能力などなどによる劣化・・・。

 しかしながら、これらの劣化を私は全く気にしないで再生される音楽に没頭できる。
 なんと幸せなことか、と思う。

 なんで私が劣化しているであろう音楽データを不満なく楽しめているのかを考えてみた。現時点では、私自身の聴覚の劣化、中枢機能の劣化、感受性の劣化の方が音楽データの劣化以上に進んでいるために認識できなくなっているためだ、ということに至った。要するに、劣化の全てがバランスよく進んでいるためだろう。これも加齢の妙か。
 

最近の演奏会雑観 ブラボー プレトーク 団員への労い そのほか

2018年12月03日 05時44分59秒 | 音楽談義
 私は、演奏会、特にオーケストラの演奏会が好きで、秋田市内で聴ける場合はその知名度とは関係無く可能な限り聴いてきた。地元の青少年オーケストラ、秋田室内合奏団、秋田市管弦楽団は勿論のこと、大学の夏期休暇中に秋田を訪れる都内の大学オーケストラなども聴いてきた。先日2000年前後から集めていた演奏会のパンフレットを廃棄したが120枚ほどあった。ずいぶん聴いたものである。しかし、ここ2-4年は稀にしか行かない。

 人が集まる場所を毛嫌いするのは前からあったが、最近、その傾向が特にひどくなった。とにかく人が集まる場所に身を置くことが不快になってきている。つい前までは、知人に会うことがストレスであったが、最近は座席で前の人の頭を見るのも嫌になった。話し声、喧騒も嫌で、人混みの中ではノイズキャンセリングヘッドフォンは離せない。

 今年は、6月のベルリン交響楽団と昨日の秋田市管弦楽団のみである。

 無理して演奏会に行っても不快なことがあってがっかりする。

■ 第一は演奏終了時のブラボーのかけ声。
 昨日、秋田市管弦楽団定期演奏会があったが、第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの席から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、私は眠気も覚めたがすっかり興ざめした。実に迷惑である。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、よく響く低音で声もデカイ。いつも同じ人なのだろう。とにかく迷惑、やめて欲しい。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。本心は注意したいのであるが、度胸がないから耐えるだけ。なんで後ろで怒鳴る。前席でやればいい。

■ 第二は演奏前の注意事項の説明。
 携帯電話の電源オフ、演奏中の出入り、飲食などに関する注意事項である。こんなのは常識である。会場入り口などに掲示するだけで良いし、さらに求めるならパンフレットに記載すればいい。

■ 第三は演奏前のプレトーク。
 昨日の演奏会もそうであったが、指揮者等によるプレトーク。多くの場合は配布パンフレットに記載されているから100%ムダである。もし挨拶したいなら自分の言葉であっさりと。

■ 第四は演奏後の団員への労い。
 例として2012年秋田県民会館で行われた小林研一郎指揮の東京都交響楽団を挙げる。プログラムはチャイコフスキー作曲ピアノ協奏曲第一番、交響曲第5番。演奏自体は見事なものであったが、交響曲第5番の演奏終了後に管楽器各パートのもとを訪れ首席演奏者から順に立たせて、驚いたことに全員に労をねぎらった。
 確かに,団員をねぎらいたい気持ちは演奏内容からも見て取れたが、それを聴衆の前でやる必要はない。演奏上の責任者であるコンサートマスターだけで良い。あえて挙げるなら見事なソロを聴かせたバスクラリネット奏者だけでよかった。聴衆は其の間拍手を強要される。主客転倒である。団員への労いは控え室でやればいい。

■ 第五は観客の退場。
 いろんな演奏会場で感じることであるが、観客がスムーズに会場を出れない。だらだらと進む。これが苦痛。緊急時、大丈夫なのか、と思う。
 私は、通常は演奏終了直後に席を立つ。大抵一番目。そのために常に後方で通路側の席を確保する。

 私も老けたものである。従来それほど大きく感じなかった事象を大げさに感じるようになった。だから、最近はコンサート自体を避けている。

 

秋田市管弦楽団演奏会創立50周年記念定期演奏会

2018年12月02日 06時26分23秒 | 音楽談義
 本日12月2日午後,秋田市文化会館で開催された秋田市管弦楽団演奏会を聴いた。同楽団の演奏会は久々である。今回は創立50周年記念の定期演奏会とのこと。
 当初は「シェーラザード」を取り上げるとのことで興味を感じていたが、時間の面で迷っていたが、同好の方よりチケットをいただいたので聴きに行くことにした。

 演奏会の概要
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 指揮:佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏:菅原 潤氏。

 プログラムは
■ チャイコフスキー スラブ行進曲 Op31。
■ シャミナーデ フルーとと管弦楽のためのコンチェルティーノ Op107。
■ フンメル トランペット協奏曲(ピッコロ版)
■ リムスキーコルサコフ作曲 交響組曲「シェーラザード」Op35。

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 指揮の佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏の菅原 潤氏はともに秋田市出身の方で、前者は行きつけの書店の関係者でもある。

 「秋田市管弦楽団」は1968年創立。しかし、その歩みは順風満帆ではなかった。当初は秋田市の援助を受けていたが、演奏会の客足は伸びず、団員数も減少した。1983年秋田市の援助から離れ、その後、県外からプロの指揮者や演奏家を招いて指導を受け、徐々に来場者と団員も増えた。現在の団員は63人とのことである(魁新聞 12月1日)。

 私は過去に自分もやっていたことがあってアマチュアの方々の演奏は興味がある。とは言っても、私は同楽団の演奏会を意外と聴いていない。時間的余裕がなかったからである。それでも10回目ほどだろうか、そのうちの2回分については徒然日記に記録を残している。
秋田市管弦楽団定期演奏会
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(1)
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(2)

 私はやや早めに会場に出かけた。終了後迅速に席を立つ必要があり、後ろの通路脇の席を確保するためである。
 前半の2曲は寝不足もあって夢見心地で聞いたが、後半の2曲フンメルの協奏曲、交響組曲「シェーラザード」は十分楽しめた。

 第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの後から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、実に興ざめ、迷惑である。すっかり目も覚めた。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、とにかく迷惑、やめてほしいた。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。
不快、迷惑な演奏終了直後の「ブラボー」の大声
アトリオンホール「名曲のしらべ」を聴く
またもあのブラボー・コール
 私は演奏前に拍手をしない。演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。何度かのコールでやっと拍手である。基本的には演奏終了後は静かであって欲しい。

 私はこの声を聞きたくないので、今回は演奏終了後、間髪をおかず退席、当直医の補助のために飯川病院に移動した。