1965年私は新潟大学に入学し、未経験なのに身の程もしらず医学部管弦楽団に入部しヴァイオリンを担当することになった。本当のところはチェロに食指が動いたのであるが、初心者用楽器でもヴァイオリンの3倍ほどの値段で、貧乏学生の私には到底手を出せるものではなかった。
チェロをやりたいとの気持ちはずっと変わらず、1980年頃、念願のチェロを購入した。
京都の学会の時に楽器店を訪れ、年老いた店主にいろいろ相談していたが、私に相応しいであろう楽器をオークションで見つけたので仮抑えしたという連絡があり、店主の見立てを信じて購入を決め、数ケ月後の京都出張時に購入した。弓、ケース込みで60万円ほどと、ど素人の私が持つには贅沢な楽器であった。
イタリアのクレモナにある工房の作で、底面のレッテルには「Benedikt Lung」とある新しい楽器で、形よく、音色もシャープ、私は充分気にいった。嬉しくて二条城前の京都国際ホテルで二晩チェロを抱いて寝た。
楽器と同衾したこのホテルは、私にとってはちょっと贅沢であったが、その後も何度も利用した。
本年4月の内科学会総会時に宿泊希望で検索したところ、このホテルは実在せず、2014年12月に惜しまれつつ53年の歴史に幕を閉じていた。
楽器店店主も私が楽器を購入した後、数年後にお亡くなりになった、と言う。
購入した翌々日、夜行寝台特急日本海で帰秋したが、列車のベットはチェロを持ち込むのに狭くて寝るのに苦労した。その日本海も2012年3月引退した。
そして、このチェロ。先日2018年11月11日に私の手で解体され、その生涯を閉じた。記念に画像を残した。今後更に細断する予定である。

(興味を示して寄ってきたのは我が家のネコどもの母ネコ「小さい方」)
このチェロは新作で購入時は問題なかったが、2010年頃から裏板が徐々に側板から剥離してきた。単なる接着ミスと考えて仙台の工房で2回修理したがいずれも1−2年で同様の状態に戻った。私がじっくり見た範囲では裏板が収縮し、変形した事が剥離の原因と考えられた。若い楽器で、経年変化であろう。全体を作り直すには購入時と同様の修理費がかかるために、諦め、しばらくそのままにしておいた。
考えてみればヴァイオリンやチェロなど大切に扱えば100年単位で使えるはずである。私のヴァイオリンは1700年代のクレモナ製であるが今だに準現役である。この楽器に関しては作成段階から木材の選定か設計、施工過程のどこかに問題があった、としか考えられない。売ってくれた店主もその時点では到底見抜けなかった、と思う。こう言う運命の元に生まれた楽器であったと思わざるを得ない。
今回、私の残り時間を考えて楽器を中途半端にしていても意味がないと考えて解体した。流石に、気持ちが落ち込んだ。私を十分に楽しませた愛器が、私の元で最期を迎えた事、私の手で解体でき、短かったが私がその生涯と共に過ごせたことは、無常の喜びである。
私は自分で愛着を持って用いた品々は自分の手で解体して廃棄する様にしているので、このチェロもそう扱った。
私はこの楽器に愛着を持っており、練習のし過ぎで腱鞘炎になったこともある。ずいぶん練習した。しかしながら、ほとんど上達しなかった。実にヘタである。
その理由は、誰からも指導を受けず、ヴァイオリンを立てたイメージで扱えば何とかなるだろう良いだろうと甘く考えていた事が挙げられる。本来、ヴァイオリンとチェロのテクニックは全く別物であるが、それに気づくのが遅かった。
それでも、度胸良く時にはアンサンブルに参加し、大いにアンサンブルを乱した。今思えば実に気恥かしい。消えたいほどである。
私がチェロを愛好していた事がきっかけで3人の愛奏者が誕生した。そのことは良かったなと思う。
チェロをやりたいとの気持ちはずっと変わらず、1980年頃、念願のチェロを購入した。
京都の学会の時に楽器店を訪れ、年老いた店主にいろいろ相談していたが、私に相応しいであろう楽器をオークションで見つけたので仮抑えしたという連絡があり、店主の見立てを信じて購入を決め、数ケ月後の京都出張時に購入した。弓、ケース込みで60万円ほどと、ど素人の私が持つには贅沢な楽器であった。
イタリアのクレモナにある工房の作で、底面のレッテルには「Benedikt Lung」とある新しい楽器で、形よく、音色もシャープ、私は充分気にいった。嬉しくて二条城前の京都国際ホテルで二晩チェロを抱いて寝た。
楽器と同衾したこのホテルは、私にとってはちょっと贅沢であったが、その後も何度も利用した。
本年4月の内科学会総会時に宿泊希望で検索したところ、このホテルは実在せず、2014年12月に惜しまれつつ53年の歴史に幕を閉じていた。
楽器店店主も私が楽器を購入した後、数年後にお亡くなりになった、と言う。
購入した翌々日、夜行寝台特急日本海で帰秋したが、列車のベットはチェロを持ち込むのに狭くて寝るのに苦労した。その日本海も2012年3月引退した。
そして、このチェロ。先日2018年11月11日に私の手で解体され、その生涯を閉じた。記念に画像を残した。今後更に細断する予定である。

(興味を示して寄ってきたのは我が家のネコどもの母ネコ「小さい方」)
このチェロは新作で購入時は問題なかったが、2010年頃から裏板が徐々に側板から剥離してきた。単なる接着ミスと考えて仙台の工房で2回修理したがいずれも1−2年で同様の状態に戻った。私がじっくり見た範囲では裏板が収縮し、変形した事が剥離の原因と考えられた。若い楽器で、経年変化であろう。全体を作り直すには購入時と同様の修理費がかかるために、諦め、しばらくそのままにしておいた。
考えてみればヴァイオリンやチェロなど大切に扱えば100年単位で使えるはずである。私のヴァイオリンは1700年代のクレモナ製であるが今だに準現役である。この楽器に関しては作成段階から木材の選定か設計、施工過程のどこかに問題があった、としか考えられない。売ってくれた店主もその時点では到底見抜けなかった、と思う。こう言う運命の元に生まれた楽器であったと思わざるを得ない。
今回、私の残り時間を考えて楽器を中途半端にしていても意味がないと考えて解体した。流石に、気持ちが落ち込んだ。私を十分に楽しませた愛器が、私の元で最期を迎えた事、私の手で解体でき、短かったが私がその生涯と共に過ごせたことは、無常の喜びである。
私は自分で愛着を持って用いた品々は自分の手で解体して廃棄する様にしているので、このチェロもそう扱った。
私はこの楽器に愛着を持っており、練習のし過ぎで腱鞘炎になったこともある。ずいぶん練習した。しかしながら、ほとんど上達しなかった。実にヘタである。
その理由は、誰からも指導を受けず、ヴァイオリンを立てたイメージで扱えば何とかなるだろう良いだろうと甘く考えていた事が挙げられる。本来、ヴァイオリンとチェロのテクニックは全く別物であるが、それに気づくのが遅かった。
それでも、度胸良く時にはアンサンブルに参加し、大いにアンサンブルを乱した。今思えば実に気恥かしい。消えたいほどである。
私がチェロを愛好していた事がきっかけで3人の愛奏者が誕生した。そのことは良かったなと思う。