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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

音楽談義2022(6)歌謡曲が好き(1) 録音歌謡曲をデータベース化

2022年07月30日 03時40分14秒 | 音楽談義
 私は音楽が好きである。いわゆるクラシックと言われる分野が中心であるが、民謡、浪曲、ポップス等を含め広く、あまりジャンルを問わない。ただ、ジャズはちょっと遠い。

 この2-3年はクラシック分野で特に頻度が高いのはブルックナー、マーラーの曲が中心。近代の作品はあまり聞かなくなった。ブルックナーの交響曲は、特にチェリビダケ指揮ミュンヘンフィルの演奏に集中して聴いている。私にとってブルックナーの曲は総じて宗教音楽に近く、聴く度に敬虔な気持ちになる。

 私はもともと歌謡曲が大好きである。特に昭和時代の歌謡曲が好き。
 昭和の歌謡曲は好んで聴いてはきたが、2013-15年は特別集中的に聴いた。その理由は、録りためた録音のデータベース化、インデックス作りをしたからである。

 私は2008年からFM放送のラジオ深夜便の午前1時、午前3時、午前4時から各1時間、計3時間分を連日ハードディスクに録音している。これらの録音は適宜iPod等に落として通勤途上などで聴いてきた。

 歌謡曲は2013年時点で5.000曲ほど蓄積したので全曲をデータ化した。データ化しないと曲を探し出すことは不可能だから100%無為な録音になってしまう。だから私にとって大変だったけれどもインデックス作りは楽しい作業となった。検索をかけると一発で探し出すことが出来る。これは宝である。その後も蓄積は継続しているので今の時点では約15000曲に達している。

 午前1時、午前4時からは各界の著名人(?) が登場し貴重なお話が聞けるが、これも全てインデックスを作成、いつでも呼び出せる様にしてある。加えて連日の新聞スクラップ、電子化した蔵書もいつでも呼び出せる状況にある。

 私の人生は各種のデータの収集とそれらのデータベース化に充てられている。これらは、ほぼ連日何らかの形で役立っているから無駄ではなく、楽しい作業である。

 この2年ほど再び歌謡曲を聴き始めた。
 その理由はインターネットラジオの普及であった。インターネットラジオはほとんど雑音がなく音質は極めて良好、FM放送の音質を十分凌いでいる。しかも、NHKの場合、1週間ほど「聞き逃しサービス」を利用できるので私にとって都合がいい。今はこちらの録音蓄積も始めておりデータベース化している。

 歌謡曲は昭和7年にNHKによって命名されたという。それまでは「流行歌」と呼ばれていたが、流行という言葉をNHKが嫌ったからだとされている。「流行歌」とは「歌詞・曲・歌い手」をセットとしてヒットを狙って売り出される商業的歌曲のこと(なかにし礼)であるが、それが昭和初期から歌謡曲と呼ばれることとなった。

 私は戦後時代に育ったが、「流行歌」は昭和の時代・世相を濃厚に反映している。

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音楽談議2022(5) チェリビダケ指揮ブルックナー第8番(2) 

2022年04月14日 07時44分31秒 | 音楽談義
 ブルックナーの交響曲は時折テンポが急に切り変わるが、チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はすべてのフレーズをスムーズに繋いでいく。
 ヘッドフォンで再現される遅いテンポ、繊細な音に耳を傾けていると時間という概念が消え、全てが一体化して鳴り響く。ブルックナーの音楽は壮大な建造物に例えられることが多いが、チェリビダケの手になると演奏は雄大な自然そのものに化けてしまう。

 このライヴが行われて2年後にチェリビダッケは世を去った。

 おそらく老いが進むにつれ彼自身の体内時計のテンポが一層遅く刻まれる様になったのであろう。それに伴ってさらに演奏テンポが遅くなったと思われる。

 高齢指揮者の晩年の演奏は一般的に遅くなる傾向があり、それが古潭の境地などと評され珍重されるが、コンサート会場で直接聴いている場合、演奏の録画を観る範囲ではそれなりにその演奏に入っていける。しかし、レコード、CDなどで音だけを聴くと緊張感のない、だるく、遅いだけの演奏になっていることがある。だから、概して高齢指揮者の演奏は私は好まなかった。

 チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はテンポが遅いが、緊張感を失うことはない。長年一緒に演奏してきたからなせる技と境地であろう。
 チェリビダケの練習は異常に厳しいとされる。そのために楽団から嫌われ関係が長く続かないという経緯は有名である。読売日本交響楽団の招きで対日した際には通常1−2分しかかからない音合わせに30分もかけたという逸話も残っている。ミュンヘンフィルは彼の資質に共鳴し総監督として迎え、長い付き合いがあったからこそなし得た演奏というべきだろう。

 超スローテンポで全曲を貫徹、これはチェリビダッケ晩年の表現であるが、私はこの曲以外の録音はそれほど好んでいるわけではない。尤もこの曲ほど聴き込んだのはないからそう結論づけるのは早計なのかもしれない。

 何で私がチェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番を異常に好むのか??それは、私自身がこの曲が「この世とあの世の接点、端境域にある」ように感じてこの曲を特別に好んでいること、多くの演奏を耳にしていることによっているから、と思われる。加えて、私の体内時計が刻むリズムが老化によって遅くなってきているから、だと思われる。

 最近、私は会話にしても歩行にしても全体にスローテンポになっていることを自覚する。また。何かに取り掛かるにしてもその前に若干の時間が必要になった。さらに、やるべきことを後回しにする傾向も出てきている。

 このような変化を背景に今回チェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番のCDを購入した。今まで所持してきたアナログ録音が劣化して聴き難くなってきたからでもあるが、さらに彼らの演奏に浸ってみたいと考えたからでもある。
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音楽談議2022(4) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲第8番(1) 遅いテンポに酔える日々

2022年04月13日 09時54分54秒 | 音楽談義
 今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。前者の印象は前述した。

 私は独墺系のロマン派の音楽を好んで聴く。その中で私の好みはマーラー、ブルックナーが中心である。両者の作品の演奏データは優に50種を数える。ブルックナーが6割、マーラーが4割というところ。

 ブルックナーの交響曲は0番から10曲あるが、私の好みは8番>9番>7番>5番>6番>・・・と続く。8番の演奏データは15種類。愛聴するデータは、カラヤン>ギュンター・バント>チェリビダケ>インバル>朝比奈隆>ジュリーニ>ヨッフム>シャイー>バレンボイム>・・・・と続くが、最近はチェリビダケを聴く機会が増えてきている。

 チェリビダケは1912年ルーマニア生まれ。1996年没。1945年のドイツ敗戦直後、戦後、一時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BPO)の首席指揮者に就任した。
 フルトヴェングラーの死後、BPOは後継者としてカラヤンを選出する。チェリビダケはその後各地で演奏を行い、1970年にシュトゥットガルト放送交響楽団、1979年からミュンヘン・フィルハーモニーの総監督を務めた。 日本には読売交響楽団の招きで2回客演で来日した他、ミュンヘン・フィルと複数回来日している。

 チェリビダケは、「音楽は空間および時間と一体として存在するもので、それらを切り離すことは不可能、つまり、音楽はホールで、一回きり。録音などは、一切ダメ」という考えを表明している。そういう一方で、イタリア、スエーデンなど、各地の放送交響楽団の役職を兼ねるなど、ちょっと矛盾している。それがむしろ嬉しい。

 そんなユニークな考えをもつチェリビダケの演奏は、逆に聴きたくなる。彼の録音は非正規という形で次々にリリースされた。だからCDカタログ上では多数認められる。中には客席の足元に置いた録音機で??と思われる海賊版もあった。

 チェリビダケのブルックナー交響曲第8番は、種々の録音が繰り返しリリースされた。その中でリスボンでのライブ盤はベストセラーであったが、先般、遺族の許可を経て、初めて正規のCDとして「復活」を遂げた。第8番はおおよそ80分ほどかかる大作だが、チェリビダケの手になるとの105分を要する。

 水久に終わらないのでは、と感じられる遅いテンポで奏られる。だから、聴くときはそれなりの準備が必要である。ながら聴きには向かない。
 それぞれのパートに明確な輪郭を与えつつ、透明感をもって音が重ねられる。強奏部分でも、音量が上がるというより、音圧が厚さを増しながらみるみる広がっていくような感じである。

 ブルックナーの作品が、チェリビダケとミュンヘンフィルによって生まれ変わった。豊かな音に囲まれながら過ごす時間は、私にとって至福のひとときの一つである。


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音楽談議2022(3) オーケストラの伝統にこだわらない配置で新しい響き デアリング東京オーケストラ

2022年04月12日 08時51分32秒 | 音楽談義
 廣津留すみれ氏が独奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のバックを務めたデアリング東京オーケストラは2013年に西脇義訓氏らにより設立された。従来のオーケストラの常識にとらわれることなく「空間力」を生み出すことを基本理念に、新たな響きの創造を目指している。
  「デア・リング」の名称は、先進性、独創性、開拓者精神で世界を席巻したワーグナーの代表作「ニーベルングの指環 Der Ring des Nibelungen 」からとったもので「リング」は「輪」や「和」にも通じることからこのオーケストラの基本理念を示す、という。

  全員前向き配置、曲によっては一部の演奏家は後ろ向き、立って演奏するなど従来のオーケストラにはない試みをおこなっている。オーケストラは通常、指揮者を中心に演奏者が半円形に並び、指揮棒に合わせて音を奏でる。これが最良の方法だと考えられている。
 演奏者は指揮者を見るだけでなく、コンサートマスターの指示も視界にとらえ、さらにはパートのトップと隣の奏者の音や動きにも合わせ演奏しなければならない。
 だがこうした縛りから解放されれば、もっと自発的に生き生きとした演奏ができるのではないか。演奏会毎に新たなフォーメーションを試み、知見を蓄えていった。

 オーケストラは室内楽の拡大したものとよくいわれる。小編成で演奏するときのようにほかのパートをよく聴けば、室内楽の感覚でオーケストラでも演奏できる。 ホールを楽器として響かせる「空間力」を高めていったことで、新しい色彩や、香りが生まれてきたと感じている(西脇氏)。

 オーケストラのメンバーは、東京芸大、桐朋音大等を卒業した若手のプロの演奏家により構成されている。この若さで伝統にこだわらない新しい試みに協力しているという。オーケストラは当初録音に特化して2013年にスタートしたが、公演を望む声が多くあり、2018年にデビュー・コンンサートを行った。同年の毎日新聞で、「演奏会の響きは、柔らかさ、色彩、音楽的な豊かさにおいて、驚異的な革命であった」と評された。
 
  設立者の西脇義訓氏は今回初めて知った方。基本は録音関係のプロらしいが、指揮者としても研鑽を積んでいる、とのこと。1948年名古屋市生まれ。木琴、チェロを習い慶応義塾ワグネルソサィエティ・オーケストラにチェロで在籍。
 1971年、日本フォノグラム(株)に入社。録音プロデューサーとしてサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団などの録音・CD制作に携わる。
 指揮はスイスの名指揮者Mコルボの薫陶を受けたという。

 すでに10枚ほどの録音をリリースしているが、廣津留すみれ氏とその恩師のジョセフ・リン氏を独奏に迎えた2つの録音以外は全て氏の指揮によっている。
   (廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)
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音楽談議2022(2) 廣津留すみれ:メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、シャコンヌ

2022年04月11日 10時54分59秒 | 音楽談義
 廣津留すみれ氏が演奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のCDを購入した。バッハの「シャコンヌ」との組み合わせ。録音は2021年9月だからつい先日。

 私は同曲が欲しかったわけではない。私の愛聴曲であり、10種以上の録音データを所持している。ホンの一部、自分でも譜面をなぞったこともあった。
 何で今回購入したのか??ソリストとオーケストラに興味があったからである。

 氏は2021年4月10日放送の「題名のない音楽会(テレビ朝日)」に出演し好演したのを観て私は興味を感じ、記憶の隅にちょっとだけ残してあった。それが音楽雑誌か何かでCDを出した、とあったので早速購入した。

 (1)まず氏のキャリアに興味を持った。
 ソリストの廣津留すみれ氏は大分県生まれ、幼少時からバイオリンを習い、母親から英語の教育を受け、公立高校在学中にイタリアで開催された国際音楽コンクールで優勝。2012年9月ハーバード大学に現役入学、学士課程を優秀な成績で卒業、次いでヴァイオリンを極めようと、ジュリアード音楽院の大学院に進学した。
 卒業後ニューヨーク市でエンターテインメントを担う音楽コンサルティング会社「Smilee Entertainment」社を立ち上げ、そのまま同市に在住し、ヨーヨー・マとの共演に加え、ゲーム音楽の作曲やプロデュースを行った。事業の才能もありそう。

 2020年に、コロナ禍により帰国。著述や講演に加え、TV番組への出演、成蹊大学および「秋田の国際教養大学」の講師に就任している。
 氏の歩んできた過程、なし得た結果など私はひたすら驚くしかない。

 (2)氏は秋田の「国際教養大学」の特任講師に就任
 国際教養大学特任助教授の渡辺玲子氏は秋田で時にコンサートを行うが、廣津留氏にもその活動を期待したい。

 (3)廣津留という姓
 詳細は不明であるが大分でも氏の周辺にしかおらない稀中の稀な姓らしい。私も一発で覚えた。そのような希少な一族の中からこのような才能豊かな方が出てくるなんて、これも驚きである。

 (4)演奏
 私には名盤、名演奏という考え方はない。演奏を批判することも好かないし、出来ない。提供された音楽にひたすら同化し楽しむだけ。
 これはライブ録音であった。しかも指揮者なしの指揮振りで行われたとのこと。演奏そのものは流麗で素晴らしい、と思った。バッハのシャコンヌは心に深く染みた。聴いていて心地良い。聴いている時間、しみじみと幸福感を味わった。

 ライナーノートによるとこの演奏会はジュリアード時代の恩師ジョセフ・リン氏が出演する予定で廣津留氏も再会を楽しみにしていたが、リン氏がコロナで来日できなくなった。廣津留氏に代演のオファーが来たのは演奏会の1ヶ月ほど前、しかも録音収録付き。曲目をメンデルスゾーンに変更してもらうことを条件に快諾した、という。
 それでこの結果、これも大したものである。

 (5)ジャケットの写真
 実に可愛いいし、優しい表情に写っていると思う。
 (廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)
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