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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

美術館探報2022(1) 木村伊兵衛 嶋田 忠 川瀬 巴水 松本明鏡展

2022年08月22日 06時15分25秒 | 音楽談義
 かつては秋田県内の美術館を、といっても秋田市にある県立美術館、秋田市立千秋美術館、横手市にある県立近代美術館程度である。前二者は年間パスポートを購入して頻回に観にいったが、COVID-19の蔓延で企画自体が後退したようで訪れる機会も少なくなった。今年は年間パスポートを購入しておらず、その都度入館料を払っている。県立近代美術館には今年はまだ訪れていない。

(1)木村伊兵衛写真展(県立美術館) 木村伊兵衛回顧展
 昭和を代表する写真家・木村伊兵衛(1901~74年)の作品を集めた「生誕120年 木
村伊兵衛回顧展」。木村氏は昭和初期から、東京・下町を中心に、街角の人々を写真に収め続け、50歳のころからは秋田の農村で撮影を重ねた。現在の大仙市、旧大曲市で撮影した「秋田おばこ」(33年)は近年、本県のPRポスターに使われた。
(確かに美しい しかしこれは農作業の姿ではなかろう)
 本展では、氏が残した133点を撮影地や時代、テーマなどで区分して展示。庶民の日常を記録した「昭和の列島風景」や、「秋田の民俗」などの六つの章があった。
 古い写真展であり歴史の記録には良いが文献や写真集で確認できるからわざわざ出かけてみる値はそれほど大きくない、と思った。

(2)嶋田 忠 野生の瞬間展(千秋美術館) 
 嶋田忠氏 (1949- )は、カワセミ類を中心に鳥獣の写真家として知られている。神々しいまでの生命力をもつカワセミやアカショウビンを力強く捉えた作品から、「自然から学ぶ」意識と感性に裏打ちされた繊細な作品まで、その多彩な表現は高く評価されている。

 本展では、鳥ごとの魅力が凝縮された一瞬を切り取り、野鳥の魅力を多くの人に伝え続けている嶋田作品の数々を見ることができた。
 家内は野鳥の会会員である。その機関紙を通じ私も鳥の生態に興味が高まった。それを受けての観覧で、略満足した。

(3)川瀬 巴水展(県立美術館) 
 川瀬巴水(1883年- 1957年)は、浮世絵師、版画家。新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者。日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画にした作品を数多く発表、「昭和の広重」などと呼ばれる。欧米で広く知られ、葛飾北斎・歌川広重等と並び称される。展示会には略満足した。


(4)松本明鏡展(秋田西武百貨店) 
 松本明鏡氏(1945-)は平成の大仏師と呼ばれる。氏の展示会には11年前にも開催されその時の印象が大きく今回も鑑賞した。
 11年前、同氏が会場で語った「資材をじっと観察しているとその中に鎮座されている仏像が見えてきます。私はその像をノミで具現化しているに過ぎません」、と語った言葉が忘れられない。信仰心を背景にしているのだろうが実に謙虚に語られた。私などパソコン上の原稿用紙をいかに眺めても何も見えないし、アイデアも浮かんでこない。
 今回は250点ほどの作品を見ることができ、略満足した。
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音楽談義2022(10)歌謡曲が好き(10) 歌謡曲、演歌の衰退で私は寂しい

2022年08月14日 08時02分27秒 | 音楽談義
 歌謡曲、演歌業界には「大阪頼み」があるそうだ。大阪を題材にしたご当地ソングは売れるという。

 確かに大阪を舞台にした演歌は多い。 「宗右衛門町」、「法善寺横丁」など魅力的な地名や地域にも事欠かない。題名に「道頓堀」がついた歌だけで200はあるそうだ。ぴんからトリオの「女のみち」は1972年の発売で300万枚超えのメガヒットとなった。将棋棋士・坂田三吉をうたった「王将」は高度成長期、急発展する首都・東京を追う大阪の応援歌でもあった。「東京ラプソディ」に対して「大阪ラプソディ」が作られヒットした。

 演歌は庶民の心のよりどころであり、慰めであり、共感の歌であった。
 朝鮮戦争による特需による経済復興、1972年(昭和27)に発効したサンフランシスコ平和条約で主権を取り戻したが、その後の日本の復興と成長はめざましかった。 昭和30年代~40年代のほぼ全期間を通じて、日本経済は右肩上がりの高度成長をつづけ、一気に繁栄のきわみに達した。

 庶民の楽しみの中心であったラジオはステレオ装置となり居間や座敷に鎮座し、家族みんなで楽しんだ。

 ところが、日本が輝ける時代への入り口に立ったこの時期、歌謡曲は総じて清新さと活力に欠けるようになった。専属制の作曲家、作詞家、アレンジャーによって生み出されてきた歌謡曲の世界に、停滞と衰退の兆候が見えはじめた。型にはまった詩と曲、ヒット曲のスタイルを踏襲することで満足する歌づくり、 そんなふうにして量産される歌。 そこに新しさなど生まれるはずもない。

 ところが1980年代になると、「泥臭い」、「グジュグジュ・メソメソ」調の歌謡曲を嫌う若者たちが台頭し、能ある若者は自分で作曲し自分で歌うシンガーソングライターとして、いわゆる「メッセジソング」を発表し世に問うようになった。
 「君は一人じゃない」とか、「元気をあげる」とか、「勇気を出せよとか」、「オンリーワンだよ」、という湿りけのないカラッとした前向き志向の歌である。演歌と異なり、そこに偽善が見え見えであるが、だから良いのであろう。

 私としてはとても寂しい時代となった。「グジュグジュ・メソメソ」調の歌謡曲を好む私は口ずさむ曲がなくなった。曲が複雑化し煩くなった。かつて大晦日の「紅白歌合戦」は私にとっても大きなイベントで小学校の頃から殆ど欠かさず見ていた。TVの時代になり、大勢の少年少女が舞台を埋める人海戦術、過剰演出、面白くもない歌の数々、放送時間の拡大・・・、ついに2005年頃に耐え難くなり、私は紅白と完全に決別した。これはしかし、発想の転換が出来ない私側に原因があるのだろう。

 音曲の楽しみ方の変化も大きい。ウオークマン、iPodを利用してヘッドフォンで一人一人が個別に楽しむ時代になった。

 それでも、私は未練断ち切れず最新の歌謡曲にも準積極的ながらアプローチし、何かいい曲はないか??と毎日井戸を掘りつづけている。
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音楽談義2022(9)歌謡曲が好き(9) 歌謡曲の主旋律を生かす前奏、伴奏が素晴らしい

2022年08月13日 18時14分26秒 | 音楽談義
 歌謡曲とは、「歌詩・曲・歌い手」の三つをセットとし、ヒットをねらって売り出される商業的歌曲のこと。そのうちの主役は何と言っても歌い手、すなわち歌手であるが、重要度から言えば歌詩・曲を含めて優劣は決められない。
 
 ただ歌手の場合は、最終的表現者として個性と歌唱力等がその音曲そのものの価値を決める別格の立場にある。歌謡曲、演歌の場合は歌手と音曲は切っても切れない二卵性双生児の関係にある。

 余談であるが、著明な歌手のヒット曲をカバーして若手が歌うと違和感が拭えない。モノマネに徹すれば良いのであるがプロはそれができない。だから個性を発揮しようとする。そうすると歌のイメージが激変する。多くはオリジナルを超えることはできない。それだけ歌手とか曲は一体の関係にある。

 その点ヒットしなかった曲、忘れ去られた曲がカバーされることによってその音曲に新しい命を吹き込まれる場合がある。その良い例が1922年(大正11年)の二村定一が歌った流行歌「君恋し」。1961年(昭和36年)フランク永井のカバーにて命を吹き込まれレコード大賞まで受けている。二村定一が歌った流行歌「君恋し」はほとんど忘れ去られていたからこの現象が起きた。

 しかし、私が歌手と同様に注目するのは編曲者(アレンジャー)の存在である。日本のポピュラー音楽におけるアレンジとは、作曲家の旋律に前奏や伴奏をつけ楽曲を豊かにする作業を指す。主旋律は住宅で言えば骨格であり、アレンジャーの仕事は外装、造園にあたる。

 日本のポピュラー音楽におけるとても重要で固有の職業であるが、アレンジャーの名前がCDなどのライナーノートなどを含め外に出る事は滅多になく、影の脇役、立役者ともいえる。

 歌曲は編曲によって多種多様に変化する。編曲によって完成度が高まると言っていい。アレンジャーは音楽そのものの作曲技法、シンセサイザー等の高度な知識、録音機器等の知識も必要なため、音楽理論にとどまらず音楽制作全般に関する知識と技術を要求され、経験を重ねた演奏家や作曲家が担当している。楽曲によってはストリングス、ブラス、コーラスを専門的に担当するアレンジャーもいる。また、クラシック畑のアレンジャーもいる。導入部がブルックナーの交響曲を思わせる作品もある。松島アキラの歌う湖愁にそれを思う。

 アレンジャーは作曲家、レコード会社、音楽出版社、芸能プロダクション等の依頼、指示を受けて編曲をする。勿論、自分でアレンジまでする作曲家もいる。冨田勲氏がそうであった。

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音楽談義2022(8)歌謡曲が好き(8) 歌謡曲の歌詞は感傷に満ちている。

2022年08月12日 05時52分51秒 | 音楽談義
 歌謡曲とは、「歌詩・曲・歌い手」の三つをセットとし、ヒットをねらって売り出される商業的歌曲のことである。当初は流行歌と言われていたが、昭和7年にNHKによって歌謡曲と命名された。その後、数々の作品が歌われてきた。

 演歌は1960年代半ばに歌謡曲から大衆芸能として人気となったジャンルで、日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な曲である。当初は「艶歌や「怨歌」の字も当てられていたが、1970年代初頭「演歌」が定着した。

 男女間の悲しい情愛を歌ったものが主たるテーマであるが、他に母物・家族、人生、股旅物・任侠・望郷物などがある。いずれも私の心の中に染みてくる。

 私は人生経験は決して豊かとはいえない。だから、仮想体験として小説や演歌を楽しんできた。
 かなえられぬ恋に身を焼いたり、失恋を悔やんだり、 大抵は悲恋のドラマが歌われている。中には、男や女の深い心情を歌い上げるしっとり物もあるが、中身は単なる強がりだったりする。
  ご当地ソングといわれる曲も良い。各地の風景や盛り場などを背景に作られた歌謡曲からは見知らぬ地方の魅力を知れるが、男女の切ないドラマが織り込まれている。

 私は人前で歌う、歌われるのは共に好きではないからカラオケは行く事はないがNHK「のど自慢」で歌われる歌謡曲を視聴するのは私にとって至福のひときである。 
 歌謡曲は、歌い手も聴き手もそんな「あり」もしないドラマを想像力をかき立てて想起し、その感傷を自分の心にのせて楽しむのである。
 歌謡曲にある、人妻との恋に人知れずもだえ悩む仮想恋愛は、この歳になっても私を元気づける。

 進歩的文化人の間で日本的な流行歌や演歌は「下品だ」、「くだらん」と否定され続けていた。立場はちょっと弱いが、「不況になれば演歌が流行る」という単純な図式もある。これが大衆文化であり、大衆の心情でもある。

 演歌は、「差別され、踏みつけられている人間が、その重さを歯を食いしばって全身ではねのけようとする唸り声」である(五木寛之)、と言っている。五木が艶歌の定義として設けた「暗さ」や「感傷性」は、従来の歌謡曲のジャンル分けのどれとも異なる新しい枠組みであった。私もそう思う。

 小説の場合は読了するのに何日もかかるが、歌謡曲はそれを3分間で完結させる。見事な芸術である。
 私はここ3ヶ月ほど、クラシックの分野では特にブルックナーの交響曲3番から9番を集中して聴いている。いずれも60-90分を要する素晴らしい大作であるが、歌謡曲を決してこれに劣らない。両者を味わえる感性が備わっている私は幸せ者である。




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音楽談義2022(12)歌謡曲が好き(7) 繁栄の時代の歌謡曲界 ひばりvs千代子

2022年08月05日 05時29分53秒 | 音楽談義
 日本が戦後の窮乏、混乱期から本格的な復興期に入ったのは、昭和20年代中盤である。その大きなきっかけは、昭和25年(1950)に勃発した朝鮮戦争である。戦争特需で日本経済は息を吹き返した。

 その後の日本の復興と成長はめざましかった。経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した昭和31年前後から、 昭和30年代~40年代のほぼ全期間を通じて、日本経済は右肩上がりの高度成長をつづけ、一気に繁栄のきわみに達した。

 この時期の歌謡界を考えるときに、不世出と思われる美空ひばりの存在を挙げなくてはならない。
 美空ひばりは昭和12年(1937) 横浜生まれ。8歳で初舞台、12歳で「河童ブギウギ」でレコード・デビュー。次作「悲しき口笛」では素晴らしい歌を聞かせる。その後、「東京キッド」、「リンゴ追分」、「お祭りマンボ」、 「港町十三番地」などのヒットで、昭和三十年代には押しも押されもせぬ歌謡界の大スターになった。

 私は鉱石ラジオで、次いでトランジスタラジオでひばりの歌はよく聴いていて好きであったが、TV時代となってから評価が一変した。あまりにも堂々とした仕草、周囲を睥睨する不遜そうな表情は、若く気の小さな私には理解をこえていた。その後、ひばりには少し距離を置いたが、ちょっと遅れてきた島倉千代子の方が身近な温かさが感じられた。

 ひばりの楽曲はその後も広く聴いてきたが、私も中年になってひばりしか出せない世界に納得できるようになった。「柔」、「悲しい酒」、 「川の流れのように」等の抒情豊かな表現を心から味わった。ひばりはどの曲もこれ以上の表現はないと思わせる完璧な歌唱で、誰よりもうまく歌いこなした。
 ひばりは昭和が終する前後に亡くなったが「昭和の大スター」の名に値する名歌手であった。歌謡曲の世界を語るときにひばりの存在を抜きには語れない。

 歌謡曲は、「歌詩・曲・歌い手」の三つを一セットとし、ヒットをねらって売り出される商業的歌曲のこと。
 だから歌謡曲の世界では歌手の持つ個性が重要である。だから、各作品ごとに特徴と価値がある。優劣を評価しあってもしょうがない。ひばりと千代子は共に素晴らしかった、と思う。

 一方、他の歌手によって歌われた、私の好きな曲はたくさんある。私は歌謡曲が好きである。

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